第5話「夜の愛念はバーテンダー……?」

 あの夜から、利好は愛念と頻繁に連絡を取り合うようになった。

 ちょっとした挨拶から、日々の些細な日常の写真。

 夫婦というより、まるで中学生のカップルみたいな初々しさが新鮮だ。利好も心なしか、ネーム作業がいつもよりはかどるような気がしていた。

 愛念の職場に行ってみることになったのは、引っ越しも差し迫る晩秋の夜だった。


「ドレスコードとか、ないお店なのかな……居酒屋感覚で来てしまったけど」


 古びたジーンズに、学生時代からの着古した革ジャン。他にレパートリーはないのが少し悲しい。だが、まだまだよいの口の商店街は、行き交う人々でにぎわってきた、

 そんな中、古びた赤レンガの洋館が現れる。

 地元の商店街でも最古参の建物で、明治時代から喫茶や食堂に使われてきたものらしい、意外とご近所さんだったことが発覚すると、利好は改めて驚く。

 こんなに近くで生きていたのに、あの日がなければ出会えなかった。

 勝手に応募された婚活パーティだが、今は感謝感謝である、


「ど、どもー、ごめんくださぁい」


 木製のドアを開くと、そこには大人の社交場が広がっていた、

 思わず気が引けて、一度ドアを閉める。

 陽キャの世界……というか、大人たちの穏やかな空間が広がっていた。そこでは、退勤直後のサラリーマンも、二人で訪れてる老夫婦も、なんだかとても輝いて見えた。

 ロリコンにとって、ロリ要素が全くない時間と場所だったのだ。

 でも、もう一度そっと中を覗いたら、長身の店員さんと目が合った。


「いらっしゃいませ。あ……利好さんっ」

「や、やあ」


 それは、丁度飲み物のグラスをまとめて下げる愛念だった。

 いつものボーイッシュな姿は、パンツスタイルにシャツとベスト、胸には赤い蝶ネクタイである。

 無邪気に微笑ほほえまれると、イケメンすぎてちょっとクラクラする。

 きらびやかな大人の世界に、ひときわ燦然さんぜんと咲きほころ花一輪といったところだ。


「夕ご飯はもうお済ですか? 利好さん」

「あ、いや、ちょっと食べそびれてた」

「ふふ、そうなんですか。ちょっとした料理も色々出してるので、どうぞこちらへ」


 落ち着いた証明の室内は、奥にピアノがあってドレス姿の女性がゆったりと演奏している。やや年かさのマダムといった印象だが、とてもつやめいて見えた。

 その音楽がゆるりとたゆたう中、誰もが酒と食事とを楽しんでいる。

 OL三人組のテーブルもあるし、作業着姿の一団も棟梁とうりょうらしき老人を囲んで飲んでいた。店内は気さくで気取らない空気に満ちていて、ほぼ満席でにぎわっていた、

 利好は愛念の案内で、カウンターの隅に腰掛ける。

 彼女はすぐに回り込んで、向かい側に立った。


「驚いた……本当にバーテンダーさんなんだね、愛念さん」

「はい。……わたし、実は学校に行ったことがなくて。ここのマスターさんに一から教えられてなんとかやってるんです」

「なるほど、あっちのひげの人がマスターさん」

「はいっ! マスターは凄いんですよ、カクテルコンクールでも何度も入賞してるんです」


 恩人だと愛念はほおを崩す。

 クールで中性的な美形のバーテンダーが、少年みたいな笑顔になった。

 とりあえずビールを注文し、メニューを手に取る。

 基本は酒のさかなが中心だが、パスタやカレーもあるし、遠慮なく焼きそばやラーメンもある。かなり敷居の低さが感じられて、なんとなく緊張がおさまってくる。

 チェーン店の居酒屋感覚でも許される場所らしく、客層もそう変わらない。

 ただ、店内のビターな雰囲気が大人びていて、マスターも愛念もその空気を飾るに相応しい風格だった。まるで映画か小説の中の世界である。


「御式寺さん、そちらの方がもしかして?」


 初老の紳士が冷えたグラスビールを手に、近付いてくる。

 それはもう絵になるえる、こういった雰囲気のバーにぴったりの髭のダンディだった。思わず立ち上がって、利好は深々と頭をさげてしまう。


「は、始めまして! ロリエロ漫画家の……あ、いや! 特殊な漫画家の炉乃物利好です。いつも愛念さんがお世話になっています!」

「ははは、そうかしこまらないでヨ。まあ、ボクにとってもあの子は実の娘みたいなもんだけどね。……古い古い仲間にたくされたものだからサ」

「は、はあ」

「そういえば、最近愛念クンもとても明るく生き生きしてる。キミのおかげかな? だとしたらボクも、感謝感激だヨ」


 ニヤリと笑うマスターは、ビールと一緒にナッツの小皿を残して去っていった。

 カウンターの逆側の隅では、ママ友四人組らしき女性たちがマスターを待ち受けて出迎える。軽妙で紳士的なやりとりに、客はうっとりと酒にも話術にも酔っていた。

 そして多分、利好もすでに酔っている。

 初めて妻の職場に来たが、まるでその手のギャルゲーをやってるような気分である。

 キャスト、というか、バーテンダー兼ウェイトレスとして働く愛念は格好良かった、

 この人が自分の奥さんなんだなと思うと、改めて人生の不思議なラッキーに驚く。

 そうこうしていると、視線に気づいた愛念がこちらにやってきた。


「利好さん、今日は何でも好きなものを飲み食いしてくださいね。わたしが社員価格でおごりますのでっ!」

「え、あ、いや、それは……あ、ありがとう」

「いーえっ! 利好さんのおかげで窮屈に感じてた日々から解放されました」

「そ、そうなの?」

「はいっ! ……以前はサラシを巻いて、ほぼほぼ男装状態だったんですけどね」


 エヘン! と胸を張る愛念の実りがブルルンと揺れる。

 彼女は、おおよそ女性らしさという概念がいびつに一つのステータスに極振りされていた。中世的なハンサムな顔だち、すらりと長身で、髪も趣味のためにベリーショートだ。

 これで胸のふくらみがなかったら、確かに男性だと思ってしまうだろう。

 その愛念だが、客のためにシェイカーを振るっている。

 彼女が完成したカクテルの、そのカラフルな酒精をグラスに解き放つと、お客さんのお姉さんはうっとりと瞳を輝かせていた。


「ぼ、僕もなにか作ってもらおうかな……でも、これ」


 メニューに目を戻す。

 カクテルの名前がずらりと並んでて、写真付きなのでありがたい。だが、真っ青なこのナントカハワイは、この青色はどこからなにで作ったのか? 何段にも色を重ねたカクテルもあって、物質的な液体としての比重がおりなすハーモニーとわかってても味が想像できなかった。

 だから、とりあえずビールを飲んで気持ちを落ち着け、ナッツを頬張る。

 この店の、なんと平和で生き生きと活気づいていることか。

 漫画やイラストではたまにファンタジーな冒険者たちの酒場を描くことがあるが、そこに散りばめたロリっ子は現実にはいなくて、ただ同じかそれ以上の笑顔があった。


「利好さんっ! ちょっとあとで隠しメニューのまかないご飯が出るんですけど、よければ一緒にどうですか?」

「あ、それはありがたいなあ。……いいの?」

「常連さんだけの隠しメニューなんですが、利好さんなら」


 そして、愛念はクスリと笑ってかすかに目を反らす。恥ずかし気にモジモジと、イケメン美青年な見た目を裏切る乙女心で小さな声を利好に向けてきた。


「わたし、嬉しいです。結婚してよかった……旦那様に仕事してるわたしをみてもらえるのが嬉しいんです。それに、無駄に大きな胸も心なしか気にならなくなりました」


 そうか、よかった。あと、無駄じゃないと利好は心の中に結ぶ。

 ロリコンだから、膨らみが感じられるかどうかの、なんともいえぬ成長途中な少女の胸が好きだ。それはそれとして、愛念の爆乳には畏敬の念さえ感じていた。

 そんなことを思っていると、店のあちこちで客たちがガタン! と椅子を蹴った。


「え、あ、いや……待って……私の推し、待って。つか、女だったのはいいんだけど」

「そう、いつもは胸がないから殿方だと……理想のイケメンだと」

「しかも結婚? ちょっと待って、脳がバグる! いやぁん、強いお酒を頂戴!」

「愛念様ぁん! 一番高くて濃厚なカクテルを! 信じられないわ、明日有給取るわ!」


 店のあちこちで、十数人の女性が立ち上がっていた。年代や恰好はさまざまだが、どうやら皆が愛念のファンのようだ。そして皆、利好を見てドサリ! と椅子に崩れ落ちる。

 どうやら、夜のいこいの王子様が突然、小太りオタクの花嫁になってショックだったらしい。

 でも、そんな光景に常連客たちが笑いを連鎖させた、その時だった。

 不意に、外の冷たい風を伴い、新しい客がやってくる。


「おう? ボウズ、いいじゃねえか。凄く凄いぜ、好意的に好きな店だなあ、これは」

「でしょう? 兄貴! ここの裏メニューのまかない飯も美味いんですが、とにかく酒が美味いんですよ。ささ、あそこに……あのデブをどかせば二人で座れますから」


 ちょっと、ギリギリのギリでカタギじゃない感じの二人組が入ってきた。兄貴と呼ばれた壮年の男は、それでもマスターに一礼して笑みを交わしている。

 それを見てたら、スカジャン姿の若い男に、軽く蹴飛ばされて椅子を奪われる。


「兄貴! 早速シャンパンいきやすか!」

「まあ待てボウズ。ここはそういう店じゃないぜ。ゆっくり飲もうや。お前の初めての初仕事を祝いてぇしな」

「兄貴いいいいいいいいっ! いやもう、俺なんかそんな、でも」

「あのばーさんの家は雨の雨漏りが酷かったからな。ボウズみたいなフットワーク軽い男は嫌いじゃねえんだな、これがな」


 その時だった、そっと静かにホールに愛念が歩く。まるで、水面に波紋が広がる一滴、そんな何気ない動きだった。

 彼女は二人組の若い方、オラオラにオラついた方に慇懃いんぎんに頭を垂れた。例の男は今、ポケットから丁度たばこを取り出したところだった。


「お客様、当店は全席禁煙でして。申しわけありません、喫煙はご遠慮いただけますか?」

「ああぁ? おい、クソデカねーちゃん! 酒と煙草はおとこのたしなみだろーが! いいから灰皿を――」

「マスター! 今、わたしはねーちゃんって言われました! こ、これは、わたしはやはり……サラシで胸を隠すのを辞めたら、女の子に見えるのでは」

「っせえな、バーテン風情が! 手前ぇみたいなデカい女がなんだってんだ――ッ、ウ!?」


 風がはしった。この場の全員の中で、愛念だけが時間を圧縮して縮めていた。

 彼女の後ろ回し蹴りが、その靴が、チンピラっぽい男のたばこの火をジュウ! と唸らせる。ぴたりとそのまま、片足で停止した愛念の声は刃のように冴え冴えとしていた。


「当店は終日禁煙です。なお、ゴミは各個人でお持ち帰りください」

「え、あ、ああ、うん……す、すんません」


 ほぼほぼY字バランスに近い振り向きざまのハイキックだったが、愛念の一撃はミリ単位の軌跡を刻んでチンピラ君の煙草を消火した。

 利好は驚き、同時に見とれてしまうのだった。

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