第4話「静かな夜の闇の中で」

 正直、疲れた。

 ヨラシムは今になって、加齢を感じて体が重い。そんな肉体を引きずるようにして、居住区内の大浴場までやってきた。

 ひよっこパイロットたちがわいわい騒いでたのが、今は静寂が物寂しい。

 無駄に広い浴場で、熱いシャワーを浴びてようやくひとごこちといった気分である。

 同時に、これからのことについてヨラシムの脳味噌が思考を巡らせ始めた。


「さて、と。さっきチラリと覗いたが……妙だな、あの区画は俺たち教官の権限でも入れない筈なんだが」


 この秘密ドッグを中心とした地下基地は、海沿いに秘匿ひとくされた巨大な軍事施設だ。人類は国境も人種も忘れて一つになっていたが、地球脱出艦隊の中核である超弩級戦艦ミタマの建造は極秘中の極秘であり、さまざまなセキュリティーが存在した。

 パイロット候補生の少年少女はもちろん、教官長であるヨラシムにも入れない場所がある。

 この基地の全てを自由に闊歩できるのは、ミタマ艦長にして基地司令のリリィくらいだろう。


「まあ、その娘ってんならなあ。しっかし、まさかあの極秘兵器開発局……Xが実在するたあなあ」


 ――ラボラトリーX。

 それは、ヨラシムが傭兵だった時代からずっとささやかれてきた都市伝説だ。

 カリギュラによる地球侵略が始まった直後から、人類の軍事技術だけが格段に発達した。革新に次ぐ革新で、とうとうエクスケイルという人型機動兵器が生まれたのだ。

 だが、ラボラトリーXの全容は謎に包まれている。

 その名すら、正式なものかどうかもわからないのだ。


「そのラボラトリーXが実在し、しかも極秘工廠ごくひこうしょうを基地内に持ってたなんてなあ」


 髪、顔、身体を洗って、汗と血と硝煙しょうえんの臭いを遠ざける。

 だが、それらは身体に染み付いて永遠に消えないだろう。

 湯船に入れば、深い深いため息が吐き出された。ゆったりと湯に首までつかって、狭いコクピットで強張った全身をもみほぐする。

 本当に疲れた。

 しかし、やることができてしまった。

 カリギュラのバケモノどもを殺して殺しまくって、この地球をさすらう以外の余生が。

 その理由になった少女を思い出した、その時だった。

 突然、大浴場の電源が落ちた。


「ッ! 風呂ぐらいゆっくり入らせろってんだ!」


 とっさに立ち上がって、警戒心を全開に研ぎ澄ませる。

 戦場での長い生活がたたってか、危機意識についてはヨラシムは野生動物なみだった。だが、予想だにしない返事に思わず目を丸くしてしまう。


「節電ですわ、おじ様。非常用電源は普通につかってれば三日で尽きてしまいますもの」

「その声……おいおい、入ってくるんじゃねえよ! 女湯はあっちだろうが!」

「節水ですの。このサバイバル、これからどうなるか全くわかりませんもの」


 ぐうの音も出ないほどの正論だが、ヨラシムにだって異論はある。

 暗闇に目が慣れてくると、ぼんやりと白い裸体が近付いてくるのが見えた。慌てて背を向けたが、それはタオル一枚で胸元を隠したリリスだった。

 何を考えているのか、全く分からない。

 だが、彼女が基地内で強い権限を持っているのも事実だ。

 それは謎なのだが、あのリリィの娘ならば多少は納得できることだった。


「おじ様、お背中ながしますわ」

「そういうのはいらねえよ。あっちむいてるから、お嬢ちゃんもさっさと身体を洗っちまいな」

「やっぱり紳士ですのね。でも、我慢できなくなったら言ってくださいな」

「アホくさ……誰がお前みたいな乳臭ちちくさいちんちくりんに興奮するんだっての」


 だが、ちらりと盗み見るように首を巡らせる。

 湯気と闇でよくは見えないが、リリスは翡翠ひすいのような長い緑髪を洗っているようだ。ハミングの声も軽やかに、酷く上機嫌である。

 向こうも向こうで、ヨラシムのことを男として認識してないのかもしれない。

 親子どころか祖父と孫くらいの年齢差もあることだし、気にしすぎかとヨラシムも緊張感を弛緩させた。


「お嬢ちゃん、ラボラトリーXの工廠はありがてえんだがよ。……どうやって入った?」

「母様がミタマの出航で権限を破棄したため、この基地の最高責任者の座が空いてしまったのですわ。だから、ちょっとメインシステムをいじってみましたの」

「末恐ろしいお嬢ちゃんだぜ、ったく」

「ふふ、このあとの夕食も楽しみにしてほしいですの。わたくし、張り切って準備しましたわ!」

「どーせ合成食料とか缶詰、チューブ食だろうが」

「あら、そういう保存がきくものは温存すべきですわ」

「はいはい、わかりましたよサバイバル教官殿、ったく」

「大変良いお返事ですわ、おじ様」


 シャワーの音が途切れると、湯船に足跡が近付いてくる。

 そっと泉の水面に差し入れられた、それはまるで女神の素足のような。改めてヨラシムは背を向け壁を凝視した。日本の伝統に沿った形で作られたこの大浴場には、壁のタイルに巨大な山の絵が描かれている。

 それも今はほとんど見えないが、仲間たちと飲みながら湯につかるのがヨラシムは好きだった。


「おじ様、例の工廠に備蓄された資材、廃棄されて置き去りになったパーツなどをリストアップしておきましたの」

「ほう? そりゃありがてえがよ。……お嬢ちゃん、あんたはどうするんだ?」

「どうするんだ、とは」

「このままこの基地で家族ごっこでもするかい?」


 それもいいなと思ったのは、リリスが余りにも幼馴染のリリィ、その若き頃の少女時代に似ているからだ。

 だが、以外にもリリスの解答は明朗だった。


「まずは心身をいやして疲労を取りますわ。そして、基地内の有用な資材を集めて……そして、旅が始まりますの」

「旅、だあ?」

「わたくし、母様に言われてますの。第七星都、東京に行け、と」


 それは、かつて日本と呼ばれた国の首都だ。人類が一丸となって戦う中で、軍事政権はプロパガンダのために世界各国の王国貴族、その末裔を利用した。中でも、地球上に十二か所存在する星都。パリやローマ等には防衛力を結集し民を集めた。

 防衛拠点を十二の星都に絞ることで、それ以外の全てを戦場として戦える。

 因みに、このミタマの秘密ドッグがある場所は、日本ではド田舎の青森県、陸奥湾を望む下北半島の外れの場所だった。


「第七星都……東京、か」

「わたくしはそこで、大切な秘密任務を実行せねばならないのですわ」

「へっ、人類が捨てて逃げたこの地球でか? カリギュラがうじゃうじゃいる、この星でか!」

「はいですの! そうなったからこその、大切な約束をわたくしは果たしたいのですわ」


 それが、母親であるリリィの遺したものなのだろうか。

 もしかして、リリスは乗り遅れたのではなく、意図的にこの星に置き去りにされたとしたら? ヨラシムは、そんなことがあるものかと真っ先に否定した。

 小さな小さな、妹みたいな幼馴染だったリリィ・マルレーン。

 いつも背後をついてくる、優しくて弱虫で泣き虫な女の子だった。

 軍人になってミタマの艦長を拝命した今も、それは変わらない。変われないからこそ、軍人としていつも多くの部下が散る様に胸を痛めて隠れて泣いている、そういう女性だった。

 だから、ヨラシムは好きだった。

 この女のためなら死ねると思っていたのだった、

 だが、実際にはその決死隊に傭兵仲間を巻き込み、自分だけが生き残ってしまった。


「さ、おじ様! こっちを向いてくださいな。わたくしにお背中を流させてくださいですの」

「だからなぁ、いいか? お嬢ちゃん。おぼこなんだろうが、ケダモノみたいな男を前にして無防備すぎるぜ。それに、ガキにそんなことされても嬉しかねえよ」

「もおっ! おじ様! わたくし、もう子供ではありませんわ。それに、おじ様となら……だって、わたくしはおじ様にしかもう頼れない、この地球でたった二人の――」


 余りにも清らかで優しくて、そして無防備で無遠慮だった。

 ちょっと腹が立ったから、ヨラシムは振り向く矢立ち上がる。そこには、湯船の中に座る可憐な少女が一人。リリスは改めて見ると、肉付きがよくてメリハリのあるスタイルで、古代の女神像か天使像かというような美しさだった。

 その目の前に、全裸でヨラシムは迫る。

 ちょっと、わからせてやろうと思った。大人をからかうなと思った、その時だった。


「じゃあなにか、お嬢ちゃん。こちとら戦場帰りで気が立ってんだ。やらせてくれるってのか、よ、おお? あ、ありゃ? ――ってえ! クソッ!」


 リリスの華奢な肩に手をかけた、その時だった。

 あっという間にヨラシムは宙を舞って、湯船から放り投げられた。そして、濡れたタイルの上にしたたかに全身を打ち付ける。もちろん、とっさに受け身を取ったが、それくらいしかできなかった。

 格闘技の訓練は必須科目だし、パイロット候補生なら皆が厳しい指導を受けている。

 だが、たたき上げの傭兵であるヨラシムだって、同業者との喧嘩や束の間の休息の賭け試合では負けたことがなかった。

 そのヨラシムが、一本背負いでブン投げられたのである。


「油断しましたわね、おじ様。もぉ、わたくしとしてはもう少しロマンティクスがほしいですわ」

「……そいつは悪かったなあ、お嬢ちゃん。……へえ、こりゃ笑えねえぜ」

「という訳で、こちらにいらしてくださいな。……夢だったんですの。こうして、とう様みたいな方と一緒のお風呂」


 リリスはそのまま、大の字に倒れたヨラシムの腕をつかむと、ずるずる引きずって洗い場へと連れてゆく。なんともしまらな、非常に無残でみじめな感情を噛み締めつつ、不思議とヨラシムはそこまで不快ではなかった。

 もし、世界が平和だったら。

 もし、カリギュラが宇宙から攻めてこなかったら。

 その時は、愛娘とこんな時間が持てたかもしれない。傭兵にもならず、リリィと一緒に生きて暮らして、そして家族になれたかもしれない。

 だが、現実はそうはならなかった。

 ただ、それだけが真実だった。


「はいっ、ここに座ってくださいね? おじ様の背中、おっきい……そして、傷らだけ。身体中、古傷ばかりですの」

「何度か死んでるレベルの人生でな。あーもぉ、クソッ! 好きにしてくれや、お嬢ちゃん」

「はいですの! もう身体は洗ったあとかもですけど……こういうの、憧れでしたわ!」


 タオルにボディーソープを泡立て、せっせとリリスはヨラシムの背中を洗い始めた。

 悔しいが、悪くないと思ってしまった。

 同時に、若くて豊満な美少女と生まれたままの姿で接してる……そのことに対して、全く性欲が働かない。戦闘のあとはいつも自分の中の男が荒ぶるし、仲間たちとよく花街に繰り出したものだ。

 命をかけた戦いに生き残る都度、女の体臭とぬくもりが恋しくなった。

 それが今は、ない。

 商売女とは全く違う柔らかさが感じられて、ヨラシムにはなにもできないのだった。

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