第9話「忍び寄るは新性癖? それとも……?」
その後、
アシスタントやエリカたちが帰ったあと、
ぬくぬくとエアコンの暖房が気持ちよくて、身体がふわっとする。
そして今、目覚めたのだが……訳も分からず
(あ、えっと……? うん? これは、どういう状況なのかなあ)
気付けば、帰宅した
コート姿もそのままで、まだ化粧も落としていない。でも、中性的なイケメンにしか見えない妻は、うるうるとした乙女の瞳で利好の寝顔をまじまじと見ていた。
なんというか、声をかけずらい。
もう起きてるのだが、しかたなく寝たふりをしていたら、
「あっ、いけません! スマホ、スマホッ!」
愛念は内ポケットからスマートフォンを取り出すと、それでパシャパシャと写真を取り出した。あらゆる角度からまんべんなく、ソファで眠る利好をフレームに収めてゆく。
ひとしきり撮影を終えたあとで、彼女はスマートフォンを胸に抱きしめた。
「ああ……わたしの旦那様。ふふ、うふふふ……さて、と」
完全に起きて声をかけるタイミングを逸してしまった。
ちらりと時計を見れば、すでに真夜中の1時だ。
(と、とりあえず起きよう。仕事帰りの奥さんに、声をかけたい)
愛念に疲れたようすは見られないが、やはり緊張から解放されたからだろうか? いつもの整った顔立ちがゆるんでいる。彼女はスマホの写真にニヤニヤしつつ、それをしまうと……なんと、突然利好を抱き上げた。
そう、やや肥満体の利好を、あまりにも簡単にお姫様だっこしたのだ。
「このままでは風邪をひいてしまいますね。お部屋にお連れします、利好さん」
真逆だったらどれほどよかっただろうか。
だが、今は眠れるブタの王子様になった利好は、本物の王子様みたいなお姫様に抱えられている。愛念はそのまま、なんの苦もなく二階への階段をのぼる。
ものすごい胆力で、とても女生とは思えない。
しかし、確かに愛念が女性だと密着する体温で伝えてくる。
(いや、しかし、これは……むうう)
戸惑いと気恥ずかしさに加えて、奇妙な熱が全身を駆け巡る。
どうでもいい話だが、利好はロリコン専門エロ漫画のエモえもん先生である。日ごろから成人向けのえっちな漫画を描いてるので、日常では使わないような擬音、効果音を駆使して作品を仕上げる。
だが、ドタプン! という音が本当に聞こえそうな体験は初めてだった。
(まあ、僕はロリ専門だから、使ったことがないけどね……ドタプン)
そう、ドタプンである。
超ド級にタプンタプンな巨乳である。
両手で抱えられた利好の胸やら腹やらに、圧倒的な質量がのしかかっていた。それは階段を登る都度小さく揺れて、まるで誘惑するように柔らかさを伝えてくる。
クールな見た目を裏切る、実に立派なバストだった。
愛念はそのことも気にせず、二階の利好の部屋へと向かった。
「お邪魔しますぅ。えっと、男の人ってこのまま寝せていいのかな。お化粧落としたりとかは」
「ないです! まったくないです!」
「へ?」
思わず叫んでしまったが、あわてて利好は寝たふりに戻る。
周囲を見渡しつつ、愛念はそっとベッドに夫を横たえ、布団をかぶせてポンポンと胸元をなでる。そして、満足したように部屋を出て行った。
ドアが閉じると、思わず利好は上体を起こして胸に手を当てる。
心臓が破裂しそうなほどにバクバクしていた。
成人女性に初めて、ときめきを感じたのだ。
それはドタプンな巨乳がというよりは、彼女の優しさと愛らしさだ。夫の寝顔を撮影して、嬉しそうにする笑顔。軽々と寝室へ運んで寝せてくれる、その気遣い。
「うわあ、どうしよう。……ちょ、ちょっと、このまま眠るわけにはいかなくなったぞ」
ばっちり目が覚めてしまった。
もはや、夢魔も睡魔も完全に追い払われてしまったのだった。
お酒のほろ酔いな雰囲気さえ、まったく感じない。
こんなときはまあ、しょうがない。
健全な男子として、えっちな本を使うしかなかった。
「とりあえず、ロリ本を見て落ち着こ――っお!」
ベッドから這い出ようとしたとき、控えめなノックが響いた。思わず利好は、全力で再びベッドに戻る。寝たふりをしていたら、再びドアを開けて愛念が現れた。
危なかった……危険がピンチだった、そう思うくらい緊張と混乱に襲われていた。
戻ってきた愛念が、そっと枕元に立つ。
「わ、忘れていましたっ。……おやすみなさい、旦那様」
そう小さくつぶやいて、彼女は利好の頬に
わずか一秒にも見たぬ時間、優しいキスが熱を伝えてくる。
艶めく妻の唇は、柔らかくて熱かった。
そして、一礼すると愛念は今度こそ下の洗面所へと下りてゆく。その気配がパタパタ階段を駆け抜けてゆくと、ようやく利好は一心地といたとばかり起き上がる。
そっと頬に触れてみると、まるで火がついたように熱かった。
「あれが、奥さん……僕の、妻……愛念さん。ふ、ふっふっふっふ! なんだこれ、いいのか? 僕みたいな真正ガチロリ変態男に、あんないい人がいていいのか!?」
己にそう問いつつ、素っと周囲を見渡す。
薄闇の中、カーテンの隙間から差し込む月明かりが現実を教えてくれる。
古今東西のロリ漫画を集めた本棚。
推しのロリキャラのグッズ。
漫画の資料として買った、画集や専門書の数々。
やはり、
数えるほどしか人間関係がない中で、突然できた配偶者の存在は大きすぎた。
「やばいな……初めて現実がいいなと思ってしまった。二次元や妄想が、負けたっ!」
でも、不思議と気持ちが穏やかで、同時にえもいわれぬ興奮があった。
立場が逆だったら、きっと利好もそうしたいと思ったし、実際以前似たようなシチュエーションがあったと思い出す。
エリカやありす、アシスタントの老齢コンビだけがリアルな世界だった。
以前はそこに祖母もいたが、今はもういない。
そんな中に突然、ものすごく比重がデカくて濃ゆい人が現れたのだった。
「ふう、落ち着け……落ち着け、エモえもん。こんな時は……まあ、ちょっとタイム。さすがに僕のキャパを完全にオーバーしてる」
とりあえず、いつものスエットを着替えようと思った、その時だった。
突然、下の階から悲鳴が響いた。
間違いない、あれは愛念の声だ。
それを認識した瞬間、気付けば利好は部屋を飛び出していた。転がるように階段を下りて、最後の数段をジャンプする。そのまま第二の悲鳴を聞いて、猛ダッシュで風呂場へと走った。
それは、風呂場のドアをけ破るようにして、愛念が飛び出してきたのと同時だった。
「愛念さん!? いったいなにが……っぶ! 服! 服着てください! タオルとか!」
「利好さん、外に……窓の外に誰かが! ゆ、幽霊が!」
大変なことになった。
突然、全裸の愛念に抱きつかれた。
というか、体格差がありすぎて、完全に押し倒されたようにおおわれてしまった。慌てて震える愛念を抱き返そうとしたが、真っ白な柔肌に思わず手が引っ込む。
とりあえず、なんとかマウントポジションからのだいしゅきハグから抜け出て、そっと頭をなでる。
「ど、どうしたの、愛念さん」
「お化粧を落としてシャワーを浴びようとしたら……外に誰かが」
「……ちょっと待ってて。あ、寒いからリビングにいて」
覗きだとすれば、許せぬ犯罪行為だ。そりゃ、利好だって小学校や中学校を覗き見たいし、偽らざる自然な少女たちの暮らしを網膜に焼き付けたい。
しかし、それを現実では決してやらないのが真のロリコンなのだ。
彼女たちの生活圏、秘密の花園には決して足を踏み入れない。
見ることさえ遠慮しつつ、心で……魂で見守るのがロリコンというものだった。
「えっと、この窓から? ……誰もいないな」
一応、バスルームの唯一の窓を開けて、そこから外を見まわしてみる。
人の気配は、ない。
月の明かりに犬の遠吠え、夜も更けて深夜の空気はひやりと冷たかった。
あらためてしっかり施錠し、すりガラスになっている内戸も閉める。
「愛念さん、大丈夫です。とりあえず、誰もいませんでした」
「よ、よかったあ……あ、ごめんなさい。起こして、しまいましたよね」
「いえ、いいんです。その、運んでもらったみたいで。あ、お仕事お疲れ様、おかえりなさい」
「は、はいぃ……たっ、たた、ただいまですぅ」
胸元をバスタオルで覆った愛念は、震えていた。
本当に怖かったらしく、涙目になっている。そして、ためらいがちに彼女は声を震わせた。
「あ、あの、利好さん……一緒に、っ、ん! 無理無理、無理っ! ……今は、まだ」
「愛念さん?」
「ちょ、ちょっと、手早くシャワーを浴びてくるので、そこに! 脱衣所にいてください!」
それだけいうと、猛ダッシュで愛念はバスルームに消えた。
ほんの10分かそこらで、利好は何度も「いますか?」「いますよね、利好さん!」と声をかけられる。ちょっと一日の情報量が多すぎて、利好は逆にスーパー賢者タイムで冷静に愛念を安心させられるのだった。
だが、すりガラスの向こうの放漫すぎる影が、脳裏にこびりついて離れなくなった。
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