第16話 ボンベイ

 特別な血液型として、すぐに一番に頭に浮かんだのはRHマイナスだった。


「RHマイナスなのか?」


「よく知ってるね。でもね、わたしの血液型はそうじゃなくてね。ボンベイ・・・・なんだ」


「えっ……」


 ボンベイなんて血液型があるなんて、俺は知らない。なんなんだ、その血液型は……。


「とっても珍しいO型の亜種らしい。日本人で百人しかいないらしいんだよ」


 百人しかいない血液型の患者が亡くなる確率なんて、宝くじで一等を取るよりも遥かに難しい。しかも、ドナー登録をしない患者や十四歳以下の患者からも移植はできない。それって、限りなく0に近いじゃないか。


「ごめん。変なこと聞いた。本当にごめん」


「わたしも話し過ぎたね。なんか、拓也くんって、ネットで知り合った人に少し似てる気がしてね」


 希は俺に顔を近づけて、じっと見た。


「その人は、何でもできちゃうんだ。魔法使いのような人だった。わたしは彼のおかげで見たこともないような体験ができたんだ。その人はとても強く、とても優しく、そして、なんでも出来て、何にも出来ないわたしを導いてくれたんだ」


 それは……俺なんだ。さっきの言葉を聞いたせいで、その言葉がどうしても言い出せなかった。俺は無力だ。何にも出来ない。希の病気を知った今だって、彼女の過酷な状況を知ったとしたって、彼女を助けてあげることができない。本当に俺は無力だ!!


 初めて会った時、まるで天使のようだった。そのことが今分かった気がする。きっと、この世から消えようとしている彼女を無意識にそう認識したのだ。


「……きっと、その人も現実世界では普通の人だと思うよ」


 希は大きく伸びをして笑った。


「きっとそうだね。今のわたし達よりも無力かもしれないね」


 もし、希を助けることができたら、俺だって何だってする。なぜ、心臓移植が必要なのが、希なんだよ。


「後、みんなには言わないで欲しいんだ」


 これは分かる。小学校の時、入退院を繰り返していた娘がいた。みんなは彼女のために千羽鶴を作ってあげたが、退院してきた時、まるで腫れ物に触るような表情でその娘を見つめていた。


「分かったよ」


「約束!!」


 希は俺に小指を差し出してきて俺の指に絡めた。


「ゆびきりげんまん約束を破ったら……」


 そこで、うーんと悩む。希は本当に口で言うだけでも酷いことは出来ないんだな。


「何しようか?」


 なら!!


「希ちゃんのしたい事をなんでもかーなーえる」


 希は俺の言葉を聞いて口を抑えて笑う。


「なんだよ、それえ」


 別に嫌がっているわけではない。ただ、想像してた事と違ったのだ。


「本気にするよ!」


「ああ! 約束だよ」


 俺たちは笑いを噛み殺しながら笑った。


「何してるんだよ、希! ……あれ!?」


 和人が俺を不審そうに見た。


「希となに話してたんだよ!!」


「秘密……だよね」


 希が俺の顔をじっと見た。


「なんだよ、それ……、あっ、それよかさ。そろそろ教授が帰るらしいから戻ってこいって」


 その後、ゼミコンは解散した。二次会に行くグループもいたが、和人と唯は希が帰るため断っていた。希を強く誘う奴もいたが、和人がキレたため、その後誘ってくることはなかった。


「じゃあ、俺たちはこっちだからな」


「拓也くん、またね」


「ああ、じゃあね」


「奇遇ですね、拓也くん、同じ方向みたいですね」


 希と幼馴染と言うだけあって和人は希の家の近所に住んでるようだった。つまりは俺の家とは逆だ。そして唯の家も逆だった。ふたりとも近所なのかと勝手に思っていたが、唯の家は俺の家の方が近いくらいだった。


 俺と唯は何も言わずに家に向かって歩き出した。数分くらい歩いたところで、唯が立ち止まった。


「公園に寄って行きませんか?」


 女の子とならドキドキするシチュエーションだが、唯と一緒となると多少面倒くさくも感じる。ただ、唯の表情が思いの外真剣だったため、俺たちは公園のブランコに座った。


「楽しいですね。こうやって漕いでいると子供の時に返った気がしますよ」


 ブランコの揺れる音がギーコン、ギーコンと聞こえる。どうして唯が俺をブランコに誘ったのか。それが疑問だった。


「ねえ、昔から視力は悪いのですか?」


 眼鏡をかけているのは唯も同じだ。まあ、イケメンの唯は眼鏡をかけると知的に見えてより一層女性受けが良くなっていそうだが……。


「中学の時からだよ」


「そうですか」


「でも、眼鏡をかける事なんて、珍しいことでもないよね。実際、唯さんもかけてるし……」


「確かに、それは言えてる」


 そう言いながら、唯は少し強くブランコを漕いだ。イケメンな唯であれば、女性をお持ち帰りすることなど容易なことだったはずだ。ブランコに乗りたいなら俺なんかより、可愛い女の子を誘ってくればよかったんだ。なぜ、俺とブランコなんだ!?


「僕は高校の時、受験勉強のし過ぎで、目が悪くなったんですよ」


「賢かったって聞いたけど……」


「和人の買い被りすぎですよ。学内一位だったのは努力のおかげです」


「学内一位だったんですか?」


「誰にも負けたくはなかったのでね」


 唯の高校はどこかは知らないが一位であるならば、ここよりいい大学に行けたはずだ。


「それならもっといい大学に行けたんじゃないですか?」


「そうですね。それでも良かったかもしれない。ただね……俺にはどうしても希を救いたかった。だから、この大学を選んだんですよ」


 そうか。でも、希の病気は……。


「正直ですね。ははは、希に聞いたんだね」


「すみません」


「別に謝らなくてもいいですよ。別に隠してたわけじゃない。ただ、希の気持ちを優先させたかっただけですよ」


 そう言って唯は少し躊躇いを見せた。


「まあ、そうは言っても僕には何もできない。希が倒れた時に点滴をするのは父親の病院だし、命をかけても救いたいと願っているのは和人の方だ」


「そんなことは……」


「和人の希への想いは誰にも敵いません。僕もそして、アミラ・・・、君にもね!!」


「えっ!?」


 唯は何を言っているのだ。いい間違えに決まっている。だって……。

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