だるそうなお姉さんが、うちの庭のみかんを勝手に拾う
風深模杳
第1話 お姉さんは、うちの庭のみかんを勝手に拾う
「やあ」
庭の掃除をしようとしたら、お姉さんがいた。
やあ、じゃない。
その手に持っているものは、みかん。うちで育てているやつだ。
「いやね。落ちてたから、腐る前に食べなきゃね」
彼女はいつもだるそうな見た目をしている。
みかんを勝手に拾うことを悪いとは思っていないのか、どうせ俺が許すと思っているのか、何も考えていないのか。
取って付けたような言い訳をするところも含めて、なんだか怒るに怒れないような相手だった。
「あの、せめて一声かけてくれませんか」
「まあまあ、いいじゃないの、少年。私とキミの仲でしょうよ」
盗っ人が言っていいセリフじゃないけどな。
ちなみに俺とこの人には、関係性を説いていいほどの関係なんてものはない。
お姉さんは縁側に座った。
この人が勝手にうちの縁側に座るのは、これで五回目だ。
つまり、この夏、お姉さんはうちのみかんを五個も勝手に拾ったことになる。
もしかしたら六個か、七個か、あるいはもっと拾われている可能性もある。
うちのみかんは毎年一〇月頃が収穫期になるが、成長の早い実は九月には落果してしまう。
めざとい人だ。
落ちればすぐに拾うのだから。
目を離すと何をされるか分からない。
仕方なく俺も隣に座ることにした。
「いただきます」
お姉さんは小指をみかんの皮にずぶりと刺した。
この人、みかんの皮を剥くときはいつも小指でいく。
「なんで小指なんですか」
「細いからねぇ」
「刺しやすいってことですか?」
「刺しにくいよ。突き指しそう」
「じゃあ、なんで」
「一番どうでもいい指だからかなぁ? 小指でやることある?」
この人は何を言っているんだ。
一応、考えてみる。
小指でやること……。
すぐには見つからない。
「ないでしょう? 指切りげんまんくらいしか」
「あるじゃないですか。約束は大事ですよ」
「いいのいいの。約束なんて、どうせ破るんだから」
べりっ。
みかんの薄皮が剥がれた。
お姉さんは、もそもそとみかんを食む。
「俺、お姉さんとは何も約束しないことにします」
「えー? 約束してくれないと、破れないじゃない」
「いや、やめてくださいよ」
「そう言わずにさ。何か約束しようよ」
みかんの汁のついた小指を差し出してくる。
俺、この人のこと普通に嫌だな。
「……あの、汚い」
「汚いかあ」
その小指を自分の口元に持っていったので、俺は即座に手首を掴んで止めた。
「舐めようとしましたね」
「汚いって言うからぁ」
「そのままの方が絶対にマシなんで。うちに二度と来ないっていう約束なら、指切りしてもいいですよ」
「ほほう。いいでしょう、少年。約束してあげます」
なんで上からなんだ……。
小指を差し出したら、ノータイムでべたっとした感触が絡みついた。
「指切りげんまん、嘘ついたら、はりせんぼん飲ますー。指切った」
「これで……」
「私が飲むとは言ってませ~ん」
「ネタバラシのタイミングおかしいだろ」
「ねぇ、麦茶ある?」
「はいはい……」
麦茶の一杯くらい仕方ない。
断ったら勝手に家に上がられそうだ。
茶の間を突っ切って台所に行く。
ついでに手を洗う。
冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ。
俺の分はとりあえずいいや。
お姉さんの分だけ持って縁側に戻ることにした。
さっきまで俺が座っていた場所にみかんの皮が放ってあった。
だらしない後ろ姿だなと思う。
長い髪をやけに低い位置で束ねてあって、俺はそれをポニーテールと呼んでいいのかわからない。
ファッションじゃなければ、上で結んだものが緩すぎて下に落ちてきているんだと思う。
ファッションなわけないか。
だるだるのタンクトップとワゴンセールから拾ってきたような長いスカートにこだわりがあるとは思えない。
「あー、持ってきたぁ?」
両手を後ろについて、反るように俺を見る。
無防備で、腹が立つ格好。
昼間から酔ってんのかな。
「……一杯だけですよ」
「やりい」
お姉さんは立ち上がって俺から麦茶を受け取る。
腰に手を当てて、風呂上がりの牛乳みたいに勢いよく飲んだ。
「ぷはあ~! みかんと合わねぇ~!」
そうでしょうよ。
「眠くなっちった。帰るね」
「……はい」
「んじゃー」
帰り際、庭に落ちているみかんをさっと拾う。
ぽーん、と上に投げて、キャッチして、こっちを見もせずに手を振って帰って行く。
「また明日ね~」
……俺、明日もこの人の相手しなきゃいけないのか。
普通に嫌だな。
落ちたみかんを回収しておけという話なんだけど。
色々来るんだよな。
鳥とか、人とか。
生け垣の向こう、隣の家に入っていくお姉さんが見えた。
二階建ての、そこそこ横に広い田舎の一軒家だ。
うちも含めてこのあたりの家はだいたいそう。
あの人が初めてうちに来た日、俺に聞いた。
「君、学校は?」
夏休みなので、と俺は答えた。
「そっかあ。高校の夏休みにきれいなお姉さんに会う。一夏の良い思い出だねぇ」
そうか、良い思い出なのか、と思ったのだけれど。
今のところ、良いことは何もない。
八月が終わったばかりの俺の嘘を、お姉さんは何も疑わなかった。
うるさいのがいなくなったせいか、セミがじわじわと鳴き出した。
セミは一匹鳴き出すと、周りのセミもつられて鳴き出すと聞いたことがある。
田舎の夏は一気にうるさくなった。
小指で割かれたみかんの皮を拾う。
はあ、とため息が出る。
夏休みなんて言わなければ、こんなだる絡みされることもなかったのだろうか。
俺があの人について知っていることは――。
いつの間にか隣の家に棲みついていたということと、うちのみかんを勝手に拾って食うということだけだ。
だるそうなお姉さんが、うちの庭のみかんを勝手に拾う 風深模杳 @kazamimoyo
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