第9話 怖くても立ち向かえば見えてくるもの
「はぁ、はぁ、やっと、全員、眠ってくださりましたね」
私が到達したときは結構間一髪だったと思います。
崩れかけた外壁の隙間から結界の祈りを捧げて防御の幕を張りながら外へ飛び出し、五体の魔獣に取り囲まれたときは卒倒しかけました。
しかし、案外ここで頼れる仲間が一人もいないという状況は私にダメで元々的な冷静な精神を授けてくださったのです。
サポート役でしかない神職の私には攻撃魔法は使えません。
ですが、壁になったり、対象を眠らせることは得意です。
しかも、祈りは聞くものすべてに有効。つまり、効果範囲が広いんです。
例え五体の魔獣に取り囲まれていようとも、結界を張りながら、睡眠を誘導する祈りの呪文を詠唱することは可能でした。
今ではすっかり大人しく夢の中へ誘われた野犬と熊を足したような魔獣はいびきをかいて眠っております。
さて、問題はここから長期戦ということです。
実は魔獣も魔族も私たち人間と同じように、家畜や野菜なども食べるのですよ。
王都に守られていない中央大陸の村や町はよく襲われたものです。
それでも人間を襲う理由は《愉悦》が満たされないから。
これには腹の立つ人も多いとよく聞きますが、私としては結局のところ同じ食材の扱いなのだと、それだけの感情しか湧いてきません。
人間でも食事の後に煙草を好む方もいらっしゃいますし、女性はスイーツが好きなものです。
人も《愉悦》を満たすため、あらゆるものを口に運びます。それらと同じなのでしょう。
話が少し逸れましたが、今ぐっすりとお眠りになっている魔獣は、満腹の状態の可能性もあるということです。
お腹が空いていれば、私がこの外壁を決して通しませんから、いつもの狩場へと帰ってくれる可能性が高いのですが、目覚めてもお腹に余裕があれば、再度眠らせる必要があります。
空腹が訪れるまで、何時間。その間にもしも親玉が来てしまえば、万事休す……なのでしょうか。
今一つ、私にはそこまでの緊張感が生まれません。
最初こそ初めての戦闘で緊張いたしましたが、いざ戦闘に挑んでみると、サポート役一人でも、どうにか足止めくらいは出来るじゃないですか。
イケメン騎士さんの話しぶりだと、親玉が近くにいたら数で押さなければ絶対に負け戦くらいの戦力差に思えましたが、そもそも近くに親玉がいないことも普通にあるじゃないですか。
どうもおかしいと私は薄々勘づき始めました。
七年間、千人を超える巨大な規模の討伐隊が本当に魔王軍を討伐しようと進軍していたら、もっと功績や成果がこの街に届いても良いはずです。
それなのに、レニくんはさっさと街へ戻り、王室騎士団の騎士の方々も見る限りほとんどが街に戻ってきている。
今の勇者様御一行の数は二十名足らず。なぜそこまで人数が減ったのでしょうか。
国王様はご神託を信じているからこそ、今回の救出作戦も立案されたのでしょうし、そもそも、この国で神を疑っているのは私だけかもしれませんけどね。
ぐーぐーといびきをかいている魔獣を見ながら、そんなことを考えていると、突如、後ろの外壁の方から声をかけられました。
「一人で来るなんてミクちゃんはバカだなぁ」
レニくんでした。外壁の瓦礫に腰かけて、月明かりをスポットライトみたいに独り占めにして、一人だけ人類の枠を超えるほど美貌を輝かせて、笑っていました。
「……レニくん、来てくれたんですか」
私は、レニくんが来てくれたことだけでもう嬉しくて本懐を遂げたみたいに体から力が抜けそうでした。
本当に私はバカなんです。レニくんの笑顔を見て初めて一人ぼっちで戦っていた怖さと寂しさに気が付いてしまいました。
気が付けば涙まで流しながら、そんな資格無いのに、レニくんに向かって叫んでいたんです。
「怖かったです。ぐす、怖かったですよ! だから、私もバカですけど、他の大人たちもみんな大バカヤロウです!」
いつものように、不意を突かれると丸くなる、レニくんのアメジストの瞳はまん丸と見開かれていました。
「……シスターがそんな汚い言葉を使っちゃっていいの?」
くすくすと笑いながらレニくんはいいます。
「言わせてください。タイムスリップして過去の勇者様候補に出会えたら、私はあなたを抱きしめながらバカヤロウでごめんなさいと謝りたいのです」
それが私の謝罪の理由だとレニくんに伝えました。
「いくら大人の護衛が付いているといっても、10歳で魔獣や魔族の蔓延る中央大陸に放り出されたら、誰だって怖くて泣いてしまいます。10歳の子の寂しさや怖さを抱きしめて救ってあげなかった大人たちを、レニくんが信頼しないのは当然のことなんです」
気付くのが遅すぎたこと、謝罪が今さら過ぎることも理解していましたが、言わずにはいられませんでした。
レニくんは私の言葉を聞くと、また少し、苦しそうに顔を歪めてそっぽを向いてしまいます。
「……俺を抱きしめたい女の子はたくさんいるよ」
そんなものは強がりというのですよ。
「あなたを安心させるために、抱きしめてくれた大人の男性はいたんですか? もう少し大人になってから旅立とうと東の大陸まで手を繋いで帰ってきてくれた信頼できる大人はいたのですか?」
今確かに舌打ちの音が聞こえました。どうやらまたレニくんを怒らせてしまったみたいです。
瓦礫から飛び降りたレニくんは、何をするのかと思えば、魔獣の所へ近付き、ズドドドドドドドドッ!!! 連続蹴りを放ち、地面で眠っていた五体の魔獣たちは遠いお空で星になりました。
相変わらず、レニくんの蹴りの威力は凄まじいです。
「あ、ありがとうございます……」
振り返ったレニくんは、不機嫌そうに前髪をかきあげて、冷たい目で私を見下ろしました。
「過去を見てきたみたいに俺の気持ちを代弁して謝罪して、そんなのミクちゃんがそれで満足してスッキリ気持ちよくなりたいだけだろ」
ズキリと胸に痛みが走りました。決してそんなつもりはありませんでしたが、自己満足と言われても仕方ないと思えます。
謝罪をしたところでレニくんの心に負った傷跡が癒されるわけでも、塞がるわけでもないのです。
私は謝罪を重ねることも出来ず、ただ情けなく、俯くだけでした。
「……わかったように言われるの腹立つんだよ……って、あーもう違う! そうじゃなくて!」
どうしたのでしょうか。レニくんは頭をかきむしって大きなわんちゃんのように頭を振ると、もう一度前髪をかきあげて、今度はちょっと私の苦手な色っぽい笑みを浮かべておりました。
「魔獣を退治してあげたんだからさ、ミクちゃんが、ご褒美くれるよね?」
これはマズい。そう思ったときには距離を詰められて、顔が至近距離まで唇に近寄って来たので、咄嗟にロザリオでガードしました。
「……これなに?」
「い、いけません! キスは好きな相手とするものです!」
とても不満そうなレニくんの瞳としばらく無言の攻防が続きます。
背が高いといっても、細身で華奢な印象のレニくんなのに、私の腰に回す片手はすっぽりと私を包むほどに大きくて骨ばってごつごつしていて、そういう男を感じさせるのもいけないと思うんです!(顔が赤くなるから)
「ロザリオどかしてよ」
「ど、どかしたら、何をするおつもりですか?」
ロザリオの先端をちょんちょんと指でつつくレニくんはどかそうと思えばすぐにどけられるんでしょうけど、そこは私の自主性に委ねているようでした。
「確かめるの。ミクちゃんは他の子と違うのか、それとも、やっぱりミクちゃんも同じなのか」
「キスのことでしたら昼間しっかりと確かめたじゃないですか! どうせ特別感もなく同じでしたでしょう!」
なんだか悲しくて悔しくて泣きそうでした。一応、私のファーストキスですよ。
本来であれば、特別に思ってくれる方と致したかったです。
なんて、私が一度きりのキスを想いながらしんみりとしているのに、
「あんなの単に唇が触れただけでしょ。あんなんじゃ何も確認できないよ」
それは何も意味がなかったと仰っておられるのですか。
「レニくんのバカ!!」
つい、足が出てしまいました。ロックにすねを蹴り上げてしまったのです。
すると、不意に視線を外して距離を取ったのはレニくんの方でした。
「……やっぱり、上手くいかない。ミクちゃんにだって、逃げたら俺も傷付くことわかってほしいのに……!」
「ち、ちがっ」
ひょいっと身軽なレニくんは瓦礫を飛び越えて、王都の中へと戻っていってしまいました。
ズルいですよ、レニくん。私を傷つけようとしたくせに、傷付いた表情で行ってしまうだなんて。
「逃げているのは、一体誰なんですか!」
私の疑問と怒りはもう頂点です。足蹴りくらいなんだというのですか。
王城に戻り、ハッキリさせましょう。
レニくんを傷付けた犯人を、逃げ出した愚か者を、真実を暴いて見せます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます