第7話 教頭・赤マント

職員室に戻ると、俺は自分の席に着くなり背もたれに全体重を預けて仰け反った。


「つ、疲れた……」


思わず本音が漏れる。

一緒に戻って来た隣席のフリージアが心配そうに俺を見た。


「大丈夫ですか? ポーションを持って来ましょうか?」


そう言われて俺もすぐに身体を起こした。


「あ~大丈夫です。疲れたのは身体じゃなくって心の方なんで?」


「心?」


「数年ぶりに顔を合わせた元同級生ですからね。しかも今回は先生と生徒という立場で。そりゃ疲れますよ」


苦笑いで答えた俺だが、それ以外にも精神的に疲れる理由はある。

何しろ俺は彼らによって、魔族の中に置き去りにされたのだ。

今さら恨んでいる訳じゃないが、完全にわだかまりが溶けた訳でもない。

だがそれを今、フリージアに話すつもりはない。


「そうですよね。お友達だった人がいきなり生徒になるなんて……誰しも戸惑いますよね」


そう言ったフリージアと俺の間に、ウルタ上級曹長が割って入る。


「大尉、お茶が入りました」


彼女はまるでフリージアが居ないかのように、一つだけティーカップを俺のデスクの上に置く。


「俺の分だけ入れたの? フリージアの分は?」


そう尋ねるとウルタは「私は大尉の秘書官なので」と無表情に答える。

確かに彼女の職務は俺のサポートだ。

だが今まで俺のオフィスに来客がある時は、必ず相手の分もお茶を入れていたのだ。

俺はウルタを窘めようとしたが、それより先にフリージアが


「あ、私は大丈夫ですよ。疲れてなんかいませんし、お茶くらい自分で入れますから」


とフォローに入る。

そう言われては俺としては何も言う事がない。


俺はデスクの上のティーカップを手にすると、それを口に運ぶ。

芳醇なハーブの香りが、俺の鼻孔と共に気持ちも癒してくれる気がする。

しかしウルタ上級曹長は、まだ俺たちの間に立ったままだった。

不満そうな目で俺を見ている。


「なにか言いたい事があるのか?」


俺がそう尋ねると彼女は「いえ」と言って一旦は目を伏せたが、数秒後には顔を上げた。


「大尉はどうして、あのような無礼な態度を許して置くのですか?」


「ブロンズ3のクラスの生徒の事か?」


ウルタは黙って頷いた。


「知っての通り、アイツラは向こうの世界では俺と同じ学校の生徒だったんだ。そんな連中に『今日から俺を先生として敬え』と言っても無理だろ」


「たとえ向こうの世界ではそうであっても、この世界では彼らと大尉では明確な差があります。それに例え同じ年齢であっても、指導教官に対して無礼な態度を取っていい理由にはなりません」


ウルタの猫耳がピクピクと動く。

かなりの怒りを感じているのだろう。

彼女は俺を尊敬し、心酔している。

それだけに俺が軽んじられているのが我慢ならないのだろう。

それと軍隊では階級が全てだ。

年上・同じ年・年下などは関係ない。


そんなウルタが今度はフリージアに怒りの矛先を向けた。


「そもそもフリージア先生の態度が甘すぎたのが原因ではないんですか? 教師に対して『ちゃん付け』で呼ぶなんて、自分には考えられません! フリージア先生がそんな舐められた態度だから、大尉までが軽んじられるんじゃないでしょうか?」


「ごめんなさい。そうですね、私に先生らしさが足りませんでした。もっとビシッと言った方が良かったかもしれませんが……」


フリージアが身体を小さくしている。

なんかとばっちりを喰らったみたいで気の毒だ。


「フリージアのせいなんかじゃない。アイツラは、と言うか俺のいた世界では、先生がそこまでの権威は持っていないんだ。アイツラは先生を呼び捨てか勝手な渾名を付けて呼んでいたよ」


俺の説明にもウルタは納得できないようだ。


「そんな態度だから、彼らは退学寸前まで追い込まれているんじゃんないでしょうか? しかもその自覚もない。なんであんな不遜な態度を取れるのか、自分には理解できません」


実は俺も、彼らの余裕綽々の態度は疑問だった。

フリージアに尋ねる。


「もしかして彼らは『今のままなら一年後に退学になる』という事を知らないんじゃないのか?」


フリージアが再び困り顔になる。


「ええ、変に動揺を与えてはいけないという事で、教頭先生から『この件は生徒たちには伝えないように』と硬く言われています。私も脅すような事は言いたくないので、今まで伝えなかったのですが……でも今のまま、何も知らないまま、彼らがこの学校から放逐される事を思うと、言ってあげた方がいいようにも思うのですが」


俺も考え込んでしまう。

今の彼らに「このままだと一年後には退学になって、今の生活を失う事になるぞ」と言っても、反発を買うだけなような気がする。


(どうすればいいのか? 本人たちが自分で気づいてくれるのが一番だけど、それは難しいだろうな)


無言になっている俺たちに、カツカツと近づく足音が聞こえた。

視界の隅に短めの赤いマントがチラチラと動いて見える。

目を向けると赤マントこと、教頭のハンス・シュナイダーがやって来た。


「どうでしたか、初めての授業は?」


その口調と目つきが、まるで様子を伺っているように見える。


「正直な所、難しいクラスですね。全員に魔法を見せてもらったんですが、ごく初歩の魔法を使えるのは二人だけ。マナを魔法エネルギーに変える術も知らない。二年間、魔法を学んでいるとは思えないレベルです」


すると赤マントは微妙に嬉しそうな顔をした。


「ほぉ、数々の戦場で目覚ましい軍功を上げて来たレオ先生でも、あの生徒たち相手では難しいのですか。これは困りましたな。何しろ我が王国と魔王軍とは千年の長きに渡る戦争をしており、この先もどれほど続くかは分からない。王国の財政に余裕はありませんし、当然我が校の予算も苦しい。いくら勇者候補のクラスとは言え、いつまでも成果が出ないのに市民とはかけ離れた特別待遇を与える事は不可能なのですよ」


フリージアがキッとした目を赤マントに向けるのが分かった。


「お言葉ですがシュナイダー教頭。彼らは望んでこの世界に来たのではないのです。私たちの都合で無理やり連れて来られた人たち。そんな彼らに対してそんな一方的な仕打ちをするのはどうかと思います」


赤マントは大仰に首を左右に振る。


「それは分かっています。私だって彼らに対しては出来るだけの事はしてあげたい。しかし王国政府にも魔法省にも、彼らのヤル気の無さが伝わってしまっているのです。それは頂けない」


赤マントは芝居が掛かった口調で台詞を切ると、俺を見た。


「だからこそ同じ世界の人間でありがなら、著しい成長を遂げているレオ先生に来て頂いたのです。レオ先生ならきっと彼らを、素晴らしい魔法士にして貰えると思ってね」


俺は横目で赤マントを見た。

彼は何を言いたいのだろう。

俺を快く思っていない事は分かるが、何を期待しているのかまでは分からない。

仮に俺がクラスの連中を成長させる事が出来なかったとしても、一年後に俺は軍に戻るだけだ。

確かに少佐以上には登れないだろうが、俺は別に昇進なんて望んでいない。

クラスの連中がこの世界の一般人として放り出される事に多少の同情はあるが、だからと言ってそれ以上の事もない。

俺は少し赤マントの反応を知りたくなった。


「そう言えば教頭先生は、一番最初にあのクラスの担任を務めたんですよね? どんな様子でした?」


すると途端に赤マントの表情が険しくなる。


「言ってしまえば、丸っきりヤル気のない甘ったれた連中ですな。確かに最初はこの世界の事は何も分からないため、ある程度は大人しくしていたのですが、自分達が勇者候補である事を知ると途端に態度が大きくなりましたよ。我々教師に対しても尊敬の気持ちは欠片もない。まるで自分達のために我々が何かをするのが当然だと思っている。そのクセ、自分達からは何もしようとしない。王族の子弟でもあそこまで横柄ではありませんな! これは私だけではなく、他の先生も同意見です」


長い台詞を一気に、語気も荒く言い放った。

よっぽどブロンズ3の生徒に不満があるのだろう。


それを聞いて俺は笑いをかみ殺すのに必死だった。

どうやら教頭も彼らの洗礼を受けたようだ。

この頭ごなしに居丈高な教頭に対して、クラスの連中がどんな態度を取ったか、容易に想像できる。


自分でも少し興奮した事を悟ったらしい教頭は小さく咳払いをした。


「ともかく、彼らの好き勝手をこのまま許容する事は、学校としても出来ない訳です。レオ先生の役目は重大ですよ」


なるほど、そういう事か。

赤マントは、ブロンズ3のクラスの連中をこの学校から退学させたいのだ。


だが仮にも『異世界から呼び寄せた勇者候補のクラス』だ。

ただ単に追い出したのでは、魔法省の役人たちに「教師の指導能力が足りない」と思われかねない。


だが同じ世界からやって来て、軍での実績もある俺が指導しても彼らが成長しなかったならば、「元から彼らは才能がなく勇者の候補ではなかった」と役人も判断すると踏んでいるのだろう。

それに最後に失敗するのが、クラスの連中と同じ転移者の俺だ。

教頭たちにとっては自分達に傷がつかない最良の方法かもしれない。


フリージアが不安と不満が入り混じった目で、俺と赤マントを交互に見ていた。

正直、俺にとってはクラスの連中がどうなろうと、半分はどうでもいいと思っていた。

だがこのいけ好かない赤マント教頭の思い通りになるのも癪だ。


「そうですか。では俺も出来るだけ頑張ってみますよ」


俺は教頭の思惑など気づかぬ様子でそう答えた。

教頭は「しっかり頼みますよ」と言うと背を向けて去って行った。

その間際に口元に僅かに笑みを浮かべたのを、俺は見逃さなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る