第6話「ゴシックロリータの嫁入り」

 遂にその日が来た。

 朝早くから、利好は空き部屋をピカピカに掃除する。この部屋はかつては、祖母が住んでいた洋室である。調度品のたぐいも整理してしまったため、本当になにもないがらんどうな部屋。

 だが、解放的な南向きの部屋で、なんなら愛念のアパートの部屋全部より広いかもしれない。


「よし、どんとこいゴスロリグッズ! これならベッドもクローゼットも入るし、追加で家具を買うこともできるな」


 ちょうどそこで、玄関のチャイムが鳴った。

 それで急いで、利好は部屋を出て階段を下りる。その家は古い木造の二階建てで、築40年以上だと言われていた。漫画以外まるで駄目でコミュ障の利好は、両親たち家族よりも一人暮らしの東京の祖母と暮らす日々が長かったのである。

 玄関を開けると、そこには咲き誇る純白の花束が立っていた。


「おはようございます、利好さん。……ついに、来ちゃいました。ついでに、着てきちゃいました」


 愛念は全身真っ白なコーデで現れた。

 まるで白無垢しろむくのような、白亜のウェディングドレスのような。ゴスゴスにロリロリなコーデは、本当に花嫁みたいである。金髪のウィッグもとても似合っている。

 業者さんのトラックも到着したみたいで、すぐに荷物の運び込みが始まる。

 そんな中、玄関前で利好は愛念を前に固まってしまった。


「す、凄い、ですね、今日も。えっと、凄く凄いです! 綺麗です!」


 圧倒されてIQが一桁まで落ちてしまった。

 でも、小さくはにかみながらも愛念もほおを赤らめる。


不束者ふつつかものですが、これからも宜しくお願いします、利好さんっ」

「こちらこそ!」

「式もあげなかったので、よかったら一緒に写真でもと思って。今日のコーデは、これはそう……言うなれば『使』ですっ!」

「は、はあ」


 フフン! と愛念は得意気である。そして、その自信の通りの美しさである。

 そう、まさしく堕天使ルシフェル……天界の神ではなく、地上のたった一人のためにちてきた天使、そういう雰囲気だった。

 だが、そんな着飾った愛念の前で、利好は通常通りのスェットである。

 これでツーショットは、ちょっとした出来の悪いコラージュである。


「ちょ、ちょっとあとで僕も着替えるよ! あ、そうだ、来て……家の中を案内するね」

「はいっ!」


 業者さんたちの邪魔にならないように、愛念の手を取って玄関の戸をくぐる。彼女が丁寧に脱いで揃えたヒールも、まるで御伽噺おとぎばなし硝子ガラスの靴みたいな輝きだった。


「下はほぼほぼの生活スペース。アシさんと食事もするけど、普通のキッチン、居間を兼ねた食堂、お風呂にトイレ、物置や資料室……みたいな」

「素敵なお部屋ですね。あと……凄く、綺麗にしてますね。男性の一人暮らしってもっと、こぉ……お掃除とか、はりきってたんですけど」

「ま、まあ、ちょっとお節介な幼馴染おさななじみもいるので。あ、二階は僕の私室と仕事用のスタジオ、あと……来てくださいっ! 愛念さんの部屋も用意してあるんですよ!」


 階段をあがって、真っ直ぐにあの部屋へ。

 ドアを開くと、すぐに愛念の笑顔が咲いた。


「こんな……いいんでしょうか。立派なお部屋です」

「ベッドやクローゼット、ドレッサーもこっちに運んでもらいましょう」

「は、はいっ! 本当に最近、服の収納に四苦八苦してたんです。でも、うう……ブランドの新製品は定期的に出るし、推しの作家さんの一点ものとかも」

「基本は僕も変わらないよ……ロリっ子の漫画は、一般向けから成人男性向けまで、生き馬の目を抜くような競争社会。原稿料のほとんどが、よりよいロリのために溶けてく……」


 うんうん、と二人で頷いていると、運送屋さんがどんどん荷物を入れてくれる。

 軽く自室と仕事部屋も紹介しようと思った、その時だった。


「おー、おうおう。おおう! お兄ちゃんのお嫁さんってアナタね? ふーむ、いいじゃん!」


 ふと、二人で振り向けば……一人の少女が立っていた。

 見たところ10歳前後に見える、どちらかといえば幼女といった雰囲気の女の子である。金髪をツインテールに結って、その可憐さを裏切る芋臭いもくさいジャージ姿だった。

 利好が「おう、来たか」と笑った瞬間だった。

 逆に愛念が凍って固まる。

 おや? と思った瞬間、新妻は小さな小さな鞄からスマートフォンを取り出した。


『はい、こちら警察です。事件ですか? 事故ですか?』

「あっ、あの、利好さんが……いえ、その、夫が! ロリコン過ぎて、あの!」

「わーっ、待って待って! 愛念さん待って! 説明する時間をください!」


 かろうじて通報は防がれた。

 その上で、利好はゲラゲラ笑っている幼馴染に自分の妻を紹介する。


「こいつ、幼馴染のありす。冗談みたいな名前だが、有栖川ありすがわありすだ」

「どもー! ごめんね、驚かせちゃって。こんなナリだけど、お兄ちゃんの二つ下、ちゃんと成人だよ?」

「因みに、例の婚活パーティに勝手に応募したのもこいつだ」

「だーって、お兄ちゃんこのままじゃ一生ひとりぼっちだと思って」


 愛念は目をパチクリとさせていたが、どうやらわかってもらえたようだ。

 このありすという女の子は、れっきとした成人女性である。なのになぜか、身長は140ないし、見るも無残な幼児体系である。利好的にはこれぞナイスバディ! だが、世間での評価は「チビなペチャパイ激やせ女子」である。

 でも、このありすが利好にとっては頼れる相棒だった。


「ネームが通ったんだよね、お兄ちゃん。今日からまた、バリバリ描こうね!」

「ああ。あ、ちょっと愛念さん。最後に僕の部屋も……ちょっと散らかってるんですが、落ち着いたら夫婦の寝室に……な、なんて、その! あ、いや、でも僕も職業柄時間が変動的だから! はは、はははは!」


 ありすが来たということは、担当の所田さんとも連絡がついてるのだろう。

 今日から忙しい日々がまた始まるが、同時に今日という日は夫婦の記念日だ。本当に夫婦として、利好は愛念と一緒に暮らすのである。

 そして、自分の寝室兼私室のドアを開ける。

 あっ、という顔をした愛念にも、すぐに分かったらしい。

 手狭なその部屋は、寝ること以外は趣味でぎゅうぎゅう詰めだった。


「凄い、蔵書ですね……全部、紙の本なんですね」

「そう、あとは私用のパソコンと、ベッドだけ。……なんか、僕たちの部屋は似てるね」


 驚きに言葉を失いながらも、天井まで届く本棚の壁へと愛念が歩み出す。酷く日当たりが悪い部屋で、丁度愛念の部屋の向かいにある利好の私室だ。

 趣味のイラストはデジタルで描くし、同業者やライバルの本、趣味の本はちょっとしたコレクションだった。


「紙で原稿を描いて、買う本も紙なんですね……凄い。あっ、これはわたしも読んだことがあります」

「成人男性用じゃないけど、その作品は少女漫画の大御所さんが描いた傑作ロリ少女文学で!」

「当時からもう、こんなに色とりどりな服を……ええと、初版が昭和41年だから」


 まあ、実はその作者は凄く身近にいて、もうすぐ会うことになるのだが。

 だが、利好は特に紙媒体にこだわっていた。

 その理由は多々あるが、ちょっとしたセンチメンタリズムなのは確かである。


「CDやコンピュータ、その他無数の記録媒体……その中で、一番長生きするのは、実は紙なんだ。保存状態にもよるけど、数千年のときを超えられるのは、紙だけだ」

「利好さん……」

「僕はね、愛念さん。ロリータという一瞬の輝き、少女が少女でいられる僅かな時間を、永遠に刻み込みたいんだ。ま、まあ、あとは」


 ちょっと熱弁を振るってしまったが、それが気恥ずかしくて現状を添える。


「……えっちな漫画はですね、その……使

「それは、使う、とは……はっ! あ、いえ、はいっ! わ、わかります。男の子もそうなんですね。……って、わたしったらなにを」

「電子版も売れてるし、でもやっぱり紙の雑誌や単行本が売れるんだよね、この業界」

「な、なるほど」


 背後でドアが開いたのは、そんな時だった。

 ありすがスマホ片手に、「ああ、そのまま! そのまま!」と笑う。


「こりゃ一枚撮っとくしかないよねー? えっと、愛念さん? 御両親がヴィジュアル系好きだったのかな。てか、初見だと読めない名前、好きー!」

「あっ、いえ、親はいなくて……祖母と二人暮らしで、時々兄が、あの」

「ま、待て! 待ってくれありす! せめて着替えてくる! こんな格好で!」

「えー、お兄ちゃんは一年の半分はその恰好じゃん。はい、笑ってー?」


 どちらからともなく、身を寄せ合う。

 スマホのカメラを向けるありすの前で、自然と愛年が腕に腕を絡めてきた。だが、ちょっと身長差があるので、見栄をはって利好がつま先立ちになる。

 こうして二人は、一緒に暮らし始めることになる。

 そして、続々出勤してくる利好のアシスタント一同に、愛念は驚いてしまうのだった。

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