第9話 貴族令嬢じゃなくなっても


「馬車の中でもいいのに⋯⋯」

 私が浅慮だったからこうなったのに。


「そんな訳にはいきません」

「足腰が痛くなるのはもちろん、巡りが悪くなって、体調を崩されますよ」


 ああ、エコノミー症候群か。こっちでもそれっぽいのは認識されてるのね。


「エクノミィ? そんな名称なのですか? わたくしが以前、婚家の義母のお買い物に付き合った時のことですが、ずっと座っていた上に、買い物も馬車から降りずに侍女が代理で買い付けるという、馬車に半日乗り続けたことがありまして、その日、義母は屋敷に戻るなり倒れてしまったことがありました」


 貴族階級専任の医師が、姑さんにお水を飲ませたりマッサージしたりして、その場はなんとかなったらしい。


「なんでも、お医者様の言うには、同じ姿勢のまま動かなかったり狭い場所で長くじっとしていたり、運動不足などで、全身の巡りが悪くなったせいだと聞きました。その時は、貧血の酷いものかと思っておりましたが」

「そうね。血管に血栓が出来て、詰まっちゃうの。水分が足りなくてドロドロになった血の塊が出来て、身体の中で血が流れなくなるのよ。酷いと血管が詰まって貧血や酸欠で意識不明になったり、血の塊や詰まりを取るのに手術が必要だったり、血管が破裂しちゃったり内出血したり、最悪亡くなってしまうのよね」

「よくご存じですこと。で、す、か、ら! 馬車の中で一夜というのはあり得ません。おわかりですね?」


 カロリーネがこう言う時は、引かないので、素直に従った。


 昼間は思わなかったけれど、夜はけっこう冷える。


「当然です。民家もなく、日中は陽が射すものの奥に行くほど暗くなる林や森に、湿った地面と空気。この辺りは夜は夏でも冷えます。なのに、このような場所で野宿など⋯⋯!」

「ごめんなさい」


 素直に謝る。


 地図で見た感じ、すぐにお祖父さまの統治する方の鉱山町に着くと思ったのよ。

 この世界の貴族のご令嬢である本体クラウディアの意識より、令和女子高生の感性が勝っているので、つい現代の、家族で車で移動する感覚なのだ。

 50~60㎞ほどだとしたら、車なら、何度か信号に引っかかっても一時間ちょっとの距離なのに、まさか四時間以上走っても半分くらいしか来られないなんて思わないでしょ?

 まあ、冷静に考えれば、燃料で動き続ける機械の自動車と違って、生きた馬を駆け足から全速力で走らせ続けられる訳ないんだけどね。


 食事は、カロリーネが保存食を温めて味を調えてくれたのが、伯爵家のシェフのメインディッシュとは違うけれど負けないくらい美味しかった。

 たぶん、高位貴族のご令嬢のままなら、美味しいと不味いの境をいく味なんだろうけど、平成令和の一般家庭の子供には、普通に美味しく食べられる味だ。


「庶民的な味にしか出来ませんでしたが」

「何言ってるの。新鮮な食材と便利で整った台所を使うんじゃなくてこの囲炉裏とお鍋一個で、携帯保存食をここまで美味しく出来るんだから、たいした腕よ」


 褒めると、カロリーネは頰を染めたけれどそれ以上は反応しないで、私に続いて、エイナル、アルベリータの順にお椀によそっていく。


「使用人たる私たちが、お嬢さまと食卓を共にするなんて恐れ多いことですが」

「何言ってるの。爵位は返上したのだし、同じ貴族出身の平民なんだから、家族なんだから、変に気遣ったりしないで」


 カロリーネが母代わりの一番上のお姉さん、エイナルがお兄さん、アルベリータもお姉さん。子供の頃からそう言っていたはずよ。


「まだ、陛下は承認した訳じゃないぞ」


 乾燥野菜を煮戻した物に硬めに燻されたベーコンを薄く削いだ物を混ぜて、幾らかのスパイスで味を整えたスープを啜りながら、エイナルがこちらを見ずに言う。


「請願書を出しただけだ。陛下も冷却期間をおけと、玉璽は捺さないと言ってただろう」


 そう。カロリーネとアルベリータは、謁見しているあいだは控え室で待っていたけれど、エイナルはモーリッツと一緒に私の護衛兼従者として、陛下との談話室の壁際に控えていたのだ。


「私も、考えは変わらないと言ったはずよ」


 ワガママなのは解ってる。領民や使用人達の生活を守る義務を放り出して、平民になって逃げ出すのだ。

 酷いことをしている自覚はある。一応。

 建国から続く最たる忠臣の伯爵家を、私の子供じみた無責任さで、義務を放棄して取り潰すのだ。そう簡単に認められることじゃない。


「小父様が次代伯爵として認められるなら、それでもいいわ。小父様なら、商会も伯爵家の領地も盛り立てていってくれるでしょう?」

「だが、分家の非嫡出子だ。伯爵家の血は薄い。正当なる跡継ぎがいるのになぜ譲らなくてはならない?」

「エイナルは、私に女伯爵になって欲しかったの?」

「何が何でもって訳じゃないが。お前が無理だと思ったなら、平民になって苦労しても、平穏に暮らしたいというのなら、俺は黙って従うだけさ。ただ、正嫡のお前がいるのに、他人が伯爵を名乗るなんてと思っただけだから気にするな」

「エイナル。言葉が過ぎますよ」


 ズッ お椀の中を飲み干し、手を合わせながら軽く頭を下げるエイナル。

 これは、私が小さい頃からやっていたことで、みんなも倣うようになったとか。


 どう考えても幼稚園や小学校とかでやる『いただきます』や『ごちそうさま』だよね。

 平成令和の記憶が戻ったのは11歳の時だけど、こういうことは魂に染みついてるのか、自然と誰にも教えられないのにやっていたらしい。


「昨日も言ったが。俺は、生涯お前のチェンバレンだ。お前が平民になろうが、女伯爵になろうが、隣国に渡って大公の孫娘に戻ろうが、それは変わらない。お前の意志を尊重するし、お前が間違えそうだなと思ったら苦言を呈するかもしれないが、基本的にはお前に従うだけだ」

「私がただの平民になっても?」

「そうだ。先代と小さい頃のお前に誓った。誓いは神聖なもの。誰にも曲げることは出来ない。多少の立ち位置が変わってもお前が俺の主人であることは、この先、国がなくなろうとも、例え世界から貴族制度がなくなっても、生涯変わらない」


 お、重い。


 と思ってしまうのは、私の中に平成令和の女子高生の感性が存在しているから。

 伯爵令嬢のわたくしは、彼の忠信を誇りに思うと共に、彼の未来を左右してしまうのが申し訳ないと思えて苦しい。


 残飯は残らないように皆で綺麗にたいらげ、食器や鍋などを片し、湯を沸かして絞った手ぬぐいで身を清めると、小屋の中にある二つの寝台を、私と、カロリーネとアルベリータに分かれて利用する。


「俺は、外で騎士達と野営しながら交代で見張る」

「中に⋯⋯側にいてくれないの?」

「従者だが男だからな。夜は共には過ごせない。だが安心しろ。小屋から離れないし、何かあれば一番に駆けつける」


 頭をポンポンと撫でてるのかはたいてるのか判らない感じで触れて、片手を上げて振りながら、小屋を出て行く。


 カロリーネとアルベリータが居るのに、囲炉裏に炭がべられ、換気用の窓は開けられていても小さい物なのに、小屋の中は急に寒々しい感じがした。


 

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