おっさん、助ける
「とりあえず、助けるか」
なんだかよくわからない状況だけど、目の前で明らかに困っている人……人?
とにかく、困っているやつがいるなら助けないと。
幸い、俺は怪物退治に一家言あるんだ。
「15年ぶりだけど――」
全身に魔力を巡らせ、身体能力を強化。
一歩、二歩。助走をつけて、地を蹴りつける。爆発的な脚力よって一足に跳び上がった先は、化け物大ダコの眼前へ。
ギョロリとした目を備えたその顔を、思いっきり踵で蹴り落とす!
「――この程度なら、
『ギュルルルル!?』
巨体を地面へと叩きつけられた大ダコが悲鳴のような声を上げた。
同時に、拘束されていた犬耳の少女が解放される。
空中で。
痛みで触手が暴れる拍子に、盛大に放り投げられた少女が空高く天を舞った。
「な、なんじゃあああああ!?」
絶叫しながら落下する犬耳少女。
このまま地面に叩きつけられるとただでは済まなそうなので、俺は再び地面を蹴って跳び上がり犬耳少女を空中で抱き留めた。
…………ぬめりとした感触がする。
タコの粘液だろうか。最悪な抱き心地だった。
「な、え、え?」
腕の中で困惑した様子の犬耳少女。
彼女の視点からすると、さっきまで大ダコに宙吊りにされていたところ、突然に空を舞うことになり、気がついたら知らない男に抱えられているという状況だ。
混乱するのも無理はない。
俺は少女を安心させるために、努めてにこやかな笑みを作って声をかけてやった。
「怪我はないか?」
「う、うん……って、わ、わらわ今男に抱かれて、あわ、あわわわわわわわわ」
安心した、と思いきや。
今度はこの状況に羞恥心を感じているのか、顔を赤くして慌て始める犬耳少女。ずいぶんと賑やかなやつである。
さっさと下ろしてやるか。
「こ、こんな、このわらわがこんなか弱い女の子みたいな扱い……で、でもこの人間、よく見たら結構かっこいいかも……筋肉もすごくて、安心感があって……い、息が苦しい。頭が、ぐるぐるとまとまんなくてうだって……これって、もしかして一目惚れってやつでは? に、匂いは、くんくん……っ!?」
何やらぶつぶつと言っていた犬耳少女が、突如としてびくりと大きく体を震わした。
「くっさ! くっっっっっさ! くさいのじゃ!! この男、すっごくくさい!! ゲロみたいなニオイがプンプンするのじゃああああああ!!!!」
腕の中でじたばたと暴れ出す犬耳少女。
「お、おい! 暴れるな、落ちるぞ! ぐっ、くそ! ただでさえぬるぬるしてて滑るのに……!」
「くっっさいのじゃー!! この男、くさいのじゃあああ!!!!」
「だから暴れるなって! そもそも臭い臭いって、誰のせいだと……誰のゲロだと……!!」
「いやじゃああああ!! くさいのが移るのじゃあああ!!!」
「いい加減、その辺に……あっ」
「へ?」
やっべ、手が滑って離しちゃった。
「お、落ちるのじゃあああああああ!!!!!」
だから暴れるなって言ったのに。
しかしもう、どうしようもない。過去に異世界を救った俺でも、さすがに空中で自由に動くことなんてできない。
俺の手を離れて落下を始めた犬耳少女を、再び空中で捕まえるなんて無理だ。
なぜなら人間は空を飛べないから。
つまり彼女の人生はここで終了である。詰みである。今際の際という事態である。
異世界にいた影響で人の死には慣れているけど、目の前で人が死に行くのは何度見ても嫌な気持ちにさせられる。
「だから暴れるなって言ったのに……」
「――! ――――! ――!」
「え、生きてる……」
俺は驚愕した。
運悪く真っ逆さまに落下した犬耳少女は、頭から地面に突っ込んで、あろうことか頭丸ごとめり込んだ。
地面に思いっきり突き刺さった。
これには『そうはならんやろ!』なんて思うところ。
だけど、現実として『なっとるやろがい!』と言う他ない事態。
ちなみに地面はアスファルトだ。おかしい。
それに輪をかけておかしいのは、なぜか犬耳少女が生きているっぽいということ。
地面から抜け出そうと元気にもがいている。
いや、生きているのは喜ばしいことだ。それは間違いない。だけど、あの高度から落下して頭を地面に打ちつければ普通は死ぬ。俺のような特殊な存在でない限り。
「なんだこれ、さっきからすべて……何もかもがおかしい。ここは日本だよな? パンツ丸出しだし」
犬耳が生えていて落下しても死なない少女。
大きめのTシャツをワンピースのような感覚で一枚だけ着ているという服装なので、ひっくり返って地面にめり込んでいる現状、下着が丸出しである。
あと、ちゃんと犬っぽいふさふさの尻尾も付いてた。
そして近くには、踵落としを食らわせて地面に叩きつけてやった大ダコがノビている。
異世界での経験からして、かなり強めの怪物であると判断したのでそこそこ本気でぶっ飛ばしてやったのだ。
気絶している様子なので、しばらく起き上がることはないだろう。
どちらも、あまりに現実離れした存在だ。
知らぬ間に再び異世界に召喚されたのかと疑ってしまうけど、周囲の景色がここが日本であると主張する。
「とりあえず……」
考えるのは後にしよう。
というか、この犬耳少女が生きているなら事情でもなんでも直接聞けばいいことだ。
俺はじたばたともがく少女の足を掴んで、地面から引っこ抜いた。
「――ぷぁ!? し、死ぬかと思ったのじゃ!!」
「俺もそう思ったよ」
「! くさい人間!!」
「……やっぱ、このまま埋めておこうかな」
「や、やめるのじゃ! 生き埋めは嫌なのじゃ!!」
「冗談だよ」
地面から引っこ抜いた犬耳少女を地面に下ろす。
正面から向かい合うような立ち位置で、今更になってその姿をちゃんと見ることになった。
ふわふわした感じの明るめの茶髪は、肩に届かないくらいの長さ。頭頂部には特徴的な犬耳。
顔立ちは可愛い系の美少女と言って差し支えない感じ。
身長は140の中盤くらいだろうか。
全体的な印象としては背が低めな中学生って感じだな。悲しいことに体に起伏はまったくない。
ちなみに大ダコの粘液まみれである。
ゲロを吐くわ粘液でドロドロになるわ。せっかく美少女なのに、これでは台無しである。
「くさい人間。どうやら、わらわを助けてくれたようじゃな」
「俺は佐野雪村だ。くさい人間とか言うな」
「あ、うん。ごめん。……おほん、ともかく感謝する。わらわとしたことが、不覚をとってしまっての。失態じゃ」
なんか、古風な話し方をする娘だな。
どこの方言なのかわからないけど、自分のことを『わらわ』とか、時代劇のお姫様みたいだ。
で、彼女は不覚とやらを取ってあの大ダコにいいようにやられてしまっていたらしい。
なんとなく自信を思わせる口調から、不覚を取ることがなければ問題なかったと言わんばかりだ。実際、彼女の身には怪我一つ見当たらない。
盛大にゲロったのは三半規管が狂わされて酔っただけ。高高度から地面に落下したにも関わらず無傷。
それに今こうして相対してわかる。
この子、異世界の基準でもかなり強いわ。隣でノビてる大ダコと同じか少し上くらいの力を感じる。
「…………その犬耳とか、落下して地面に激突しても無傷な頑丈さとか。君は何者なんだ?」
「おっと、そういえばまだ名乗ってなかったの!」
少女はにやりと笑うと、やおら腕を組んで堂々とその場に仁王立ちする。
そうして、もったいぶるように口上を披露した。
「――時は平安、生まれは京。かの
…………なんか、情報量が多いな。
「えーと、小夜姫?」
「うむ! ユキムラは恩人じゃから、特別にわらわの名前を気安く呼んでもよいぞ!」
「あ、うん。ありがとう。それで……」
いろいろ聞きたいことがあるけど、とりあえず聞かなければいけないことが一つある。
「……小夜姫って、悪いやつなんだ?」
「そうじゃよ? わらわはなんと言ったって、
「……そっか」
――ここで突然だが、俺にはある特殊能力がある。
異世界に渡った際に魂が補強される過程で獲得した、その力の名は【
命名は俺。
いわゆる魔眼と称される類系の力の一つで、俺の左目に宿るこれは他者のカルマ――善性たるか、悪性たるかを視覚にて判別するという能力を持っている。
善性の者は白いオーラをまとい、悪性のものは黒いオーラをまとう。どちらでもない者は、灰色のオーラを。
そんな感じで、俺の目はカルマを見破る。
これらの色は善か悪に偏っていればいるほどより白く、あるいはより黒くと濃さを増す。
異世界で身につけた力はこの世界では基本的には無用の長物でしかないけど、この【業眼】に関してはなかなかに使えるもので、他者を信頼できるかどうかなどの判断基準として重宝してきた。
ちなみにこれを使うと左目が透き通るような青に光る。
かっこいい。
「くふふ、怖いか? 何、恥じることはない。ユキムラの前に立つのは、
「いやー、こわいなー」
「! くふふ! くふふふふふふふ!」
喜びを隠しきれないように口もとをによによとさせ、ドヤ顔で仁王立ちする自称大悪党な小夜姫。
平安だとか、鬼だとか。
どこまでが本当なのかわからないけど、彼女の特異性を考えればきっと本当のことなのだろう。
…………ある一点を除いて。
だって、小夜姫が自分のことを何と称したところで、俺の左目を誤魔化すことだけはできないのだ。
なにせ彼女は――
「白すぎる。白すぎて、もはや何も見えない」
――俺の今まで見てきた中で、最高峰にカルマが善に偏った並の聖人よりも真っ白な少女であったので。
「……悪ぶりたい年頃かあ。あるよね、うん」
「ん? ユキムラ、何か言ったかの?」
「いや、怖いなあって」
「! そうじゃろうそうじゃろう! わらわはとーーっても怖い鬼なので!」
左目の能力を切る。
あまりにも白すぎて見えなかった小夜姫は、普通の視界で見たところ相変わらずドヤ顔で胸を張っていた。
俺はそんな彼女を、ただ生暖かく見守ってやるのであった。
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