第19話 カインラッド

 ここに来るのも久しぶりだな。初めて希と出会った日から二ヶ月が経ち、いつのまにか梅雨の季節になっていた。


「お久しぶり、だね」


 くすくすと笑うその笑顔は出会った時と変わらない。


「今日はどこ、……行こうか!」


 指輪もつけてくれている。当たり前のことだが、俺はとても嬉しかった。この世界での希は俺の奥さんなのだ。


「そうだねえ。世界一周とか、かな」


「えっ!?」


「流石のアミラだって無理かー、ごめんね」


「いや、希が望むならなんだってするよ」


 俺は希の手を握った。弱ってはいるがまだ生きている。とくん、とくんと刻む心臓の音が手を通して聞こえてくるような気がした。


「行くよ!!」


 俺がそう呟くと右手を上げた。


「エンシェントドラゴンよ、来たれ!」


 その呪文と共に目の前の空間が歪み暗雲が立ち込める。


「ちょっとごめんね」


 俺は希の身体をお姫様抱っこして走った。


「えへへへ、お姫様になった気分だねえ」


 頬を赤く染めた希が目の前にいる。俺は軽く飛ぶとエンシェントドラゴンの背中に飛び乗る。


「まずは、この世界を一周してみるね」


「そんなことできるの!?」


「うん、エンシェントドラゴンなら可能だよ」


 エンシェントドラゴンはどんどんと速度を上げる。


「すっごーい。こんな速度なのに揺れもしないね」


「エンシェントドラゴンには擬似重力があるからね。振動も吸収してくれるよ」


 俺はエンシェントドラゴンに速度を上げるように指示をする。


「行くぞ! 音速を超えて未知の世界へと」


 エンシェントドラゴンの速度がどんどんと上がっていく。地上の世界がゆっくりと遠ざかっていたのが、やがては丘や山々がが急速に離れていく。


「うわっ、飛行機だとこの高度ならゆっくりしか動かないのに、早いね」


「もっと速度が上がるよ! 最高時速は秒速30万キロだ!」


「うっそー、光だよ、それ」


 物理法則から解き放たれるカインラッドだからこそ可能な速度だ。流石に最高時速だと俺でも乗っているのが大変だ。俺は適度な速度に達したところで速度を抑えさせる。


「うわぁ、これでどのくらいの速度出てるの。凄い早いけども」


「だいたい飛行機の10倍くらいかな。一万キロくらい出てるよ」


「流石はゲームの世界だね。こんな速度で飛んでるのに、乗り心地は飛行機よりゆったりしてるもの」


「確かにそうだね」


 俺はオーロラの煌めく南極で希と一緒に降り立った。


「ウォーム」


「凄い吹雪だよ。でも寒くないね」


「適温に保つ魔法をかけたからね。流石にこの世界でその格好だと凍えてしまうからね」


「アミラ、ありがとう。こんな綺麗なところに連れてきてくれて」


 目の前には大きなオーロラが見える。現実世界で生でオーロラを見たことはないが、きっとこんな風にキラキラしてるのだろう。


「ファイアーウォーク」


 俺が手をあげて呪文を唱えると眩いばかりの火花が打ち上がる。


「すごーい。花火だ」


 何十発もの花火が一度に打ち上がり、夜空を彩る。


「ありがとう。アミラ……、わたしのためにこんなことしてくれて……」


 今、希が何を言おうとしてるのか分かる。


「あのさ、結構長い間、わたし、ここに来れないんだ」


「そうなんだ!?」


「えっ、あまり驚かないんだね」


 希の花火に彩られたちょっと驚いた横顔にちょっとだけ本当の気持ちを知りたくなった。


「このゲームも人減っていくのかなあ。初心者プレイヤーの殆どはプレイしてもすぐに辞めてしまうからね」


 その言葉に希は強い口調で俺をじっと見据えて言った。


「違うよ! 飽きたとかそうじゃなくてね。わたし……、その……」


 ごめん。辛い思いをさせてしまった。全て知っているのに……。


「悪かった。唯くんから聞いてたんだ。その、希ちゃんが少し入院しないといけないってね」


 唯、ごめん。もし聞かれたら話し合わせてくれるよな。


「ひっどーい。知ってたなら言ってよね。そう、ちょっとだけね。病気の検査入院なんだけど、不安なんだよね」


 きっと嘘だ。希は何度も入院していた。今更、検査入院をしないといけないわけがない。そんなことは分かっている。分かってはいるが、その可愛い嘘のおかげで、俺は追い込まれないで済む。


「アミラなら、こんな病気簡単に治せちゃうでしょうね」


「ああ、そうかもな」


 嘘だ。俺は希を救いたくても救えない。医学知識も乏しく、いくら本を読んだって理解できる部分は表層部分だけだ。唯のお父さんが心血注いで治療に当たっているのだ。医学の知識もない俺が役に立つわけがない。


「ふふふふ、もし大変なことになったらアミラに治してもらおうかな」


 希だって分かっている。カインラッドばかりやっている俺が希にできるのは仮想世界で、喜ばせることだけだ。それ以上のことなどできない。


「ああ、言えよ!! 何かあったら俺に真っ先に言ってくれ!! 俺はどこにいてもお前のもとに駆けつけるからな!!」


「ありがと……」


 希が泣きそうな顔をした。きっと、泣きたいのを堪えてるのだろう。ずっとひとりで耐えてきた。確かに希には和人や唯と言うかけがえのない友人がいる。だが、希は彼らに本心を言うことができない。


「最期にひとつだけ約束……」


 希は最期と言う言葉を使った。この意味を俺は知っている。でも、知っているからこそ、何も言えない。


「こんなわたしを好きになってくれて、ありがとう」


 俺は何も言わずに希を抱きしめる。希の身体が震えているのが分かった。


「わたし、怖い……怖いんだよ。アミラ……助け……」


 そこで希が消えた。きっと自分の意志でログアウトボタンを押したのだ。


「くっそおおおおおおっ!!! なぜ、俺には希が救えないんだよおおおっ!!!」

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