第35話 ウィーン

 シエルは極度のネズミ嫌い。


 その情報を得てしまった以上、ネズミのネタはできない。ネズミの生態やらを取り込んだネタなので、この短い時間でアレンジすることも不可能だ。


 部屋の隅っこで、智介ともすけとパラエナとアルトはコソコソ話す。


「どうする?」智介ともすけは言う。「どうしたらええ?」

「わ、わからないわ……」パラエナも焦っている様子だった。「他のネタなんて練習してないでしょう……?」

「3日しかなかったからな……」それでも予備のネタくらい用意しておくべきだったか……? 「どうしよう……なんかできること……」


 アルトが言う。


「手を使わずに犬のエサを――」

「それはもうええから」鉄板ネタみたいに語るな。「とりあえずワシが脱ぐか? パンツ姿になるか?」

「パンツ姿でウ◯コのハチマキつけてるの?」

「そうや。それから……」しばらく考えるが……「どうしたらええんや……」


 助けてくれ、とにかく明るい人とそんなの関係ねぇ人と笑いのニューウェーブ。この世界にはあなた達の力が必要だ。あの3人ならきっとシエルも笑う。


 智介ともすけ1人だったり、相手が男性なら脱ぐのもアリだったかもしれない。しかしパラエナもいるし、観客は女性だ。リスクが大きすぎる。


 パラエナが言う。


「……どうしましょう……一度、出直す?」

「二度と屋敷に入れてくれへんやろな」

「……そうね……」


 今のところまったく良いところがないのだから。門前払いを食らうだろう。今度はガジーナが助けてくれるとも限らないし、助けてくれるとしても交換条件を出してきそうだ。


 智介ともすけは言う。


「やるしかないな……」

「なにをやるのかしら……」

「即興コントや」それしか道はない。「2人は適当に思いついたボケを連発してくれ。ワシがツッコむから」

「し、素人2人のボケで大丈夫かしら……」

「ヤバいと思ったらワシもボケるわ。そのときはツッコんでくれ」

「……頑張るけれど……自信ないわ……」


 こんな不安そうな表情のパラエナははじめて見た。


 ともあれ……やるしかない。


 即興コントスタートである。







 ☆ 







 コントの開始を宣言して、智介ともすけは言った。


「ああ……最近運動不足やからなぁ。せや、近くにスポーツジムができたんやった。初心者歓迎で楽しく運動できるって話やから、行ってみよかな」

 

 智介ともすけは自動ドアが開く音を口で言った。


「ウィーン」

【なんで自動ドアが異世界にあんねん】

「お前がツッコむんかい」急にテキストウィンドウが出てきた。「ウィンドウの文字は他の人は読めてないから。ちょっと静かにしといてくれ」

【ゴメン】

「いや……助けようとしてくれたのはわかった。ありがとう」


 コントに戻ろう。なに独り言を言ってんだコイツ、みたいな目線が痛い。


「失礼します。スポーツジムに入会したいんですが」

「いらっしゃいませ」ジムの職員役になってくれたパラエナが、「では、こちらの離婚届にサインをお願いします」

「なんで離婚せなアカンねん」スベった気がするが、気にしてはいられない。「いや、スポーツしたいんです。離婚したいんじゃなくて……」


 ともかくちゃんとボケてくれているのは朗報だ。緊張してボケがなくなるのだけは避けたかった。


「ああ……失礼しました」パラエナは自然な動作で智介ともすけに近づいて、小声で聞いた。「ねぇ……スポーツジムって何?」

「……この世界にスポーツジムって概念はないんか……?」

「ワタシは聞いたことないわ……」


 いきなり舞台選択をミスった。酒場とかにしとけばよかった。この世界に存在しない場所に来てしまった。


 智介ともすけは言う。


「ああ……運動して良い汗かいたなぁ。せや……近くに新しい酒場ができたんやった。そこに行こかな」強引に場面を転換して、「お邪魔します」

「いらっしゃいませ」今度はバーの店員役のアルト少年のセリフ。「ご注文は?」

「せやなぁ……オススメで」

「ではこちらの離婚届にサインを――」

「だからなんで離婚せなアカンねん」というかこの世界に離婚届ってあんの……? 役所仕事があんの? 「そもそも結婚してないんですけど……」

「それは失礼しました」


 ……

 

 ……


 ……


 沈黙。不自然な沈黙。そりゃ即興なんだから誰もセリフなんて思いつかない。


「そういえば」「今回は」


 智介ともすけとパラエナのセリフが被った。すごい気まずかった。


 ……


 なんかヤベー空気になってる気がする。舞台でスベったときよりもヤバい空気になってる。心臓止まりそう。全身の血液が消えて無くなりそう。


 ……


 おとなしく一度くらい出直したほうが良かっただろうか?

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