15年前に異世界を救ったおっさん、今さら現代ファンタジーに巻き込まれる

秋町紅葉

おっさん、未知との遭遇

 社会というのは、ひどく厳しい。


 佐野雪村、38歳。

 それは長い人生を生きてきて、骨身に染みるほどに痛感した世界の実感だ。


 人生には、レールと呼ばれるものがある。

 幸せな家庭に生まれて、怪我や大病もなく順調に成長し、高校を出て、大学を出て、立派な企業に勤める。

 そういう世間一般における『常識』のような人生を、ゴールまで一直線に突き進む線路に形容した言葉だ。


 ただ、このレールというのはひとたび外れてしまうと、線路を進む列車に置いて行かれて、険しい道を一人で歩いて行かなければならなくなる。


 受験失敗、就職失敗、病気、環境の変化。

 あるいは、生まれたその瞬間からレールを外れてしまう者もいるだろう。

 さまざまな挫折、レールのくぼみ。

 そんな不幸に直面し、幸せな人生というレールから外れてしまったとき。

 それでも人は、生きて行かなければならない。


 敷かれたレールの見えない道を、なんとかかんとかと一人で突き進み。

 再び見失ったレールを見つけることができれば行幸。だけど、ほとんどの人は道なき道をそのまま突き進んでいくことになるだろう。


 その先が幸福か、あるいは不幸か。

 それは進んでみないとわからないこと。ただ一つたしかなことは、レールを外れてしまった人にとって、社会とはかくも厳しく険しいということ。


「ああ、コーンスープうめえ」


 バイト終わり、帰り道の途中。

 自販機で火傷しそうなほどに熱い缶のコーンスープを買うのは、すっかり木々が枯れ寒さが染みるようになったこの季節の期間限定、ささやかな幸せの一つだ。


 38歳にもなるのに定職につかず、細々とアルバイトで食い繋ぐ俺には贅沢すぎる幸せでもある。


「はぁ……どうしてこうなったんだか」


 コーンスープを片手に帰路に着く俺は、真っ暗な夜の道を歩きながらため息を吐く。


 今日は誕生日だ。

 これで38歳。最近はもう歳に頓着しなくなってきたけど、もう立派なおっさんと呼ばれるような歳の頃。

 同年代はみんな、バリバリに働いて部長やら課長やらという立派な役職に就いている頃だろう。


 いや、知らんけどね。

 俺に社会経験はないから実際のサラリーマンの事情なんて知らないわけで、これはただの妄想である。


 一方で俺は定職に就かないフリーター。

 就かないじゃなくて、就けない、が正しいんだけど。


「ま、わかりきった原因なんだけど。後悔はないけどさ、もうちょっと何とかなって欲しかったな」


 人間の人生というのは、今どきたった一枚の紙切れにまとめられるようにできている。


 いついつにどこそこの高校を出た、ある大学に入学して卒業した、あの会社に入社したのは何年何月。

 そんな人生の上っ面を書き連ねた紙切れ。

 まぁ、履歴書のことだ。

 だけどもし、その中に空白の期間があったとして。それは、その人がその期間中何もしていなかった――そう認識されてしまう。

 それがこの社会の基本的な考え方。


「何もしてないなんて、そんなわけないのにな」


 空白期間、何もしていない人なんていない。

 ある人は病気と戦っている。ある人は夢を追いかけている。ある人は見聞を広める旅をしている。


 仮に本当に何もしていない……そんな人がいたとしても、ふと振り返ってみればその空白の中で何も得る物がなかったなんてことはありえない。

 人間っていうのは、生きているだけで成長する生き物だ。


 俺もそう。

 俺の人生を書き連ねた紙切れには数年間の空白があるけれど、その期間は別に何もしていなかったというわけではないのだ。


「世界を救ってたなんて、他人には言えないからなー」


 あれは高校2年の夏だった。

 俺は突如としてこの日本、ひいてはこの世界とは違う別の世界へと召喚された。


 俗に言う、異世界召喚と言うべきもの。

 昨今ではよく小説や漫画といった創作の題材に用いられるものだけど、当時はまだそういう文化がしっかりと根付いていなかったから俺はとても困惑した。


 その世界の人類は魔物と呼ばれる化け物と過酷な生存闘争を繰り広げていて、明日にも滅びるかもという極限の中で生きていた。

 また、その世界には魔法があった。

 魔物に対抗するため人類が身につけた異能の力。俺を召喚したのも、その魔法によるものだった。


 異なる世界を渡る者は、その過程で魂が壊れてしまわないよう強靭な魂へと補強される。

 結果として、魔法によって召喚された存在は強力な力を持ってその世界へと呼び寄せられるという。

 俺も、召喚される前は持っていなかった特殊な能力を身につけることになった。

 ……ぶっちゃけそれは強力でもなんでもない能力で、普通に死に物狂いで努力して強くなったんだけど。


 突然の召喚に困惑したとはいえ、明日の朝日も拝めないかもという人類存亡の危機に瀕した世界で、自分に人を助けられる力があり。

 なおかつ誠心誠意の助力を求められれば、人並み程度に善意と優しさを持つ俺は見過ごせなかった。


 そうして俺は異世界で魔物との戦いに身を投じることになり――


「6年だもんな。我ながらよくやったよ」


 結果として、俺は見事に異世界を救った。

 魔物を統べる最強の魔物――魔王という、人類にとっての最悪の敵を仲間と共に討伐することに成功したのだ。


 それから、異世界の人々の力を借りこの世界に戻ってきて……ただしそこは、異世界で過ごした時間と同じく6年が経過した日本で。


「高校は除名されて最終学歴中卒。大学進学も就活も時期を逃して、両親は事故で他界してるし。異世界を救ったなんて立派な経歴があったとしても、誰にも言えるわけがない。こっちの世界じゃそんなのただの空白期間ブランクで、空白の6年だ」


 そんな有様では、まともに社会に復帰することは叶わず。むしろ、こうして今フリーターとして働き口を見つけられただけ頑張った方だと思うよ。

 めちゃくちゃ苦労したからな。


 一応、俺の力は現在でも異世界で魔王を倒したときとまったく同じだ。

 実戦から離れて勘が鈍ったり衰えたりはあると思うけど、この世界基準で見ればありえないほど強い。


 異世界で身につけた力を使えばスポーツや陸上競技、格闘技などの世界で無双できた。

 だけど、俺はその選択を取らなかった。


 客観的事実として、俺は俺自身のことを普通の人間だとは思っていない。

 例えば普通の人間が犬だとしたら、俺は神狼フェンリル。鰐だとしたら、ドラゴン。鳥だとしたら、グリフォン。

 そういう、似て非なるやつ。

 自惚れではなく客観的事実として、俺はまさしくそんな感じの存在である。


 こんなのただのズルである。

 普通の人間だって、蟻の世界のオリンピックに出場すれば無双する。でもそれって、ただ虚しいだけだ。

 俺がその選択を取らなかったのはそういうこと。

 ずるいし、虚しいし、忍びなく、申し訳ない。


「ま、生きてるだけで儲けものだから。幸せ幸せ」


 俺は気を取りなおすように、コーンスープを飲んだ。

 最後の一滴までしっかりと飲み干して、寒い冬の小さな幸せを満喫する。

 結局、生きているってことが一番大事。


 俺は異世界で生死をかけた戦いをしてきた。昨日会話したやつが今日死んで、長い付き合いの友人が突然死んで、最強の騎士とかいうやつもあっさり死んだ。

 その瞬間、目の前でニコニコと夢を語る青年は明日死ぬかもしれないし、俺もいつかは死ぬだろう。

 そんな死と隣り合わせの世界を俺は生きてきた。


 要するに、これは達観だ。

 死が身近な世界を戦ってきたものとして、生きている幸せはそれだけで何事にも変え難く。

 生きていることによる不幸は、死にゆく不幸と比べたら屁でもない。


 世間一般の多くが俺の人生を不幸だと断じても、俺はこうして生きているから幸せだ。

 まぁ、もう少しお金が欲しいとか、安定した仕事について結婚とかしてみたいとか。

 そんなことを思いはするけどな。こればっかりは許して欲しい。俺も一応、人間だから欲はあるんだ。


「バイト先の若いやつに限界おっさんとか言われたけど、失礼なやつめ。俺はまだまだいけるぞ」


 ――佐野さん、誕生日おめでとう! え、今日で38歳? ウケる! 限界おっさんじゃん!


 脳裏に、ついさっき言われたバイト先の後輩ギャルの言葉が過ぎる。

 まったく、本当の限界というものを知らないから俺を限界おっさんなどと称するのだ。


「本当の限界ってのはなぁ……」


 ふと、周囲の空気が変わる感覚。


 何かの気配を感じ、パッとその方向を見るとそこには驚くべき光景が広がっていた。


 見上げるほど巨大なタコのような怪物。

 その触手に脚を捕らえられ、宙ぶらりんに振り回されている犬耳の少女。

 服がめくれて、犬のマークが描かれたパンツが丸出しであった。いや、まじまじと見る気はないんだけど。

 不可抗力で。


 じゃなくて、なんだこれは、

 ここは日本なんだけど……日本だよな、異世界じゃないよな?


「ぎゃあああああ!! やめろやめろ! やめるのじゃ!!! も、もう無理じゃ! 限界、限界! きも、気持ちが悪……うぷ」


 ぷらぷらと揺らされる犬耳の少女が口を手で押さえる。

 目を回し、顔を真っ青にさせ、次の瞬間――盛大にゲロった。


「おろろろろろろろろろろろろろろろろ」


 まるでシャワーのように頭上から降り注ぐ、犬耳少女のゲロ。なんだか虹でもかかりそうなシチュエーションであったが、残念。

 ゲロにモザイクがかかるのは、映像化した場合限定だ。そしてここは現実である。

 それは、虹などとは程遠いくっそ汚ねえ景色だった。


「…………限界ってのは、ああいうやつのことだよな」


 巨大なタコの化け物、犬耳少女、ゲロのシャワー。

 突然現れたあまりにも現実感のない現実。それに直面した俺は、呆気に取られたまま呟いた。

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2024年11月30日 18:10

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