第3話 自販機のボタンを横から押してくるやつ
「あれ何?」
お姉さんの興味はアスファルトの横に広がる他人の家の畑に向いていた。
「菊じゃないですか?」
赤紫色の細かい花弁が特徴的。
うちで育てていない植物には詳しくないが、菊だと思う。
「なあんだ、残念」
「何を残念がっているんです?」
「食べられないから」
「あー」
菊って普通は食べられないんだっけ。
そうだよな、食用菊っていう単語があるくらいだから、食べられない菊だってあるよな。
「残念でしたね」
しかし、わざわざこの盗っ人に「食べられますよ」などと教える必要はない。
他人の家の畑だし、みかんの二の舞になっても困る。
「んー? 今の間はなんだい?」
「間なんてありました?」
「あったよ、君」
「なかったと思いますけどね」
お姉さんは落ちていた菊の花弁を拾った。
「おいまさか」
食べた。
「んお」
「んおじゃないですよ」
「美味しいねぇ」
「食用菊でよかったですね……」
「なんだ、やっぱり食べられるんじゃないか」
だとしても生では普通食べないんだけどな。
「どんな味です?」
「爽やかな草」
「美味しいのかそれ」
「いいじゃない、素材の味」
素材の味って便利な言葉だなあ。
そう言われると、すっぱいみかんだって美味しいのではないかと思えてしまう。
「生からしか得られない栄養があるのよ~」
お姉さんは歌うように言いながらエアのジョッキをぐびっと呷った。
説得力が泡のように消える。
「腹減ってるんですか」
「食べれるときに食べておかないとねぇ」
冬眠前の熊じゃないんだから。
俺たちは古くなったアスファルトの上を歩いて行く。
当然だが、九月の昼間は容赦なく暑い。
晴れなくていいのに晴れている。雲一つない。
跳ぶように歩いていたお姉さんの姿勢は、進化論を逆行するかのように肩を落としていった。
照りつける夏の太陽に肌を焼かれながら、後戻りには遅すぎる散歩が続いていく。
「流人くん」
「急に名前で呼んできますね」
「お姉さん、干からびちゃうよ」
「……公園で休みましょう」
元々、公園は休憩ポイントにするつもりだった。
少し歩くと畑の
その先には申し訳程度に行政の手が入った緑地公園がある。
水飲み場もあればベンチもあるし、自販機だってある。
だだっ広い芝生の途中にぽつんと置かれたアスレチックや、ただ囲われているだけのドッグラン。
緑地公園と聞いて想像できるだけの設備がとりあえず揃っていた。
もちろん、誰もいない。
「ひえー。貸し切りだ」
「平日の昼間ですからね」
「老人たちは?」
「ジジババは銭湯の裏にあるゲートボール場に行きます」
自販機の飲み物は売切が目立つ。
「私コーラがいい」
「いいですね。俺はお茶にします」
小銭を入れてお茶のボタンを押そうとしたら横から手が伸びた。
――ガゴン。
コーラが落ちてきた。
「うひひひ」
「…………」
高校生の飲み物を横取りしておきながら下品に笑う。
この人、普通に嫌だわ。
「……まあ、いいですけど」
冷たい飲み物を手にして木陰のベンチに座る。
お姉さんの小指には持ってきていたみかんが刺さっていた。
「ぷはあ~! みかんに合うねぇ~」
コーラもみかんも……。
「お姉さんっていつもそんな感じなんですか」
「そんな感じ?」
「クズというか、ろくでなしというか、不適合者というか」
「お? オブラートはどこにいったのかな?」
「包みきれませんでした」
お姉さんはけらけらと笑った。
「私は君の方が不思議だけどねぇ」
「いやいや、自分のことを棚に上げないでください」
「上げてない上げてない」
「上げてますよ」
「だって、私クズでしょ?」
「自覚あったんですか」
このタイプは無自覚ナチュラルクズだと思っていたのだが。
「クズだって分かってるのに、付き合ってくれるわけでしょ? 君の方がおかしいよ」
「えっと……俺、おかしい人におかしいって言われてます?」
俺ほど冷静でまともな人間も少ないはずなのに。
「怒らないし、逃げないし、警察にも行かない」
「はあ」
「おかしい」
「急にまともなこと言われると怖いんですけど」
「だから、つけこんでるってわけ」
「余計にクズだった」
ちゃんと人を選ぶあたりまっとうにクズじゃないか……。
お姉さんに良心を期待した俺が馬鹿だった。
コーラを呷り、ふひひ、と酔っているような笑い方をする。
ゴミ箱にみかんの皮を放る姿を見れば完全復活だった。
「まだ歩けそうですね」
「帰るでしょ?」
「いや、まだです」
「えっ」
緑地公園は休憩ポイントでしかない。
「帰る帰る帰る帰るー」
いい大人がだだをこねるな。
「つけこむつもりなら、最後まで付き合ってくださいよ」
「やだぁ」
「まあ、それでもいいですけど」
「もしかして、美味しいものを食べに行こうとしてる……?」
お姉さんの目に光が宿った。
まだ何も言ってないのに。
「連絡所ですよ」
「……連絡所?」
「言い換えるなら町役場とか……まあ、役所ですかね」
「ほう。そこに美味しいものがある、と」
なんで確信してるんだ。
妙に鼻が利くんだよな、この生き物は。
「パンの出張販売の日なんで」
「パン!!」
……びっくりした。
急に叫ばないでほしい。
「パンですけど」
「食べたかったのよ~」
「都会と違ってパン屋なんかないですもんね」
「都会と違って?」
「塔花さん、都会から来たんですよね?」
違うのか?
「あー」
と、唸る。
目が泳いでいる。
なんて答えようか迷っているというよりかは、正しい答えを探しているような。
「都会って、どっから都会?」
ああ、たしかに。
真面目に答えようとしていたのか。
イオンがあれば都会だと思っている俺からしたら、イオンがあれば田舎だと思っている人とは話が噛み合わない。
「パンが食えれば都会ですよ」
「ほほう」
「行きます? 奢りませんけど」
「……試食って、あるかなあ?」
「ねぇよ」
「んぎゃあ」
尻尾でも踏まれたのか。
お姉さんはバタリとその場に倒れた。
死んだふりしたって奢らないぞ。
「まさか金ないんですか?」
「えへへ」
「仕事とか、食事とか、普段どうしてるんですか」
「えへへへへ」
この人、酒飲んでる場合じゃないだろ。
みかんで済んでいるうちはいいけど、いつか本当に……。
ああ、そうだ、クズだもんな。
何したっておかしくないよな。
「……一個だけなら」
とんでもない事件を起こされるよりはマシだ。
「さすがだよ、少年! 私は君を信じていた!」
「うるさ」
「ごちになります!」
「俺、高校生なんですけどね……」
「お小遣い? ……にしては、お金に執着なさそうだねぇ?」
やり返されたな。
「執着してたら金返してくれます?」
「え~返しちゃったらクズじゃなくなる~」
「なくなれよ」
なくなれ。
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