第8話 生徒たち――ハーデルリア王立第三高等魔法学校付設、転移者専用寮『ストレンジャーズ・ドミトリー』
飯島京也、秋山幸雄、沢井和則の三人は魔法学校に付設された寮の図書室にいた。
この寮は彼らのような転移者専用の寮だ。
そして寮には転移者のために図書室が併設されている。
図書室はそれなりの広さがあり、蔵書も豊富だ。
これは王国政府が「転移者が少しでも早くこの世界に馴染めるように」との配慮で、自由に学習できる環境を用意したためだ。
だが残念ながら、当の本人たちにその意識は薄かった。
自分達の世界でさえ、活字などの書物を読むという経験の少ない彼らが、文字が分かるようになっているとは言え、異世界の慣れない文章を読むはずがなかったのだ。
結果として、図書室の利用者は極めて少ない。
そのため図書室は、他の人間に聞かれたくない密談をする場所か、カップルの逢引の場としてしか、使われていなかった。
飯島たち三人が図書室に集ったのも、そんな背景があるためだ。
彼らはその中でもさらに人が来ることがなさそうな、書棚の隅に集まっていた。
「まさか、あのモブ藤が生きていたなんて……」
リーダーである飯島が苦虫を噛み潰したような表情でそう言う。
「しかも軍に入って功績を上げて、俺たちの教師だなんて……何の冗談だよ」
沢井も吐き捨てるように口にした。
飯島がイラだったように秋山を見る。
「あの時、確かにモブ藤のヤツを魔族軍は追いかけて行ったんだよな?」
あの時とは彼らがこの世界に召喚された時、そして魔族軍に襲われた時の事だ。
問い詰めるようなその口調に秋山が焦ったように返答する。
「もちろんだよ。俺はモブ藤に『魔族軍が入って来た場所の、すぐ横にある門が脱出場所だ。だけどいきなり全員で行く訳にはいかない。一緒に偵察に行こう』と言って誘い出したんだ。そこで魔族に襲われそうになった所でアイツに『先に行ってくれ。俺が引き付ける』と言ってモブ藤を先に行かせて俺は隠れた。魔族たちがアイツを追いかけるのを確認して、俺は戻って来たんだ。間違いなくモブ藤は魔族軍の真っ只中に居て、戻って来れるような状況じゃなかった」
それを聞いた飯島が唸るように言う。
「それじゃあアイツは、あの魔族軍の中で生き延びたっていう事か? アイツにどうしてそんな力が?」
沢井が心配そうな顔で言う。
「もしかして……俺たちの中から現れる伝説の勇者って、アイツの事なんじゃ……」
「まさか、あんなモブ野郎がか? 学校でも全然目立たなかった陰キャが?」
「ありえない」といった様子で首を振る飯島に、秋山が心配そうな声で言った。
「い、いまはそれより、あのモブ藤が俺たちの教師になった事の方が問題じゃないかな? 俺たちがアイツを囮にしたってクラスの全員のバレたら……」
それに飯島が短く答える。
「まぁ秋山の立場は悪くなるだろうな。何しろモブ藤を魔族軍の囮に誘い出したのはオマエなんだから」
「そ、そんな。最初に『モブ藤を囮に使おう』って言いだしたのは飯島ちゃんじゃないか! それに沢井だってすぐに賛成したろ!」
「俺まで巻き込むなよ。一番乗り気だったのは秋山だったろ。それに『逃げるには囮が必要だ』って言い出したのも秋山だ。あの状況で囮って言い出したのは、秋山だってモブ藤が頭にあったからだろ!」
「で、でもそれはみんなだってそう思って……」
「もういい、やめろ」
言い合いになりそうになった二人を、飯島が止める。
「今さらあの状況で『誰がモブ藤を囮にしたか』なんて言い出しても仕方がない。それに他の連中だって無罪じゃない。モブ藤を置き去りにした事はクラス全員が解っていた事だからな」
それを聞くと秋山と沢井は、少しホッとした顔で頷いた。
「それよりも問題はモブ藤のヤツがどう思っているかだ」
「どう思っているって?」と秋山。
「自分が囮に使われた事は分かっているだろう。当然、俺たちに恨みを持っているに違いない。そんなアイツが俺たちに魔法を教える教師になったんだ。何かしら仕掛けてくるだろうな」
「どんな事を仕掛けて来るつもりかな?」と言ったのは沢井だ。
「実習という名目で俺たちに危害を加えようとするだろうな。もしかして隙を見て殺すつもりかもしれない」
「あのボンヤリしていたモブが?」
そう言った沢井に、秋山が反論する。
「いや、そう考えるべきだ。沢井は自分を捨て石にした相手を許せるか? アイツは俺たちに復讐するためにこの学校に来たんだ。間違いない!」
「俺も秋山の言う通りだと思う。アイツだって無傷であの状況を生き残れたはずはない。だから俺たちはモブ藤に最大の注意を払わなければならない」
そんな飯島に秋山が救いを求めるような目を向ける。
「注意を払うって、具体的にはどうすればいい?」
「まずはアイツの授業はボイコットだ。授業中に『魔法の実演』とか言われて実験台にされるのは真っ平ゴメンだからな」
「ボイコットと言うと、クラスの他の連中にも声をかけるんだよね?」
「当然だろ、秋山。俺たちだけじゃ単にサボッた事になるだけだ。クラスの連中にもモブ藤の授業はボイコットさせる。それが続けば学校側も無視はできない。モブ藤のヤツは担任から外れる事になるだろう」
「クラスの連中は参加するかな?」
沢井のその疑問に飯島は自信ありげに答えた。
「大丈夫だろ。アイツラだってモブ藤を置き去りにした事で同罪だ。モブ藤は俺たち全員に恨みを抱いているはずだ。いつアイツにやられるか分からないんだぜ。それを言えばみんな当然ボイコットに協力するさ」
飯島のその言葉に秋山が嬉しそうに賛同する。
「そうだよね! じゃあさっそくみんなを集めて、モブ藤の授業をボイコットするように話そうよ」
「ああ、秋山と沢井は根回しの方を頼む。いきなりみんなを集めて言うより、ある程度は話を流して、みんなの反応を見ておく方がいいからな」
飯島がそう言ってニヤリと笑うと、秋山と沢井にそれに続いた。
同じ頃、片桐銀太をリーダーとする亀谷寛、前田信明のヤンキーグループも、「衛藤玲央が魔法教師となった事」について話し合っていた。
場所は彼らに与えられた寮の部屋だ。
最初に口火を切ったのは亀谷だ。
「銀ちゃん、どう思う?」
「どうって、なんの事だ?」
「モブ藤の事だよ。アイツが新しく俺たちの担任で、魔法を教える教師になるって」
片桐は別に興味なさそうに答えた。
「別に、どうとも思わねぇ。誰が先公になろうが俺は態度を変える気はない。まぁ美人エルフのフリージアを拝める機会が減ったのは残念だけどな」
しかし前田も心配そうな顔をした。
「だけど俺たちはモブ藤を見殺しにしたんだぜ。アイツが俺たちに仕返しする気になったとしてもおかしくない。魔法を使えるようになったアイツがわざわざ軍から俺たちの担任になるためにやって来たなんて……そうとしか思えねぇ」
「そうだとしても、まず狙われるとしたら飯島たちのグループだろ。衛藤を囮に誘い出したのはアイツラだ。俺はそれを見ていたからな」
そう言って片桐は自分のベッドに横になる。
「「じゃあそれまでは?」」
亀谷と前田がほぼ同時に尋ねると、片桐は天井を見ながら答えた。
「ああ、しばらく様子見だな。わざわざコッチから動く事はない。飯島たちが先に動いてくれるさ」
飯島グループと片桐グループが話し合っていた少し後、鈴原茜と原千華もやはり衛藤玲央について話していた。
彼女たちは寮の自室だ。
彼女たちは二人部屋で同室だった。
「衛藤くん、無事だったんだ。本当に良かった……」
茜は自分のベッドに腰をかけて、安堵の余り涙をこぼしていた。
「そうだね。茜ははずっと衛藤くんの事を心配していたもんね。きっと茜の祈りを神様が聞き届けてくれたのかもね」
その隣に寄り添うによう座っている千華がそう言うと、茜は泣き笑いの顔で言い返す。
「千華だって、ずっと衛藤くんの事を気にしていたじゃない。いつも元気な千華が衛藤くんの話が出ると暗い顔になって……私、知っているんだから」
「それは……あたしだって彼を置き去りにして逃げた事には、ずっと良心が咎めていたよ。だって事実上、囮にしたようなものじゃない」
すると茜の表情が再び曇る。
「そうだよね。私たち、彼を囮にして生き延びる事ができたんだよね……たとえ彼が助かっていても、その事実は変わらない」
「茜……」
「衛藤くん、私たちの事を恨んでいるよね……」
千華の表情も曇る。
「それは……やっぱりそうだろうね。いくらあの時の状況を考えると仕方がないとは言え……」
「ワザとじゃないとはいえ、彼一人が魔族の軍団を引きつけている間に私たちは逃げたんだ。どれだけ恨まれても仕方がないよね」
だがその茜の言葉を聞いた千華は、黙って床を見つめた。
「どうかしたの、千華?」
茜が不思議に思って尋ねると、千華はしばらく床と茜の顔を交互に見つめていたが、やがて決心したように口を開いた。
「その事なんだけど……実は衛藤くんが魔族軍の中に置き去りになったのは、本当に偶然だったのかなって……」
「え、どういうこと?」
目を丸くする茜に千華が言葉を選ぶようにして話し始める。
「あの時、飯島たちは『衛藤くんは脱出口らしいものを見つけて、独りで行ってしまった。だが魔族は彼を追いかけて行った』って話していたでしょ」
「うん」
「実は飯島たちが衛藤くんを独りで行かせた上、魔族たちに追いかけさせて置き去りにしたって噂があるの」
茜の顔色が変わる。
「ウソ、まさか、そんな事……」
「あたしも全部信じている訳じゃないよ。どうやって衛藤君を独りで別の場所に行かせる事ができるのか、それだって疑問だし」
「そ、そうだよ。クラスメートをわざと囮に使うなんてそんな事……噂は噂にすぎないよ!」
「でもね、衛藤くんがみんなから離れる直前、秋山が彼に話しかけているのを見た娘がいるの。秋山って普段は飯島たちと一緒にいるでしょ。それなのに衛藤くんが居なくなる直前だけ彼と一緒にいるなんて、何かおかしいと思わない?」
「それは、あんな状況だから……」
そこまで二人が話した時だ。ドアがノックされた。
「誰?」
千華が尋ねると「アタシ、田村梨花」と返事が返って来る。
千華は立ち上がってドアを開いた。
そこには少し派手目だが、可愛さも備えた明るい茶髪の少女が立っていた。
彼女は田村梨花。
女子陽キャグループの一人であり、どのクラスメートともそれなりに交流がある。
あの飯島たちともほぼ対等に話が出来る数少ない存在だ。
そして茜や千華とはタイプが違う美少女である。
「なに、梨花。なんの用?」
「なんかね~、飯島たちが話があるんだって。集まって欲しいって」
梨花は肩のあたりで自分の髪の毛をイジリながらそう答えた。
「飯島が? 何の話?」
「さぁ~、アタシもそこまでは聞いてないし」
梨花はそう答えると
「場所は食事の後でホールに集合だから。じゃ伝えたからね」
と言って身体を翻していった。
ドアを閉めた千華に茜が不審そうに尋ねる。
「飯島くんたちの話って、何だろう」
「わからないけど……なんか嫌な感じがする」
千華は眉根を寄せてそう答えた。
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