第4話 委託と譲渡は違うとか、面倒くさいからやっぱり爵位返上ついでに令嬢やめちゃおう、うん


 小父様は、珍しくニコニコと笑顔で私を見送ってくれた。



 * * * * * * *



 昨夜、やっと領地に入り、深夜に荘園邸宅マナーハウスに着いたにも拘わらず、嫌な顔ひとつせず迎え入れてくれ、お風呂の用意も寝室も整えられていて、夜食も用意してくれた。


 使用人達は私がまだこの家の主人だと思っていて、あれこれと世話を焼きたがり、挨拶を交わす。

 面倒なことは早く済ませたかったので、荷物や就寝の準備はアルベリータに任せ、カロリーネと、陛下に派遣してもらっている執事達の総括ランド家宰(執事長スチュアート)と、元父の仕事場だった書斎へ向かう。

 書斎へ案内する家令(執事長ハウススチュアート)の顔色が優れないのが気にかかる。


「ニクラース? どうかしたの?」


 前を先導して歩く家令(執事長ハウススチュアート)のニクラースは、お父さまが伯爵位を継がれる前、お祖父さまの代からこの荘園邸宅マナーハウス──領地本宅を管理している家令で、私が生まれた時から父や私の生活上の色んな手配をしてくれた、じいやのようなもの。


「わたくしめが至らないばかりに、お嬢さまにご不便をおかけする事になったと思うと先代さまに申し開きようもなく、この命を以て償う事が出来ればと思う次第でして」

「は? どうしてそうなるの?」

家令殿スチュアート如きが命を絶ったところで、この伯爵家の現状が変わる訳ではありません。そのような泣き言でお嬢さまの同情を買うおつもりですか?」

「ちょ、カロリーネ? ニクラースは、何か勘違いしてるのよ。ね? ニクラース? わたくしが爵位を返上するのは、領地管理に失敗して借金があるとか、系列会社の経営に失敗したり権利を誰かに乗っ取られたとか、そんな訳じゃないのよ? ただ、わたくしには分不相応というか、力不足というか、伯爵らしく領民を導けないからで、むしろ、義務や責任から逃げてるのはわたくしで、ニクラースが悪い訳では⋯⋯」


 宥めようとしたけれど、肩で男泣き状態に。


「大旦那様や旦那様から預かった本宅の管理は、わたくしめもそれなりに精進して参ったと自負しております。奥様亡き後、家内の使用人達の管理も。ですが、お嬢様にそれらのノウハウをしっかりお教えすることが出来ず、また、お嬢さまが伯爵さまとして立派になられるまでお支えする力量をお見せすることができなかったのは、わたくしめの不明でございます」

「ええ~、そんな深刻にならなくても」


 とはいえ、建国から続く古き由緒ある伯爵家を私が終わりにすると言うのだから、使用人達を監督し財産管理を任される家令であるニクラースにしてみれば、自分を信用して貰えなかったから私が伯爵として努力するのを放棄したと思ったのかも。

 単純に、力不足で、領民を路頭に迷わせるくらいなら、王さまにお返ししようと思っただけなんだけど。

 無責任でいい加減な子供だと、自分でも思う。

 1年と少し、父の下で学んでみただけで、その手本がなくなったからと、努力もしてみないで逃げ出すのだから。


 この場にアルベリータが居ても恐らくは口を挟まないだろうし、カロリーネはニクラースが言うように、私が安心して伯爵として努力出来ずに爵位放棄するくらい彼にも一因はあると考えているみたいだ。


「お嬢さまをお連れしました」


 中から応えがあって、ニクラースが扉を開け、私、国選家宰、カロリーネの順に、元お父さまの書斎へ入る。


「クラウディア、よく来たね。さ、座って」


 マホガニー製の執務机にいた小父様が立ち上がり、私をローテーブル前の一人掛けソファに促す。

 ただ、ニクラース、カロリーネは、親の仇でも見るような鋭い眼で、このやりとりを見ていた。


 テーブルには、伯爵領での生産物や知的財産などを他国と交易する権利や伯爵家が筆頭株主の商会の経営権、王都の屋敷とこの邸宅の所有権などの委任状などが並べられていた。


 中身をさっと目を通して、サインをしようとして、家宰の青年が私の手からペンを取りあげた。


「この内容では、サインはさせられませんね」

「モーリッツ? 伯爵家の町屋敷タウンハウス荘園邸宅マナーハウスは私の鉱山の儲けから維持費を出して小父様に管理してもらうし、商会は副会長の小父様に会長職と貿易交渉権を譲渡する約束よ? 何も間違ってないわ」

「⋯⋯この証書は、お嬢様個人名義の鉱山を除く伯爵家の全権を白紙委任するようにもとれる書き方です。曲解すれば、伯爵位を譲位するとも言えなくもない。限りなく黒に近いグレーですね」

「そうなの? 公式な書類の文章って難しくてよく解らないわ。もっと単純な書き方ならいいのに。

 それに、伯爵家の全権をと言っても、領地と爵位はもう陛下にお返ししてきたのだもの、不動産と親族経営の商会を小父様に管理してもらうけれど、伯爵として振る舞うことは出来ないのだから、変なことにはならないわ。大丈夫よ」

「それでもです。こことここ。特にこの文言は削除、こちらも書き直してもらいます」


 お堅いなぁ。さすが、陛下の信頼する宮宰。


「そうです。私は、陛下から、お嬢様の個人資産と貴族社会におけるお立場や環境について健全にお守りするよう全権を以て任されているのです。この件に関しては、私の言葉は陛下の言葉と捉えて頂いて結構」


 そこまで言われては、小父様も反論も意見も出来ず、素直に作文し直していた。


「そもそも、『よく来たね』とはどういうお考えで発した言葉なのか。ここは、お嬢さまの邸宅で、お嬢さまこそが主人であるというのに」ボソッ


 モーリッツが何か小声で零したけれど、私にはよく聞こえなかった。その隣に二歩下がった位置で控えていたカロリーネには聞こえていたらしく、静かに頷いていた。


 最終的に、モーリッツが納得いくまで修正した結果最初と殆ど変わってしまって丸々書き直したものを三部作成して、その全部にサインをする羽目になった。

 一通は小父様が保管し、一通はモーリッツが宮宰の了承印を貰って陛下に届け、一通は私が保管することに。


「まったく、互いの了承の元提出するつもりだったとは言え、控えも用意してないとは。契約のなんたるかも判っていないのでしょうか? それでよく、商会の副会長を務めてこられましたね? それとも、わざとなのでしょうか? お嬢さまを世間知らずの小娘だと侮っていませんか?」


 モーリッツのイヤミ炸裂。


 小父様は赤い顔をして俯いてしまった。


 でも、前世十七年、今世十七年、合計三十四年生きているわりには、世間知らずなのは否めないし、まさか、本家の元跡取り娘をたばかるつもりなんて、いくら儲けが第一の商売人の小父様でも、そこまではないと思うけれど。


 でも、モーリッツと、ニクラースとカロリーネの小父様を見る眼は怖かった。



 * * * * * * *



 ──なんて出来事があったわりには、支度をする使用人達に迷惑なほど朝早く邸宅を出る私を、小父様はニコニコと見送ってくれたのだ。


 たぶん、部屋を出るときにアルベリータとモーリッツに確認のために訊いた言葉が、小父様のお気に召したのだろう。




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 ◆家宰(ランドスチュアートLandStewart)

土地・敷地・領地などの財産管理を任されている、執事達をとりまとめる上級使用人


 ◆家令(ハウススチュアートhouseStewart)

事務や会計を管理したり、他の雇い人を監督する使用人達の総括者


執事はお仕着せではなく、私服で紳士の装いを許されているgentle

(ただし、ネッカチーフや装飾品、ズボンはひとつ前の流行にするなど、主人を差し置かず一歩引いてわきまえる必要はある)

規模の小さい家門では、執事Butlerが家令Stewartを兼任することもある

更には、経済的に執事をおけず、従僕(footman)や侍従(Chamberlain)が執事の役割を担う家もある

 

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