第6話 伯爵領のことは小父様に任せて令嬢の肩の荷を下ろしちゃお


 何があっても解雇されることはないという自信に満ちた強い目力と笑顔で、これからさっそく王都へ向かうというモーリッツを呼び止める。


「まだ、何か? 今日の朝議には間に合いませんが、それゆえに、午後から陛下の時間がとりやすいというもの。かといって、深夜になる訳にもいかないのですよ?」


 くしたらいけないからと、アルベリータの手に持たせていたA4サイズくらいの厚地のコットン紙を受け取り、モーリッツに手渡す。


「王城に行くのなら、これも持って行ってもらえるかしら?」

「なんでしょう? 拝見致します」


 それは、バスティアンと私の、フルネームでサインした、婚姻約束契約とそれに纏わる取り決めの一切の破棄を宣言する書類だった。


 バスティアンは領地の本宅だったのでサインだけでなく家紋を彫られた印璽として使われる指輪が当主様の書斎の文机の引き出しにあったけれど、私は、王都の街屋敷タウンハウスから領地の荘園本宅マナーハウスへ向かう途中立ち寄っただけだったので、サインの後に捺し封蠟する為の印章指輪シグネットリングが手元になかったのだ。


「文書をモーリッツが確認したら封蠟するから、陛下と猊下の承認をとって提出し⋯⋯」

「良いですね。特にこの、該当婚姻約束契約に関するとし、バスティアン・ファン・ホーエンローエ、ライニンゲン伯爵家第四子三男の宣言により破棄とする、って一文が。向こうの一方的な宣言による正式な婚約破棄宣言ととれますね。良いですよ。こちらに大きな瑕疵も無く一方的に婚約を破棄されるのですから」


 フフフ。さあ、今すぐ封を。私めが責任を持って確実に、早駆けで陛下にお届け致しましょう。


 なんて笑いながら、婚約破棄の書類を包むように大きな紙を四隅から真ん中に折ってたたみ、横向き封筒みたいに四隅が重なった真ん中に蝋を落とし、冷えて固まらない内に印章指輪シグネットリングを今すぐ捺すように迫った。


 そんなに良い事かしら? こちらの言い分も聞かずに一方的に婚約破棄されて、貴族家の婚約は家同士の契約でもあるから、円満に解消するならともかく破棄されるなると、離縁されて婚家から追い出される出戻り娘と同等のそしりを受けることが少なくない、というかほぼ傷物扱いなんだけど? 益々『嫉妬の魔女』の悪名が信憑性と忌避感を上塗りされると思うんだけど。


「まあ、確かに、アレとの婚約破棄は早いとこ受理された方がいいやな」


 エイナルまで、そんなこというの?


 エイナルの家は男爵家で、バスティアンは伯爵家。


 この国には元々、王家と上位貴族が伯爵家と下位貴族の男爵家しか爵位は無かった。

 公爵家は、王族と一般貴族とを区別するために後から作られたもので、王族しか名乗れない。

 子爵は正式には貴族では無い。伯爵家や男爵家の子息が王宮で文官や秘書官をする時に、権限を与えるために貸与される一時的な爵位で世襲制はなく、当主以外は貴族と名乗れないこの国では、さほど力は無い。

 また、公爵家の嫡男が、爵位を継ぐ前に社交界や宮廷で身分を区別するために子爵を名乗ることもある。

 本来、国王から領地を任され税収もあり、権限と財産を持つ上位貴族の伯爵家と、その多くが領地を持たず、己の才覚と人脈で地位と財産を築いていかなくてはならない男爵家とでは、対等な関係はあり得ない。

 だけど、当主以外は厳密には貴族では無いこの国では、バスティアンもエイナルも、貴族を親に持つなのである。

 中には勘違いしているのか親の権威を笠に着ているのか、偉そぶるやからも居るけれど、周りも彼らの背後親や血族に忖度しているのか貴族の扱いをしていることも少なくないけれど、当主ではない(跡継ぎは一時的に準貴族扱いだけど他は平民である)バスティアンに対して、家同士の問題でもない場面でエイナルが必要以上に下手に出なくても良いのだけれど、一応、嫡男や次男が後を継げなくなった場合のことも考えて、それらしい態度で応対することが通例ではある。


 でも、エイナルは、私が彼と仲良く出来なかったことからの身内感情なのか、昔から、バスティアンには塩対応な上に敬うということはない。


 なぜかエイナルと目配せをし合ったモーリッツは、意気揚々と私たちより先に、王都へ向かって我が領地を発った。



 従僕達が荷馬車に積み込みを終えると、私たちはこの邸宅での最後の朝食を取り、これから、十七年間生まれ育ったこの家を出る。


「アルベリータ、エイナル。本当に、いいのね? 二度とこの地を訪れることはないかもしれないのよ?」


 現代社会なら、飛行機や列車や船で、国を行き来するのも比較的簡単だ。戦争や内乱で入出国が難しい国もあるけれど、たいていは、観光目的ならそう難しくはない。

 けれど、産業革命前の近世ヨーロッパ諸国に似たこの世界では、そう容易ではない。


 一応、お祖父さまの国は、今はこの国と同盟を結んだ連邦国のひとつなので、簡単に手荷物や身分を改めるだけで行き来は出来るはず。

 その際に、国境の検問所で私たちの出国記録が残される。現代のようなパスポートはないけれど、国境を越えて移動する人には、各地の領主の名の入った在住証明書が発行される。

 私たちの証明書は、一度はお祖父さまにお会いしておこうと、お父さまが亡くなって比較的すぐの数ヶ月前に作ったのでまだ私が当主代行だった為、領政の住民課の文官の手による私の名が記された物だった。

 偽物と思われないかしら。

 記名も自筆で『クローディア・ルファ・エリュテイア・フォン・フォルクハルト』なのに、身元証明書の発行者の名も私『クローディア・ルファ・エリュテイア・フォン・フォルクハルト=マグニフィクス伯爵』だから、同一人物に思えるんだもの。自分で発行した身分証って、なんか怪しい⋯⋯


 二人は(カロリーネも)意志は固いようで、私と共に行くと決めて譲らなかったので、これ以上は訊いても仕方ないので、出立することにした。


 私たちがエントランスから馬車止めに出ると、小父様が追いかけてきた。

 商人ゆえに、朝は早いのだろう。まだ、使用人や農民くらいしか起きていない時間だ。


「もう行くのかい? まだ朝霧が残ってるところもあるんじゃないかね? 危なくないかな?」


 一応、お父さまが亡くなって当主代行として領政や親族会社の経営に関わるようになるまであまり交流のなかった小父様でも、それくらいは気遣ってくださるらしい。

 小父様は、お父さまの従兄弟で、いわゆる部屋住み(家督を継げない次男以下の独立せず実家に留まる子供のこと)と呼ばれる四男だったため、分家の分家、小商いをする裕福な男爵家の一人娘の配偶者として婿養子に出された。

 奥方は、商いには明るくない普通のご令嬢だったので、小父様が当主代行を担っていた。平民になるしかなかった嫡男以外の子息の身の振り方としては良い方だろう。


 たいていは、エイナルのように使用人になるか、宮廷で文官や王宮で騎士になれなければ、商売を始めるか庶民に混じって雇われるか職人に弟子入りするか、農民や漁師などの第一産業の職に就くしかない。

 小父様は、婿養子に入って、先代が亡くなったときに奥方が男爵位を継がなかったので、息子さんが成人するまで男爵代行として、仮の貴族籍を得て商会から男爵家の邸宅での使用人の管理や財産管理、派閥との社交と、あれこれ差配をしてきた人なので、安心してマグニフィクス伯爵家の不動産や商会を任せられると思っている。


 そんな私の信頼が感じられるのか、小父様は晴れやかにニコニコと満面の笑みを浮かべている。


「小父様、お父様とお母様の大切にされていたこの屋敷も、王都の街屋敷タウンハウスや他の不動産、親族経営の商会や企業などの管理を押しつけてしまって申し訳ありません。わたくしが未熟なばかりに、小父様もお忙しいでしょうに、ご迷惑をおかけ致しますわ。でも、よろしくお願いしますね」

「あ、ああ。任せておきなさい。なあに、君も十七の小娘にしては、頑張っていたと思うよ。特に損失も出ていなかったし」


 さすが、商工会の役員を務め、男爵家の商会を切り盛りするだけのことはある、もう、マグニフィクス伯爵家の経理を確認しているのね。この熱心さなら、安心かしら。


「これから隣国のお祖父さんに会うんだろう? しばらくはうんと甘えて、孝行しておいで」

「はい。ありがとうございます。お優しい方だと良いのですが。孫だと認めてもらえるでしょうか」


 

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