第7話「ザ・ライトスタッフ……?」

 早速、愛念は引っ越しの荷物を整理しにかかった。

 というか、あのひらひらでふんわりなドレスのわりに、機敏きびんに動くし腕力にも目を見張る。というか、業者が入れてくれた荷物を自分一人で、部屋の中に収めてしまったのだった。

 まだまだ整理が必要だし、出勤は夕方からだという。

 昼食を一緒に食べることを約束して、利好は仕事場に戻ってきた。

 すでにありすが、仕事仲間のアシスタントたちと各々自分の机に向かっている。

 そう、エモえもん先生こと利好はいまだに、アナログな手段で原稿を書いていた。


「エモちゃんや、ちょいと。ほっほっほ、もうネットで噂になってるわいな」

「ん? どうしたんですか、俊三としぞうさん」


 この老人は、雛倉俊三ひなくらとしぞう。79歳である。

 もちろん、れっきとした利好の仕事仲間、アシスタントである。日本画の経験もあるちょっとした画業関係の有名人らしいのだが、本人は漫画に興味があるらしく、利好に協力してくれる。主に背景美術などを担当してくれて、絵柄も自由自在の頼もしさだ。


「え、アリドロアリスvsドロシーのエモえもん氏、結婚する……? なんですかこの呟き」

「トレンド入りはしてないがのう。やりおるわい、エモちゃん。まあ、本当によかった」

「いやちょっと、どこから情報が洩れ……ま、まあ、いいけど」

「ふぉっふぉっふぉ! ワシではないんじゃが、はてどこからじゃろうなあ」


 利好はロリ漫画業界では、中堅どころの漫画家である。月刊連載のデビュー作、アリスvsドロシーもなかなかの人気だし、おしこり報告が届くことも珍しくはなかった。

 自分のアカウントでも、語っていいレベルの作品内容は呟くし、漫画家仲間同士、健全なロリ絵はシェアしたり拡散してきた。

 だが、結婚の報告を呟いた覚えはない。

 首を傾げていると、もう一人の老人が皆にお茶を配り始める。


「やだねえ、壁に耳あり障子にメアリーかい? エモちゃんも気をつけるんだよぉ?」


 この老婆は、ニコニコ笑顔で太陽のように輝いている。

 もはや後光がさしてるというレベルで、事実半世紀以上も漫画を描いてきた超ベテラン作家さんである。昭和の少女漫画業界を牽引してきた、その名は河原かわはらみずき先生……本名である。

 聞いたら失礼かなと思うが、確か90歳くらいだったと思う。


 そう、

 ここにありすをくわえた四人が、えっちなロリコン漫画を描いているのだった。

 仕切ってくれてるのはありすで、ここでは好利も原作者でしかない。まだまだ紙の原稿で描く漫画は、チームプレイが大切なのだった。


「はい、つーわけで! お兄ちゃんはとにかくガンガン書く! みずきさんはベタとかトーンとかお願い。俊三さんは……ああうん、お兄ちゃんに指示貰って背景ね」


 こうして、ロリ漫画作家エモえもん先生の一日が始まった。

 さてと自分も机に向かう。

 ありすはラジオで音楽をかけつつ、メールを処理して帳簿等の整理を始めた。彼女もいざとなれば、徹夜に付き合ってくれるし、漫画に関してはなんでもそつなくこなす逸材だ。

 なにせ、昔は自分でオリジナル作品を発表していたくらいである。

 今は訳あって廃業し、利好のアレコレを面倒見てくれるのだった。


「さてさて、今月号はどうなるのかねえ……エモちゃん、ここは」

「あ、派手にドバッとで仕上げお願いします。濃厚汁だくって感じで」

「こんないたいけな娘にねえ……こりゃ、読者さんも喜んでくれるかねえ」

「そりゃもう! ロリ業界は作品の供給も年々減ってますし、頑張らないと!」


 利好、どういう訳が無駄に意識が高い系のロリコンだった。

 恥ずかしいけど、誰にでも胸を張って言える。自分は幼い少女が大好きだと。具体的に言うと、10歳前後、ギリ中学生くらいまでが守備範囲である。

 同時に、変態紳士として現実ではあらゆることに気を配っていた。

 そりゃ、登下校する女学生を見ると心が和む。

 公園で遊ぶ女児にほっこりする。

 だが、それはそれ、これはこれだ。

 自分の幼い女の子に対する熱意は,全て原稿用紙のみに注がれるのだった。


「エモちゃん、お城はこんなもんでいいじゃろか。ちと資料も見てみたんじゃが」

「ああ、もっとファンタジーに盛ってもいい感じですよ。でも、いいデキですね」

「じゃろ? 西洋の城塞は日本のお城と違って、描くのが実に面白いんじゃあ。若い頃はこっちのモチーフは描かなかったからのう」


 俊三は自分の机に並ぶ本から、何冊かゲームの画集を取り出した。歴史書のたぐいなんかも並んでいて、老人とは思えぬほどに若者文化には敏感な人である。

 ネットなんかは、利好よりも使いこなしている印象だった。


「今月号はしかし、アリスちゃんも可哀そうじゃったのう。……だが、それがいい」

「そうじゃねえ。即落ち2ページから、もうドッロドロに汁だくにねえ」

「はいはい、みずきさんも俊三さんも、手を動かす! アタシはちょっと、市役所と銀行回ってくるから。因みにアタシはドロシー推し……っていうか、自分と同じ名前のキャラは、ちょっと」


 みずきと俊三がそろって「それな!」とハモった。

 こんな感じで、いつものスタジオは賑やかで筆も進む。

 しかも、描けば時間を忘れるタイプの人間ばかり揃ってるので、作業が始まれば静かな中にラジオのDJだけが喋り続けていた。

 一応、デジタルへの移行も考えているし、実は利好より俊三の方がそっちのほうは達者である。70を過ぎてもまだ、彼は貪欲に画力向上と最新技術を求めているのだった。

 と、全員の集中力がそれぞれのゾーンに突入する中だった。

 ドアがノックされたので、顔も上げずに利好は「どうぞ」とだけ返事をする。


「あのっ、利好さんっ」

「うん? ああ、愛念さん。ちょうどよかった、みんないいかな? 紹介するね……ぼ、ぼぼ、ぼっ、僕のお嫁さんです」


 愛念はまだゴスロリのままだった。

 ただ、今朝の純白のドレスではなく、和風ロリメイドの恰好をしていた。ウィッグも黒髪の長い三つ編みで、大正ロマンといった雰囲気が彼女を覆っている。意外とフリルたっぷりの白いエプロンが、和のティストに調和した素晴らしいコーデだ。

 荷物整理と掃除をするので着替えたらしい。


「は、はじめまして、愛念です」

「おうおう、ありすちゃんが言ってた新妻さんじゃなあ。ワシ、雛倉俊三。こっちのばあさんは河原みずきさんじゃよ」

「よ、よろしくおねがいしますっ! ……って、河原、みずき……先生!? え、あ、ちょっと待ってください、どうしてアシスタントなんか」


 利好もちょっとそう思う。

 なぜ、少女漫画界の大御所おおごしょ、大先生がアシスタントをしているのか。しかも、えっちなロリ漫画専門誌の、中堅漫画家のアシスタントである。


「ふぉっふぉっふぉ、名前を知ってくれてる人がいると嬉しいのう。なに、ひ孫に小遣いでもやりたくてねえ」

「小さい頃から作品、拝見してます! 特にあの、ミッション系スクールというのに憧れて……わたし、学校いったことがないから、その」

「妹制度とか女同士のアレコレはみんな、ワシが育てたようなもんじゃよ! フンス!」


 みずきは誇らしげで上機嫌、そして言ってることはほぼ事実である。

 SFからファンタジー、時代物に宮廷寵姫きゅうていちょうき物と色々描いてる彼女だが、一番有名なのは女学校物、女学生同士の愛や友情を描いた作品たちである。


「それはそうと、愛念さん。なにか用事があったんじゃ」

「ええ、はい。あの……ちょっと、Dbitterダベッターを見てたら、その」


 愛念のスマホを受け取り、スマホケースもゴスロリ仕様なんだなあ、などと呑気なことを考えてしまう。というか、以前のすっぴんでオフ状態になった時とは、スマホケースすら着替えているのだった。

 そして、先程話題になった呟きが映っていた。


「……エモえもん先生って、有名人なのですか?」

「いや、ごく狭い界隈ではね。うん、でもびっくりするよね」

「まさか、わたしたちの結婚がこんなに世界中に」

「いやまあ、大した話題じゃないし、すぐ別のトレンドに流されて消えるよ」


 とはいえ、ちょっと自分でも驚きである。

 そして、もう既にDbitter名物の大喜利おおぎりが始まっている。


「なになに……エモえもんの嫁を描いてみた?」

「……わ、わたし、こんなにかわいくないですよぅ」

「ああ、気にしないで。ほんのお遊びのつもりだろうし……けど、うん、まあ、僕ってそういうイメージだよね」


 ロリっ子のイラストが沢山UPされている。

 ロリ漫画家だから、当然ロリロリしい人をめとったと思われているのだ。

 でも、実際それをやったら犯罪だし、心の中でだけ愛でてこそロリ好きだといえよう。ありすみたいな成長に見放された容姿の女性もいるが、残念ながら利好には刺さらない。

 自分でも驚いたが、性癖とは真逆な、それでいて別な意味でロリな人と結ばれたのだ。


「まあ、許してやって。僕の奥さんはそのぉ……ぼ、僕だけが知ってればいいんだから」

「は、はいぃ……あ、お片付けが一段落したので、昼食の準備をと思って」

「あ、もうそんな時間? じゃあ、ご厚意に甘えちゃおうかなあ」

「はいっ! もっと、もーっとわたしの好意に甘えてくださいね」


 満面の笑顔で、愛念はパタパタと一階のキッチンへ消えていった。

 それを見送る利好に対して、みずきや俊三がニシシとひじで小突いてくる。


「ういういしいのう! ワシも50年前を思い出すってもんよ」

「あたしゃ嬉しいよ。エモちゃん、いい子みたいじゃないかい? お嫁さん」

「まあ、その、ありがとうございます……はずぃ! とにかく仕事! 仕事しましょ!」


 内心滅茶苦茶めちゃくちゃうれしくて、SNSへの情報漏洩のことは忘れてしまった。

 それが後日、大変な騒ぎになってゆくとは夢にも思わないのだった。

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