第4話 どっちが私の?

「流人くん」


 三角巾にエプロン姿の女性がにこやかに微笑んだ。

 週に一度、連絡所のロビーに出店するパン屋さん。

 彼女は都会の厨房の格好そのままに田舎でパンを売っている。


 折りたたみの簡易テーブルの上にクリーム色の番重が並ぶ。

 所狭しと敷き詰められたパンを見ると、まだほとんど買われていないようだ。

 朝早いせいで客はまだ少ない。


「こんにちは、米田さん」


 パンを売るのに米田さん。


「そちらの方は?」

「五十嵐です~」


 パンが食えるからお姉さんはニコニコだった。


「初めまして、五十嵐さん。よかったらパンはいかがですか?」

「いただきまあす!」


 お姉さんは並んでいるパンに駆け寄った。

 端から端まで目を走らせている。

 飢えた獣のようだ。控えめに言って怖い。


「とりあえず、俺は連絡所に用があるんで」

「あ、そなの?」

「そりゃそうです。連絡所に来たんですから」

「ふーん?」

「米田さん、帰りに寄るので」

「はーい」


 ロビーを通り過ぎようとすると、後ろをお姉さんがついてきた。


「パン、見てていいですよ」

「だってぇ、お金ないしぃ」

「今さら何言ってるんだ……」

「私、人見知りでぇ」

「くだらないこと言ってないでパンでも見ててください」


 と、言ったのにまだついてくる。


「なんでついてくるんです?」

「連絡所って何かと思って。気になるじゃない?」

「…………」


 役所だって言ったんだけどな……。


「来ない方がいいですよ」

「え、なんで?」

「村の人がいるんで」

「はあ」

「会わない方がいいです」


 むっ、と怪訝な顔をされた。

 仕方なく捕捉する。


「……色々聞かれると思います」

「隠すことなんてないよ?」

「本当ですか?」

「お姉さん、フリー素材だからねっ」


 今どきギャルでもやらないようなピースを向けてくる。


「うざ」


 カメラロールに入れておきたくない腹が立つ笑みだ。


「なんでよー」

「まあ、気分いいものじゃないと思いますけどね」

「よそ者扱いされるから?」

「わかってるじゃないですか」

「こわーい」

「じゃあ、また後ほど」


 今度こそ俺はお姉さんを置いてロビーを抜けた。


 連絡所には、役所の窓口と簡易郵便局がある。

 上の階は会議室のようになっているが、仕事よりも子ども向けのレクリエーションをやっていることが多い気がする。


「あらあ、流人」


 連絡所に入るなり窓口の奥から声をかけられた。

 受付をやっている婆さんだ。


 顔なじみなので俺は流人と呼ばれる。

 ややこしいことに彼女の苗字は神田だ。


 まあ、村の人にとっては「神」が付く苗字の人はだいたいみんなややこしい。


 名前はサクなので、サクさんと呼ばれている。


「サクさんも元気そうで」

「ちゃんと食べてるんか?」

「食べてますよ」

「あんた、生協解約したでしょう」


 田舎はすぐに噂が回ってしまう。

 

「……しましたけど」

「大丈夫なんかい? 商店街にも顔出さないって聞いたよ」

「いや、通販あるんで」


 だいたいお節介トークから始まるんだよな。

 心配してくれているのは、わかるけど。

 

 それに比べたら、お姉さんはクズだけど気楽かもしれない。


「あの、住民票欲しいんですけど」

「住民票? お金かかるんよ?」

「知ってます」

「何に使うんね」


 ちなみに田舎にプライベートというものもない。

 たぶん、言わないと出してくれない気がする。


「仕事です」

「はあーん?」


 大仰なリアクションをされた。


「……マイナンバーのやつ、なくしちゃったんで」

「はあー。頭いいんだわ」

「え?」

「今の子はパソコンで仕事ができるんだってねぇ」

「…………まぁ、はい」

「都会の仕事だわ」


 あなただってパソコンは使うだろうに……と思うのだけれど。

 本気で思っているのか、褒めているつもりなのか。


 昔、ゲームをやっているだけで同じようなことを言われた気がする。

 天才だとか将来有望だとか。

 だからこういうコミュニケーションは真に受けない方がいい。


 俺は住民票を受け取った。

 世帯主、続柄、本籍、個人番号。

 省略してほしかった情報まで全部載っている。


「ちゃんと食べるんよ」

「はい」

「三食だよ」

「食べますよ」


 目的を達成したのでロビーに戻る。

 ロビーには米田さんしかいなかった。


「あれ? お姉さんは?」

「そっちの、飲食スペースに」


 簡易テーブルの上に、艶のないみかんが一個置かれていた。


「そのみかん……」

「五十嵐さんと交換したの」

「え、交換? まさかパンですか?」

「そう。オレンジピールのくるみパン」

「いや――――」


 それ、うちの庭に落ちていたみかんなんですけど――。


 言いかけて、飲み込む。

 にこにこ嬉しそうに笑っている米田さんが不憫だ。


「……パン、ください」

「はーい。何にする?」

「あんパン、何あります?」

「今日はホイップのやつと、うぐいす。いつもの粒あんとこしあんもあるよ」


 お年を召された客が多いからあんパンは人気らしく、いつも色んな種類がある。


「粒あんで」

「粒あんね」

「あと、サンドイッチ。ポテトサラダのやつで」

「はーい。350円です」


 400円を出す。


「お釣りいらないです」

「あはは。かっこつけないでよ」


 ビニール袋の中にパンと一緒にお釣りを入れられてしまった。

 ぎゅっと手を握って押しつけられる。


「あ、いや」

「おまけにミニクロワッサン入ってるからね」

「あ、はい……ありがとうございます」

「またお待ちしております~」


 かっこつけてると思われたのか……。


 オレンジピールのくるみパンに落ちていたみかんだけでは釣り合わない。

 だから、せめてもの対価にと思っただけなのに。


 飲食スペースに移動する。

 パイプ椅子に囲まれた丸テーブルが三つと、自販機がある簡易的な飲食スペースだ。


 お姉さんがパイプ椅子に座り、オレンジピールのくるみパンを大事そうに両手で持っていた。


「食べないんですか?」


 あ、俺を待っていたのか?


「コーヒーが欲しいなあ」


 そうだよなあ。コーヒーを待っていたんだよなあ。


「オレンジピールにコーヒーは合うんですか?」

「大丈夫、レーズンも入ってるから」

「そうですか」


 微糖の冷たい缶コーヒーを2本買う。


「へい」


 と、お姉さんが手を挙げた。


 失敗しても知らんぞ……。

 缶投げの技術に自信はなかったけど、求められているので投げてやった。


 缶コーヒーは山なりに飛んで行く。


 お姉さんは見事に片手でキャッチして、そのまま流れるように開栓してしまった。

 手慣れてやがる。


 お姉さんはコーヒーをぐびっと一口飲むと、けらけら笑う。


「あまったる~い」


 文句言うな。


 俺も向かいのパイプ椅子に座る。


「何買ったのー?」

「サンドイッチとあんパンです」

「へー。どっちが私の?」

「どっちも俺のです」

「えー。買ってくれるって言ったじゃーん」

「仕方ないな」


 サンドイッチを半分あげる。

 三角のサンドイッチは2つセットになっている。

 分けるつもりはなかったけど、分けるにはちょうどよかった。


「これ、何サンドイッチ?」

「ポテトサラダです」

「うまいの?」

「え、うまいでしょ」


 ポテトサラダのサンドイッチを知らないのか……?


「ふーん?」


 お姉さんは一口で半分いった。


「いい食いっぷりですね」

「おいひい」

「でしょう」


 そういえば、この人みかん以外も食べるんだな。


 ポテトサラダのサンドイッチは二口でお姉さんの胃におさまった。

 微糖のコーヒーで流しこまれる。


「コーヒーに合うねぇ」

「合うんだ」

「あんパンはどうかな~?」

「分かりきった答えを求めないでください」

「えーいいじゃん」

「仕方ないな……」


 一口分だけ千切ってお姉さんに渡す。

 もちろん、お姉さんの一口ではなく俺の一口サイズだ。


「粒あんだ。私、こしあん派なんだよね」

「文句言うな」


 ぽいっとお姉さんのでかい口にあんぱんが消えた。


「おいひ~」

「コーヒーには合いそうですか」

「合う合うー」


 続いてオレンジピールのくるみパンを手に取る。

 かじりつこうとして、止まった。


 お姉さんは俺をちらっと見てから、すごく苦しそうに一口分ちぎった。


 俺の一口ではなく、お姉さんの一口サイズだった。


「その半分でいいです」

「ほんと!? うひひ」


 お姉さんはちぎったパンを半分かじって差し出してくる。


「はい、どうぞ」

「…………ありがとうございます」

「うむ。おいしい」


 貰っておこう。お姉さんの歯形付きだけど。


「ていうか、意外です」

「意外? 何が?」


 そもそも目の前でかじって渡すのは善意か否か。

 善意、だとして。


「そういう気遣い、できたんですね」

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