第11話「初デートの朝に」

 土日の連休を取ることにした。

 ありすのスケジュール管理もあって、皆で集中して作業をこなしたので余裕ができたのだ。もちろん、進捗しんちょくはエリカに報告してあるし、ゴーサインも出ている。

 この土曜日、俊三はネットの盆栽仲間とオフ会らしい。

 みずきはひ孫たちと東京スカイツリーに行くと言っていた。

 因みにありすも、なにやら用事があるからと家にこもっているらしい。

 そんな訳で、利好に初デートの日がやってきた。

 朝食後の朝8時、自室にこもった愛念に軽くドアをノックしておうかがいを立てる。


「あ、利好さん。どうぞ」


 いつもの落ち着いてしっとりとした、少しハスキーな声がした。

 それで「お、お邪魔します」と室内に入り、利好は悲鳴をあげた。

 床一面に綺麗にしきつめられた、ゴスロリグッズの小物たち。鞄だけでも10個以上はある。そして、愛念が睨むクローゼットの中には、ゴスゴスでロリロリな衣装がずらりと並んでいた。

 そして、愛念自身は下着姿だった。

 いつも仕事の時の、サラシをやめてのスポーツブラではない。

 スケスケでレースが精緻に飾られた黒の上下だった。


「まっ、まままま、愛念さんっ! なにか着てくださいぃぃぃぃ!」

「いえ、それが……どれを着ていこうか迷ってし、ま、って……ほへ? ひあああっ!」


 ようやく愛念も、自分の格好に気付いたらしい。

 慌ててカーテンの陰に隠れながらも、そこからクローゼットを睨む。


「す、すみません! 実は昨夜、デ、デデ、デート……初デート用の服は決めたんですが」

「いや、そこじゃなくて! ……凄く、えっちな下着だ……」

「ふえ? あ、ああ、これは……お着換えの時は下着から、が基本で……あっ! ……み、みみみっ、見ました?」

「だだだ、大丈夫です、下着しか見えませんでしたから!」


 なにが大丈夫なんだと思いつつ、利好は部屋を改めて見渡す。

 祖母がかつて生前に使っていた部屋だが、十分な広さで愛念に不自由はなさそうだ。ベッドとクローゼットを置いてもまだ余裕があるし、帽子や小物を入れた箱の数々も整頓されている。何個かまだ開けていない段ボールがあって、以前見たドレッサーの横に積んであった。

 そして、フローリングの床の大半がゴスロリグッズで占領されていた。


「今日のテーマはやはり……『ローマの休日in秋葉原の女神』でいこうと思いますっ!」

「あ、ああ、うん。え? 秋葉原? 渋谷とか原宿じゃなくて?」

「一人の時はアチコチひいきにしてるショップを回るんですけど。でも、今日は利好さんとのデートですし。それに、秋葉原にはちょっとした集まりもあって人気なんですよ?」

「はあ」


 利好としては、秋葉原はホームグラウンドだ。

 というか、休日は神田と秋葉原しか行ったことがない。

 愛念に改めて外で待つと告げて、利好はドアの外で後ろ手に扉を閉めた。

 朝から心臓に悪い。

 さっきまでお互い、ウニクロのスエット姿で朝ごはんを食べていたのに。そのあと、随分部屋から出てこないと思ったら、今日のゴスロリ衣装を選ぶ脳内会議の真っ最中だった。

 そうしていると、ガチャリとドアが開かれる。

 そこには、お忍びデートで無駄に目立つお姫様の姿があった。


「お、おおお……」

「ど、どうですか、利好さん。ローマの休日感、ちょっとありません?」

「あるある、お姫様が身分を隠してる感みたいなの、あるよ!」


 現れた愛念は、晩秋の休日にマッチするような、とてもシックな色合いに身をつつんでいた。長い長い髪はウィッグで、ブラウンが巻き巻きに巻いてある。服装もコートやその中、ロングスカートまで落ち着いた色合いが感じられた。

 もみじやいちょうの色合いも、紅葉を意識したコーデだろう。

 キラキラのフリルも抑えめだが、長いまつげや輝く瞳は別人のように美しい。


「い、いや、普段も美しいけど! 綺麗だけど! いやあ、でも」

「どうしたんですか? 利好さん」

「いやあ……あの、素敵です」

「ありがとうございます。今日、デート……初デートなので、昨夜散々悩みました」


 聞けば、初デートが嬉し過ぎて昨夜遅くまで衣装を選んでいたという。


「寝る前に、これだ! って決めたんです……でも、朝起きたら」

「あー、わかる。漫画の原稿も深夜に完成して寝ても……翌朝見直すと、ちょっと微妙だったりするもんね」

「そう、それです! で、朝から悩んじゃって。でも、悩みに悩んだ末のこのコーデ……」

「昨夜選んで決めたものと同じだったんだね。うん、漫画でもまれによくある」

「ですよね! あるあるですよね!」


 愛念の笑顔が眩しい。

 その一方で、利好はいつものはき古したジーンズにTシャツ、そして革ジャンだ。オシャレに頓着とんちゃくがない利好は、清潔感が感じられれば基本的になんでもよかった。

 そして、愛念が自分の隣の姿をアレコレ求めたり欲したりしないと知っている。


「利好さんのジャンパーも、かなり着つづけてる感じですよね。適度によれて年季が入ってて、素敵です」

「はは、学生時代から着てるんだけどね。買った時点で古着だったし」

「物持ちがいいんですね。わたし、服を大事にする人って好きです! ……ぁ」


 自分で言ってから、愛念は頬を赤らめる。

 そんな彼女の手を取って、勇気をもって手を繋ぐ。


「じゃ、じゃあ、いこうか」

「はいっ!」


 秋葉原までは電車で二駅だ。

 だが、意外だったのも確かである。

 愛念がまさかオタクの電気街である秋葉原に行きたがるなんて。

 でも、ちょっとだけ気持ちがわかる。秋葉原はオタクの街、時代の流れこそ激しく速いが、ありとあらゆるサブカルチャーが集う世界の中心地なのだ。

 メイドさんも歩いているし、特撮番組のバイク集団もいたりする。

 そこかしこに御同輩がいるし、秋葉原では誰もが他人を気にしないのだ。


「きょ、今日はじゃあ、秋葉原で……ほ、ほかに行きたいとこはないかな?」

「あとは、利好さんの行く場所にお供します。つっ、つつ、つ、妻なので!」

「は、はい」


 だが、階段を降りようとしたら意外な人物が仕事部屋にいた。

 開きっぱなしのドアの向こうで、自分の机にありすが座っている。彼女はなにやら、自分用の仕事に使うパソコンからデータを送信しているようだった。

 視線に気づいた彼女は、悪びれるでもなく「おはよ」と笑顔を向けてくる。

 アシスタントの皆は全員合鍵を持ってるし、家族も同然なので利好は気にしなかった。


「なんだ、ありす。忘れもの?」

「そんな感じ……って、おお! 愛念さん、今日も凄い! え、なにこれオサレ……」


 作業が丁度終わったらしく、ありすは二人の前に飛んできた。

 そして、着飾った愛念に目を細めては、そのまわりをぐるりと巡ってまじまじと見つめる。こころなしか愛念も恥ずかしそうな反面、とてもうれしそうだった。


「えー、凄い! 初デート、気合入ってる!」

「はい、とても嬉しくて。結婚して一カ月経つのに、二人きりのお出かけって初めてで」

「ねね、ちょっと一回転してみて! スカートふわーっ! ってやってみて!」


 愛念は一歩下がると、廊下の真ん中でくるりと身を翻した。

 ベージュ色のスカートがふわりと円を描いて、最後に彼女はそれを両手でつまんで礼をする。完璧な淑女の仕草で、まるで漫画かアニメを見ているような気分だった。


「こ、こんな感じでよかったでしょうか……?」

「かーっ! なにこれ宝塚!? ヅカなの、なんなのー! はあ……スマホで動画撮ればよかった」

「そ、そんな、恥ずかしいです。あ、でも、ありすさんも着てみては」

「あー、うーん、アタシはね。もう、見たまま普通にロリだから。ゴスロリ着たら本当に不思議の国のアリスになっちゃう。お兄ちゃんの描いてる漫画のアリスみたいにさ」


 そういう彼女は、小豆色あずきいろのジャージを上下に着ていた。

 驚くなかれ、大昔に成長の止まってしまった彼女は、まだ小学生時代のジャージが着れるのだった。化粧っけもないし、本当に出会ったころのままである。

 合法ロリっ子なのに、これがまた不思議と利好には刺さらない。

 見た目はかわいいし、ロリコンが夢見た二次元をそのまま取り出したような女性なのに、だ。多分、ずっと「お兄ちゃん」と呼ばれてるから、妹として大事に思うように精神構造が構築されたんだろうと思う。


「じゃ、二人とも楽しんできてね。アタシは実家でゴロゴロしてるから」


 それだけ言うと、ありすは去りかけて……階段を下りる前に戻ってきた。そして、利好の元に戻ってきて腕に抱きつく。

 そして、自分の財布を取り出すと……その中から、小さなビニール袋を取り出した。

 本当に小さくて、ちょうど飲み薬一杯分くらいの袋だ。

 だが、商売柄か利好にはそれがなにかすぐにわかった。

 使ったこともつけたこともないが、いろいろな種類を買って研究した過去がある。


「お兄ちゃん、これ……近藤さんコンドーム。ちゃんと使うんだよ? つけかたわかる?」

「ちょ、おまっ! ななな、なにを言ってるんだ!」

「バカ、声が大きいって! 転ばぬ先の杖、だよ。家族計画は綿密にね」

「ぼ、僕は別に、そんな」

「なんでさ! 雰囲気盛り上がったら、全然アリなんだからね! 愛念さんのためにも!」


 ふと振り返ると、先ほどの場所で愛念がきょとんと小首を傾げている。

 渋々利好は近藤さんを受け取り、それをポケットの奥へと突っ込む。出番はないぞと自分に言い聞かせる反面……こんなものを常備しているありすの方が、なぜか何倍も大人に思えて不思議なのだった。

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