第10話「理想の妹、それは偽妹(ぎもうと)」

 利好は昨夜、悶々もんもんとして眠れぬ夜を過ごした。

 深夜のちょっとした事件は、生粋きっすいのロリコン男に生身の女性を刻み付けたのだ。

 ドタプン……は、いいとして、妻の裸とそのぬくもりと。

 そして、思ったより怖がりで見た目に反して乙女なのだと知った。

 それが悪くもなく、ただただ戸惑いの中にかわいらしさが感じられた夜だった。


「ふぁーあ、ふぅ……眠い」


 昨日の闇鍋やみなべの残りで雑炊ぞうすいを作って、それを朝食にした。

 無論、まだ寝てる愛念まりすの分もレンジで温めるだけで食べれるようにしてある。時刻は今、朝の8時……晩秋の朝は快晴だが、肌寒くもあって風も冷たかった。

 それでも仕事部屋に顔を出せば、既に仲間が作業を始めていた。


「あ、お兄ちゃん。おはよ! ……なに、寝不足?」

「ああ、おはようありす。昨日の夜、ちょっとなー」

「グフフ、昨夜はお楽しみでしたね? この新婚さんめ!」

「そういうのはまだ……ただちょっと、気になることがあって」


 先程、外に出てちょっと風呂場の窓を見てみた。

 確かに、古い木造家屋なので微妙な高さに位置しているし、成人男性なら普通に覗き見れる目線の高さだ。一応、あとで業者に頼んで格子窓を追加しようと思う。

 しかし、幽霊はないとしても……覗き魔はゴメン被る。

 利好は自分なりに、妻をデバガメ野郎から守りたいと誓った。


「……という訳でなー、あんまり眠れなかったのさあ」

「へえ、覗き魔……この近所じゃ、あんまり聞かないけどねー」

「愛念さんが怯えちゃって、怖がっちゃって」

「そこでお兄ちゃんは、優しく抱きしめ? そのままベッドへ?」

「うんにゃ? ただ、シャワーの間ずっとドアの外にいた」

「うわー、甲斐性かいしょうなしー、ヘタレー」


 いいように言ってくれるなと苦笑しつつ、重い瞼をこすって仕事の準備にとりかかる。

 その時、小さなノックの音にありすが「ほいよー」と返事をした。

 入ってきたのは、寝ぼけた顔でパジャマ姿の愛念だった。

 まだ半分寝てるのか、普段の凛々しい表情がぼんやりとしまらない様子だ。


「おはようございまふー、利好さん……昨夜は、あの、ごめんなさい」

「ああ、いいのいいの。あんまし眠れなかった?」

「あいー、なんだか怖くて……一緒に寝てもらえばよかったでふ……」

「い、いや、それは! その、まだちょっと早いというか」


 ぼーっとした半目で愛念は周囲を見渡し、ありすとも挨拶を交わす。

 そして、彼女は寝ぼけたままスマートフォンを手に取った。


『もしもし、こちらは警察です。事件ですか? 事故ですか?』

「あのー、旦那様がかわいいロリっ子を家に――」

「だーっ! 違う! 前もいったけど、ありすは幼なじみ! 覚えて、慣れて!」


 慌てて利好は愛念に駆け寄り、そのスマートフォンを奪って通話を切る。本当に寝ぼけているのか、ぬぼーっと突っ立つ愛念は、スマートフォンを返してやると、その利好の手を取って引き寄せた。

 突然の、朝ハグ。

 むぎゅー、と抱きしめられて、胸の谷間にヘッド・オン!

 わしゃわしゃと頭を撫でられ、手足の指先まで電撃が痺れるような感触に利好は震えた。

 愛念さん、朝から破壊力がデカすぎます。


「はいはい、そういうのは二人きりの時にやってね」

「あいー、むふふ……利好さん、あったかーい」

「レンジに朝ごはん入ってるから、チンして食べたら二度寝したら? 仕事、夕方からでしょ」

「あい……ごめんなさい、なんか眠くて。起きたら洗濯とお掃除しますね」


 ぽてぽてと愛念は下のリビングにいってしまった。

 それを見送る利好は、まだ彼女の香りとぬくもりに包まれているみたいだった。その自覚があって、自然とほおがゆるむ。

 そして、ありすのあきれたような声を聞くのだった。


「お兄ちゃん、鼻の下伸びてる……すけべ」

「はっ! あ、いや、これは!」

「ロリ道一直線なくせに、大人の色香を覚えちゃって、まあ」

「ちちちちち違うわい! ……愛念さんはほら、澳さんだから」

「はいはい」


 もうすぐ俊三としぞうさんやみずきさんも出社してくる。

 今日明日頑張れば、来月号の原稿もめどがつきそうだった。

 そんな中、アレコレ帳簿や経理もやってくれるありすはキーボードをたたく。パソコンの数字を睨みながら、彼女は意外なことを言い出した。


「あのさ、お兄ちゃん。ちゃんと愛念さんと絡んでる?」

「か、絡んでる、とは?」

「なんつーかさあ、まあ、新婚なんてそーゆーもんだろうけど」


 ありすは、その小学生みたいな容姿でポンポン、ポンと会計ソフトをいじりつつ話す。


「ちゃんと愛念さんのこと、かわいがるんだよ? もっと距離感近くていいんだから」

「え、ええー!? そ、そんなこと言われても……あのなあ、僕は」

「知ってる。年齢イコール彼女いない歴、彼女の前に奥さんができたロリコンオタク」

「そこまで知ってるなら、あんまし高望みするなよなあ」


 ありすとの付き合いが長いから、利好も彼女とだけは気楽に話せる。

 異性を前にするとキョドってしまうし、まだまだ愛念とのふれあいもぎこちないし、向こう側が時々大胆なのでおどおどしてしまう。

 ありすとはもう十年以上一緒なので、逆に異性を意識しなくていいのが楽だった。

 ある意味ありすは、利好にとって理想のロリっ子だ。

 だが、こう見えても成人女性だし、自分よりずっと恋愛や交際を知っている。


「そういや、ありす。……もう、漫画は描かないのか?」

「かかなーい」

「アシスタントは助かるけど、お前だって本当は」

「かきたいものなんてなーい。……思い出させんなって、お兄ちゃん。そういうとこだぞ?」

「……ごめん」

「もー、深刻な顔はやめなって。アタシ、今が一番楽しいし? アタシがいないとお兄ちゃん、結局なにもできないし。多分、愛念さんともナニもできそうもないし」

「酷い言われよう……でも、現実! これが現実!」


 いつものペースだが、やはり今でも利好は気になるのだ。

 以前は、ありすも自分で漫画を描いていた。利好と違って、いわゆるエロ漫画でも王道的なやつ、どういう訳か多彩なシチュエーションで恋愛と性交の耽美な作品を量産していたのだ。

 そして、事件が起こった。

 ありすはエロ漫画界の新星から、名もなきロリお姉さんになったのだった。

 そして今は、利好のアシスタントをしつつ雑務全般を面倒みてくれる。


「ま、もう未練もないしね」

「などと言いつつ、こっそりネームを切ってるありすであった」

「ちょっとお兄ちゃん? 嘘なナレーション入れないでっての」

「いやでも、描いてるだろ? 僕、お前の漫画好きだったからさ」


 無言がたゆたう。

 重い沈黙の中で、ありすは観念したように溜め息をこぼした。


「……別に、手持無沙汰てもちぶさたな時に、暇つぶしだよ」

「気が向いたら見せてくれよな。あと、ヒロインはつるぺたロリっ子でたのむ」

「ばーか、見せないよ。……見せられないってば」


 その時、バーン! と扉が開かれた。

 朝食と洗顔を終えて、ツヤテカになった愛念が現れる。

 そこには、少年のような、どこか大型犬のようなハスハスとした瞳が輝いていた。


「ありすさんも漫画、描かれてるんですかっ!」

「うわ、ちょっと……どうどう、どう、ステイ」

「わたしも見てみたいです!」

「見せないってば」


 苦笑しつつ、ありすは両手で愛念の長身を押し戻す。


「それよかさ、愛念さん。次の土日、今の進捗状況だと休めそう」

「ほえ? そ、それって」

「アタシたち、こう見えても筆は早いんだよね。俊三さんもみずきさんも、めちゃプロフェッショナルだし。アタシのスケジュール管理は完璧だしね!」

「と、いうことは」

「お兄ちゃんとデートでもしたら? つーか、出会って結婚してから初デートって、順序がでたらめでしょ。あと、今日はアタシが洗濯機回しとくから二度寝しなって」


 ありすは優しく微笑み、あっという間に話題を塗り替え覆い潰す。

 そのうえで「お兄ちゃんはガンガン描いてね? 居眠りしたら蹴っ飛ばすから」と鬼の形相である。

 やはりまだ、あの話題に触れてはいけなかったかと利好は内心で反省した。

 ありすは確かに、ちょくちょく漫画やイラストを描いたり、ネームを切ったりしている。エロ漫画家をやめた今でも、むしろ少年視や少女雑誌向けの作品を創作しているみたいだった。

 俊三もみずきも知ってて黙っている、だから利好ももうしばらく見守ろうと決める。


「えっ、でもお掃除とかも」

「そんなボケボケに寝ぼけてる愛念さんじゃ、バーのお客さんもがっかりするでしょ」

「でも」

「共働きの主婦なんだもの、甘える時に甘えといて。洗濯物はほしとくから、午後に掃除だけお願い。昼食はなんか、アタシが適当に作っておくから……大変だったよね、昨夜。覗き魔、ちょっと町内会で調べとく」


 できる妹キャラ、有栖川ありす。とても利好の二つ下とは思えぬ仕事っぷりである。

 そうして彼女は二度寝に愛念を追い出すと、再び机に向かって仕事を始めた。

 その横顔を眺めて、利好はうーむと唸ってしまう。


「お兄ちゃん? ほら、手を動かして」

「いや……ありす、お前はさあ……理想のロリっ子なのに、なんであんまし心に刺さらないんだろうなあ。かわいくて妹みたいで、理想の体型で、オマケに成人済みで」

「バッ、バッカじゃないの!? お兄ちゃん……本気で言ってんの? バーカ、アタシだって好きでロリロリじゃないっての」


 笑いつつありすが肩をすくめる。

 そうしていつもの調子で、エロ漫画家エモえもん先生の一日が始まるのだった。

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