第7話 生まれた邸宅を去る淋しさは⋯⋯


 この国では、私の紅い髪も緑の眼も両親と違うために、不義の子だとかお母様を貶めるような噂が流れたり、(邪)妖精ダークエルフの取り替えっ子だとか魔女だとか言われていたので、向こうでも、アリスティーアの娘──孫ではないなどと拒絶されちゃったらどうしようかと、少し不安でもあるのだ。


「確かに、君の髪や眼の色はご両親のどちらにも似てはいないが、顔立ちは間違いなくお二人の良いところを受け継いでいると思うよ。それは、君のお祖父さまにも判るはずだから、その心配はないだろう」


 そう。私の顔立ちは、お母様のお若い頃とそっくりだと、カロリーネがいつも言っていたし、耳の形はお父様のそれの小ぶりだと、周りのみんなは言ってくれていた。


 でも、生まれて一度も顔合わせをしたことがないということは、お祖父さまには、あるいは両親には、隣国のお祖父さまに会えない事情があったのかもしれない。

 なら、心情的に、孫だと認めたくないと思われている可能性もあるのだ。


 そんな私の不安をよそに、家令(執事長)ハウス・スチュアートニクラースの指示でフットマンが馬に乗って、前庭ではなく邸宅の横庭の垣根に作られた小さな門から出ていった。

 たぶん、先触れだろう。

 お祖父さまは隣国サヴォイアの大公閣下。公爵領のあるじ。先触れもなく突然訪ねていい人ではない。

 孫だからとマナーも無視して乗り込んでいって良いという考えでは、とうてい孫とは認めてもらえないだろうし、それ以前に合ってももらえないかもしれない。


 高位貴族を訪ねるなら、ずは先触れを出し相手の都合を訊いてから、手土産やTPOに合った衣装など、作法に則って訪ねるべきである。


 エイナルの手を取り、スカートの裾を捌きながらステップを踏んで、馬車に乗り込む。

 続いて私の隣にアルベリータが、進行方向から逆向きの向かい側にカロリーネが座った。


「カロリーネ? 今回は、長時間乗るのよ? 隣に来て」

「お嬢さまの隣になど、恐れ多い事でございます。わたくしはここで」

「ダメよ。気分が悪くなったらどうするの? 車に比べ⋯⋯うぅん、馬車は揺れが酷いわ。胃に負担がかかるわよ」


 危ない危ない。つい、普通に自動車と比べて言いそうになっちゃった。この世界にないもののことを言ったら、おかしい人と思われちゃうか、前世の記憶のある人だとバレちゃう。

 現代知識チートが出来るようならまだいいけど、なんの役にも立たないただの女子高生だから、バレることに意味がないというか、バレてしまってもなんにも出来ないのでガッカリされるというか。


 私の命令口調にカロリーネが従ったのを見届けて、エイナルが扉を閉める。

 アルベリータが窓のカーテンを開けたので屋敷を見ると、家令(執事長)ハウス・スチュアートニクラースをはじめ、各部門の執事達、家政婦長、料理長、メイド頭、侍従長、邸宅保安部の騎士団長、庭師などが馬車止め前のエントランスに並んでいる。

 御者の コーチマン マークスが仏頂面をしているのは、私の乗る馬車をエイナルが牽くからだろう。自分の仕事に誇りを持っている人だからこそ、先代の残した一人娘の御者は自分でありたいのだろうとは思う。


「マークス、ごめんね? 王都に行くとか、バスティアンに会いに行くとか、近場の移動じゃなくて、隣国へ行くの。いつ戻るか、決めてないの。というか、この国に戻るとしても、もう、伯爵令嬢としてこの屋敷には戻らないのよ。そんな旅に、伯爵家の御者の貴男を使う訳には⋯⋯」

「フン。儂も耄碌したもんだ。御者助手アンダーコーチマンの訓練も受けておらん若造に、主人の馬車を任される大事な仕事を盗られるんだからな」


 ニクラースが窘めるが、横を向いて仏頂面なのは変わらない。


「従者なら従者らしく、併走しておれば良いのだ。従僕フットマン侍者バレットを兼ねておるのだろう? 護衛としていざという時に動けなければならんというのなら、武具のひとつも身に着けて、自分の馬で主人の馬車を護衛しておるべきではないのか?」


 よほど腹に据えかねるのか、普段寡黙なマークスの不平を吐き出す口は止まらない。


「⋯⋯確かに。そうだな。俺には、マークスの仕事を取りあげる権利はないな。俺は愛馬シリウスで併走することにするよ。あからさまに帯剣したくないから剣は御者台に預けておくけど」


 そう言って、エイナルは御者台から飛び降り、馬車の横に繋いでいた二頭の葦毛の馬の一頭、牡馬ぼばを放してサッと乗馬した。もう一頭は牝馬ひんばで、私の乗馬用に育てた子だ。


「ニクラース殿。儂は、クラウディア様の御者に指名されなんだ老骨ロートルなんで、これにてお暇をいただきとうございます。今後は、孫娘の成長を見守って、余生を過ごすつもりです。儂の後釜は同じく御者のバーレイに任せます。儂がおらんでもやっていけるでしょう」


 そう言って、年齢を感じさせない軽快さで御者台に乗り上がった。


「承知致しました。退職金は、契約時の取り決め通りに、勤続年数と勤勉さの能力給査定に従った金額を、マグニフィクス金庫の口座に振り込んでおりますので、サヴォイアの各銀行でも融通出来るでしょう」

「突然の退職にも手篤い対応に感謝します」


 ニクラースは涙を堪えるような表情かおで応え、執事の一人がメモをとっていた。


「あ! はーい。僕もお暇をください。(馬車)併走従僕ランニングフットマンはまだ無理だけど姫様の小姓ペイジとして雑用を請け負ったり馬車の後部ステップの定位置は、例えエイナルでも譲れないから。あぁ、えっと、僕もちょっと自分を見つめ直すっていうか? サヴォイア公国を旅してみたいかなーって」


 膝丈のズボンにタイツ姿の、少年と呼べそうな栗毛の男の子が元気に片手を伸ばして宣言すると、馬車の客室ワゴンの後部ステップに飛び上がった。


「マルティン。貴方は、お嬢さまの小姓ペイジとしてまだ教育を完了しておりません。勤続年数も5年に満たないので、退職金はあまり弾めませんよ?」

「いっすよ! 小姓ペイジしながらどっかの奉公人トロィエンでもやって、自分を考えまーっす」

「奉公人をしながら同時に個人の小姓が出来ますか。まったく。自分を見つめ直す前に、世の中の仕組みと使用人という存在の位置付けや価値、礼儀作法を学び直す必要がありそうですね。何年か見聞の旅をして納得したら戻ってらっしゃい。鍛え直してあげます。それまで休職扱いにしておきますよ」

「ありがとうございまっす!」


 なんだろ。前が、ゆらゆら揺れて歪んで、よく見えないや。頰の高い辺りまで温かい物が流れ、膝の上で握り込んだこぶしにポツッと落ちる。


「屋敷の皆に愛されているのです。カロリーネ様とこのアルベリータの自慢のお嬢さまですもの。お祖父さまにお会いしても、ちゃんと可愛がっていただけますとも」


 そかな。大丈夫かな。伯爵家の責任を放り出して逃げる私を怒ったり嫌ったりしないかな。



 お母様の丹精なさった薔薇と、生まれ育ったフォルクハルト家の屋敷、そこに並ぶ馴染みの使用人達に見守られながら、私は、私の家を出た。


 

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