第5話 路地裏でファーストキス(泣)
「いえ、あの、私が言いたいのはですね、そういう、ちょ、レニさん、顔が近いです!」
喋っている間にレニさんは塀から降りてきてしまい、わざと腰を落として、後ろから私の首元にゆるく腕をかけてきています。
このままヘッドロックされてもおかしくない体勢なのですが。冷や汗の止まらない私の耳たぶをわざわざ遠くの手でふにふにと触るレニさんは私にもピアスの穴を空けたいのでしょうか。
「あの、あの、レニさん、私の耳たぶは装飾品を飾るほど立派なものじゃありませんので……」
「美味しそうだよねぇ、ミクちゃん。こんな小さな耳たぶまでやわらかぁい」
ひぃいいいいいいい!! ピアス用ではなく、捕食対象として見られているんでしょうか!?
そのとき、全神経を集中させていた左耳ではなく、レニさんの顔が至近距離にあった右耳へふぅっとレニさんの麗しい唇から息を吹きかけられました。
「ひゃあああんっ!!!」
びっくりも頂点に達しておばけのように私の両手も跳ね上がりました。
びびびびっくりした。本当にびっくりしたのです。耳に息を吹きかけられたはずなのに、私の体はきっと壊れてしまったのでしょう。
腰に甘い痺れを感じて、人生で初めて出したと言っても過言ではない悲鳴を上げたのです。
「っぷ、くく、ミクちゃん可愛い。耳、弱いの?」
「レレレレレニさん!! お願いですから、もう少し離れてください!!」
「えーやだぁ~」
なぜか私に甘えるように後ろから私を抱きしめてくるレニさんは、とても背が高いので、すっぽりと私は腕の中へ収まってしまいます。
私がちびっ子で胸もない貧相な体なのも問題なのでしょうが、こんな風にされていると、まるで私が子供になったみたいです。
ともかく、こんな体勢では勇者様御一行の救出の旅へお誘いなど、真剣な雰囲気で出来ません。
どうにか逃れようと身をよじっていたら、ぞろぞろと硬い靴音が響いてきて、いつの間にか路地裏にはたくさんの男性方が出現していました。
「レニ、看護学生の女子たちがヤラせてくれるってよ。行こうぜ」
ヤラ!? 何をしようですって!? このスキンヘッドのおバカ様はレニさんをどこの世界へ誘っているんですか!!
「行きません!! レニさんは行きませんし、あなた方もおうちへ帰りなさい!」
「˝あ˝あん? この女誰だ˝ぁ?」
なんというドスの利いた声でしょう。悪魔の声帯に乗っ取られているのかと思いました。
「なんでもないよ。いつもの国王から派遣されて来るシスターの子。じゃあね、ミクちゃん」
さっきはどれだけ身をよじっても離してくれなかったくせに、レニさんはあっさりと腕を解いてスキンヘッドの男のところへ向かおうとします。
なので私はレニさんの腕に両腕で纏わりつき、今度は私の方から逃がさないように捕まえました。
「レニさん! 断る相手を間違えております!! そちらに行ってはいけません!!」
「どうして? ミクちゃんには俺のことなんて関係ないじゃん」
ほらまた。レニさん、気付いていないのですか。あなたは今、そんなに悲しそうな瞳で、泣きそうになっているじゃないですか。
「関係あります!! 私はレニさんに困っている方々をお救いし、お守りするために勇者様御一行を救出する旅へ一緒に行きましょうとお誘いに来たのですよ!! その私がまずあなたを、レニさんをお救いし、お守りしないで誰を守れるというのですか!!」
少しだけ、レニさんの目が開かれていました。路地裏であるにも関わらず、わずかに差し込む陽光を浴びて反射するアメジストの瞳は、深く静かな森の中で見つけた煌めく湖面のように輝いて、見る者の息を止めてしまうほど美しかったです。
「っち、うるせぇ女だな。そんなにみなさんをお救いしたいならおれたちも救ってくれよシスター様。こっちはあんたの体でもいいんだぜ?」
まぁ、なんて絵に描いたようなゲスの極み。昨夜のレニさんと同じように舌を出して笑みを浮かべていらっしゃいますが、顔面偏差値が月とスッポン過ぎて受ける印象も真逆に感じてしまいます。
具体的に言うなら、レニさんに同じセリフを言われても大多数の女性にとってそれは天国へのお誘い。
こちらのスキンヘッド様に言われると地獄への片道切符です。
「いいでしょう。私が代わりにお相手をすれば、もう二度とレニさんをこのようなふしだらな遊びへ誘わないと誓っていただけるのでしたら、私がこの身を捧げましょう」
下卑た笑みを浮かべるスキンヘッド様は実に愉快そうに笑うと私の体へと手を伸ばしてきました。
しかし、手が届く前にレニさんの、とても冷たい不機嫌な表情が私の前に立ちはだかったのです。
「気持ちわりぃ。ねぇ、おねえさん、それって神様の慈善活動の一環なの? そうやって良い子ちゃんでいれば誰でも救えるんですって本気で信じて、俺たちの遊びの邪魔するの?」
低い声に温度があれば氷のように周りの空気が凍てついたことでしょう。
そのくらいレニさんは冷たく私を突き放していましたし、実際、怖かったです。
「い、良い子ちゃんの慈善活動ではありません。誰も彼も救えるとも、思ってもいません」
すると、レニさんは腰をかがめて、また舌を出すと黒くぬらりと光沢のある鋲のピアスを見せつけながら、歪んだ表情で笑いました。
「なら諦めなよ。俺らは救いようがないってことで」
「ぎゃはははは! レニひでぇな! 一応、このねぇちゃんはお前を助けようとしてたんじゃねぇの?」
「余計なお世話だよ。俺が誰とどう遊ぼうが俺の勝手でしょ」
それはそうかもしれません。善意の押し売りだと言われたら返す言葉がありません。
それでも、行ってほしくない私は去っていこうとするレニさんのジャケットの裾を掴みました。
「まだなんかあるの?」
「……私のわがままです。ここに善意も正義も神の言葉もありません。誰でも構わないのでしたら私を選んでください。十人必要だというなら十人分の働きをします」
深いため息をつくレニさんは明らかに苛立っているようでした。
「だからさぁ、それで君になんの得があるわけ?」
「レニさんの胸の苦しさを一つ消せます。私も恋愛を経験したことはありませんが、好きでもない人とそういう行為をするのは虚しいだけだと思います。虚しいのに、相手を思い出すと胸が苦しくなる。私だったらきっとそうなる」
バシンッ! 気が付けば裾を掴んでいた手を振り払われ、レニさんの顔を見上げれば、今まさに胸が苦しいかのように表情は歪められ、私に牙を向けておられました。
「わかったようなことをっ!!」
「分かり合いたいのです!! レニさんを知りたいのです!! 私を知ってほしいのです!!」
「っ……!」
レニさんが言葉に詰まると、後ろにいたスキンヘッドの方がレニさんの肩に手を置きました。
「へへ、いいじゃん、連れてってやろうぜ。こんなかわ、い!?」
ドゴンッ!! 跳ね飛んでいきました。スキンヘッド様が目の前で、山のようにデカいドラゴンに蹴り飛ばされたかのように体ごと宙に浮かび上がり、視認できない遥か遠くへと飛んで行ってしまわれたのです。
私は目を丸くしてレニさんの姿を見つめてしまいます。
何をしたかといえば、単にレニさんは裏拳でスキンヘッドの方を殴っただけですが、威力が人類の理解を超えております。
「……しらけた。俺帰るわ。じゃあね、ミクちゃん」
顔をそむけたまま、レニさんはそのまま繁華街の方へと歩き出してしまわれたので、私は慌てて追いかけてレニさんの腕を掴みます。
「待ってください!! 私の話を、んん!?」
ふにゅっと、やわらかい感触が唇を湿らせていきます。
(なにごと!!? ななななんで昼間なのに目の前が真っ暗に!!?)
あまりに突然、視界と体の自由を奪われて私は軽くパニックを起こしていました。
しかし、チュッというリップ音と共にレニさんのお顔が離れると、ようやく私の頭は理解しました。
気付けば、いつの間にか振り返っていたレニさんに両頬を包まれて、私はキスをされていたのです。
「んな!? ななななななななななにするのですか!?」
思わず私はレニさんを突き飛ばしながら、そのようなことを口走りました。
(ファーストキス!! 私のファーストキス!! まさかの路地裏(涙)!!)
しかし、ショックを受けている私より、顔を地面に向けて私と目を合わせようともしないレニさんは、アメジストの瞳を雨雲がかかったかのように曇らせており、明らかに傷付いていたのでした。
「あの、レニさん、」
「……もう俺に構わないで。ミクちゃんなんて嫌いだよ」
いうだけ言ってレニさんは今度こそ去っていきました。
今朝までの私は世界のハッピーエンドを願って旅立ちを決意していたはずです。
しかし、今の私は路地裏でバッドエンドを迎えた気分でした。
自分からキスしておいて嫌いとか言いますかね!?
結構、自分では頑張ったつもりでしたのに、怒りがふつふつと湧いてまいりました。
ヤンキー嫌いですよ! なんなんですかあの男は!! なんで傷付いた顔して消えるのですか!! ヤバい男だとは思っておりましたが、まさかここまで情緒がヤバいとは思いませんでした!!
腹が立つので明日も会いに来ようと思います。蹴り飛ばしに。
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