第2話 ウォッカがあればスクリュードライバーだよ
「よーぅ」
生け垣の上から顔を出したお姉さんは、既にその手にうちのみかんを持っていた。
「どうやって拾ったんですか」
「昨日のうちに確保しておいたのさ。賢いでしょう」
ずる賢いんだよな。やり方が。
「うちのみかんだって無限にあるわけじゃないんですからね」
「でも、木はいっぱいあるよ?」
「みかんだけじゃないんで」
「あら、そなの」
「みかん、桃、梅、柿、キウイですね」
縁側から見えるのは、みかん、梅、桃の木。
柿とキウイは裏の方にある。
「四季折々だねぇ」
「冬の果物はないです。雪積もるし」
「じゃあ、今のうちに食べておかないと」
「だからうちのやつなんだよなあ」
お姉さんは顔を引っ込めた。
生け垣と石塀に囲まれたうちの結界をぐるっと回って正面から堂々と入ってくる。
普通の人なら少しは躊躇してもいいのに、この人は勝手に入った挙げ句みかんまで持っていくからな。
「おじゃまします」
「本当に邪魔ですよ」
「ややっ、お姉さんに用はないと?」
「……ないですね」
なんであると思ったんだ。
毎日毎日、隣の男子高校生に絡んでいったい何が目的なのか。
いや、みかんか?
腹が減ってるのか?
だからなんだ。駐在さん呼ぶぞ。
「そういえば、俺、お姉さんの名前知らないんですけど」
「奇遇だねぇ。私も君の名前を知らない」
奇遇じゃない。教えたくなかったのだ。
冷静に考えると、さっさと駐在さんを呼んでおくべきだったのかもしれない。
縁側に並んで座る。
みかんを差し出されたから受け取った。もちろん、うちのみかんだ。
冬のみかんと違って皮が少し固い。
小指でいくと本当に突き指しそうになる。
分かってはいるのだが、隣のお姉さんが小指でいくので真似してみたくなる。
「小指が鍛えられそうですね」
「指切りが上手くなるよ~」
「そうですね」
本気で思ってそうなんだよな、この人は。
ああ、そうだ、自己紹介だった。
「
「へぇ、かっこいい。神様だ」
「この地域、神が苗字に入る姓多いんで」
「そうだったの?」
「神林、神田、
土着の神がいる農村にはありがちな苗字だ。
「私の名前、知りたい?」
「知りたいですね」
「五十嵐塔花でーす」
「イガラシ?」
「五十に嵐って書くの。知らない?」
「いや……知ってますけど。珍しいですね」
「そうかな?」
隣の家の苗字なら知っている。
俺が生まれた時から隣の家の表札はずっと五十嵐だ。
「塔花さん、どこから来たんですか」
「名前で呼ぶねぇ」
「嫌ならお姉さんって呼びますけど」
「五十嵐は嫌いかな?」
「なんか、違和感あるんで」
べりっという音がした。
お姉さんのみかんが剥がれた。
俺もみかんを食べる。
早くに落果したみかんは甘みが弱く、そんなに美味しくない。
すっぱいな。早く落果したにしても出来が悪い。
まあ、特に管理もされていない個人宅のみかんなんてこんなものだ。
「美味しいみかんだねぇ」
「……ありがとうございます」
「君を褒めたわけじゃないよ?」
「みかんに話しかけたとは思いませんでした」
「君は美味しいねぇ」
みかんに話しかけながら丸っと口に放り込む。
話しかけた相手に隙を与える間もなく食ってしまうサイコパス。
「気になる?」
口をもごもごさせながらお姉さんは聞いてきた。
気になる、か……たしかに、改めて聞かれると、そんなに気にならないな。
別にこの人がどこから来たか分かったところで、みかんの盗難対策になることはなさそうだ。
なんなら名前もわりとどうでもいいかもしれない。
「気にならないですね」
「本当に?」
「まあ……はい」
「お隣から来ましたぁ」
だからいいって言ったのに。
「よーし、今日は自己紹介会をしないかい」
「かいかいかい……」
「少年、どこを掻いてほしいのかな?」
「かゆいわけじゃない」
みかんの汁にまみれた手が迫ってきたから撥ねのけた。
何回かいかい言うのかと思っただけだ。
「名前は知れたわけですし、まだ何かあります?」
「好きな食べ物とかあるでしょう?」
「どうでもいいですね」
「私はみかんが好きでねぇ」
「いや知ってますよ」
「桃があればファジーネーブルが作れる」
なんだそれは。
そんな洒落た名前の物はこの田舎にはない。
「レモンとライムがあればスコーピオン」
「サソリ?」
「カシスがあればカシスオレンジ」
「そりゃそうでしょうよ」
「ウォッカがあればスクリュードライバーだよ」
「酒の話かよ」
この人、いつも酔ってそうなんだよな。
「酒、飲むんですね」
「君は飲まないみたいだねぇ」
「未成年なんで」
「田舎なのに」
「偏見が過ぎる」
飲んでるやつがいるのは知っている。
ただ、このご時世、色々うるさくなっているようで大っぴらに飲んでいるやつはいない。
昔はおつかいという名目で酒屋も酒を売ってくれたらしいが、中学の先生に殴り込まれてからは売らなくなったそうだ。
殴り込みが比喩かどうかは俺には分からない。
「たぶん、カクテルの話ですよね」
「お、興味ある?」
「カクテルなんて出してる店、この辺にないですよ」
「ないねぇ。飲みたければ作らないと」
都会から来たのだろうか。
そうか、カクテルって自分で作れるんだ。
お姉さんはすくっと立ち上がった。
「あれ、帰るんですか」
「おや、帰ってほしくないと」
「いつも麦茶を要求されるので」
「みかんと合わせると不味いんだもん」
「ついにやめたか」
五回は飲まれただろうか。
いつも不味いって言うから次は水を出してやろうと思っていた。
「お酒はあるかい?」
「ねぇよ」
「ないかぁ……」
こっちは未成年だってのに。
「ん? なんでないの?」
珍しく、お姉さんがまともに驚いた。
「なんでって。俺、高校生ですけど……」
「君はそうでしょうけど、親は?」
「ああ、なるほど」
俺は家の中を振り返る。
お姉さんも茶の間の向こうに視線を投げる。
障子張りの襖の向こうには廊下が続いていて、その先には居間と台所がある。
――――ボーン、ボーン、ボーン…………。
壁掛けの古時計が仰々しい鐘の音を鳴らした。
うちの祖父さんは、この時計をボンボン時計と呼んでいた。
「九回鳴りましたね」
「もしかして、九時ってことかな?」
「そういうもんです」
朝早くからご苦労なことだ。
「俺、散歩に行きますけど、どうします?」
「行く行く」
「え、来るんですか」
「だってコンビニ行きたいもん」
「そんなものはない」
「ひえっ」
田舎をなんだと思ってるんだ。
そんなことも知らずによく棲みついたな。
「行きますか」
縁側の下からサンダルを引っ張り出して放る。
そのまま庭に出る。
「こら、少年。不用心ではないか」
「ん?」
「鍵だよ、鍵」
「ないですけど」
「ほわー。そういうもんかね」
正確には、ないわけではないけど。
内側から鍵をかけることはできる。
でも、外からは無理だ。
たぶん探せば家の中にあるはずだが、鍵はなくしてしまった。
「どうせ誰も盗むやつなんていないですよ」
「そうだねぇ」
お姉さんは落ちていたみかんを拾った。
「不用心、不用心」
まあ、いたとしてもこんなのだから。
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