第3話「名前で呼んで、名前で呼ばれて」

 ささやかな二人だけの打ち上げパーティが始まった。

 愛念は美味しそうに缶ビールを飲み干すや、パシュ! プシュッ! と空き缶を握り潰す。いや、ちょっと待って……成人女性の握力で、あんなに空き缶って小さくなるものなの? そうは思ったが、なにも言わずに利好もビールでのどをうるおす。

 メインのパスタの他には、愛念の勤めてる店からのチーズや生ハム、その他もろもろ。

 彼女は夜の仕事をしてて、御酒を出す接客業だという。

 そういうことも、特に利好は気にしたことはなかった。

 謎多き新妻、そして新婚生活。

 まあ、これからなんでも色々わかるだとうと思っていた。


「さ、炉乃物さん。ワインもどうぞ」

「ど、ども、御式寺さん」

「……」

「……」

「え、えと」

「あのっ!」


 どちらからともなく、口を突いて出た言葉の先を引っ込める。

 互いにどうぞどうぞと譲り合う中で、意外にも愛念の方がグイッ! と身を乗り出してくる。たわわな胸の実りが、重そうに料理の上に影を落とした。


「……そ、そろそろ、その……名前で、呼び合いませんか……? 炉乃物さん」

「そ、そそ、そうですよね御式寺さん。じゃ、じゃあ……愛念さん?」

「は、はいっ、利好さん」

「愛の念って書いて、マリス……凄い名前だよね」

「ひ、ひいいっ! 言わないでください! 恥ずかしいんですよぉ!」

「そっか、やっぱり恥ずかしいんだ。そういうこと、これから沢山話そうね、愛念さん」

「わたしも、利好さんのこと色々お話聞きたいですっ」


 一歩、夫婦の仲が深まった気がする。

 そして、利好は気付いた。愛念は確かに髪型や顔だちでイケメンにも見えるが……笑うととてもかわいらしい一面があった。お酒に頬を赤らめ、彼女はスマホを片手に写真を何枚か見せてくれる。


「今日も渋谷や原宿で、素敵な方々に色々お会いできて……これ、記念写真なんです」

「へえ。みんな凄いねえ。こういう、ゴスロリ? の服って高いんでしょ?」

「それなりのお値段するんですよね……好きなブランドの新作は争奪戦ですし」

「凄いなあ、僕の方はロリはロリでもロリコンのロリだからなあ」

「でっ、でで、でもっ! 炉乃物さん、じゃなかった、利好さんの漫画、とても素敵です」

「……よ、読んだの?」


 ブンブンと愛念が何度も大きく頷く。

 正直、恥ずかしい。

 スマホの写真は若い女の子たちが、ゴシックロリータで輝いて見える。中でも身長が高くて目立つ愛念は、別人とさえ思えるような姿だった。

 それに対して、利好はド直球に言えばエロ漫画家。

 それも、ロリっ子がメインコンテンツのロリ専門誌の看板作家である。

 その落差、同じロリでもかなり違う。けど、愛念のリアクションは意外な物だった。


「あの、アリスちゃんやドロシーちゃんの衣装デザイン、凄い好きです。あれは炉、利好さんがデザインされたんですか?」

「あ、ああ、うん。ゴスロリのファッション誌とかネットで調べたりとかして」

「アリスちゃんの着てるコスチューム、わたしの好きなブランド、モワメールモワティンですよね!」

「み、見ただけでわかるもんなの?」

「はいっ! ドロシーちゃんのは複数混ざってる感じですよね、あと季節限定商品とか」


 さすがは愛念、身の丈を気にせずゴスロリを着こなす女傑じょけつである。しかも、ゴスロリに対する愛が深く強い。そういえば利好も連載前に、そんな名前のブランド品を見たような気がした。

 とにかく、モノクロームを基調とした耽美な表現にドキリとする。

 赤は鮮やかに紅く、青は蒼く透き通って、緑も翠色に輝いてみえた。

 そこに対する愛念の思い入れは、どこか自分の仕事の哲学にも似ていた。


「ぼ、僕さ……もっと気持ち悪がられると思ってた。でも、実益を兼ねた趣味で、僕の生業だからさ」

「だっ、大丈夫ですよ! とっても絵がかわいくて……で、でも、ドキドキしました」


 愛念は酒気に紅潮こうちょうするほおをことさら真っ赤に燃やしてうつむいた。

 そう、なにせ彼女が見たのは成人男性用のエロ漫画、しかもロリコンものである。


「あ、あの、その……ああ、あっ、あんなの、挿入はいるんですか?」

「あ、そこは気にしないで! 様々な理由で登場キャラはみんな成人設定、あとえっちな漫画はファンタジーだから!」


 あわあわと利好きは両手を振って広がる妄想を消し飛ばそうとする。

 エモえもんこと利好が連載中の作品、アリスvsドロシーは、二人のヒロインの対決を中心に、童話や民話、伝承を元にしたキャラクターたちが冒険を繰り広げる物語である。

 そして、もちろんえっちなマンガなので濡れ場がある。

 ただ、そこにも利好なりの大きなこだわりがあった。

 酒の勢いがあって、ワインを一口飲めば語気が加速した。


「僕はこう、小さな女の子が好きなんです。第二次性徴を迎える前後の、その極めて限られた美しさというのがあって……」

「お、男の人の、その、性癖? そういうの、少しわかります……お店でもよく酔って語る方がいらっしゃるので」

「でも、現実ではそうした子供にはなにもしてはいけない。むしろ守らなきゃいけないんだ……だから、僕はエロ漫画家になった。僕と同じ思いを持つ人へ、現実以上のロリエンタメを届けたいんだよね!」


 痛い。

 超痛い奴だと思われたかもしれない。

 呆気あっけにとられる愛念は、思わず大演説をしてしまった利好を前にまばたきを繰り返している。

 キモいと自分でも思ったが、それが利好の原点にして到達点、今はそのド真ん中を突っ走っている最中である。

 それに、こうも思う。

 虚構のロリっ子で楽しんでもらえれば、現実のロリっ子に近付く必要はなくなるはずだ。利好自身、普段から誤解されぬように暮らしているし、現実世界の女の子をそんな目で見たことはない。

 時々愛でてしまうが、視線以外で触れたことはなかった。

 だが、愛念はクイとグラスを一気に飲み干すと、自分で更に注ぎ足した。


「……小さな、女の子……ロリコン」

「あ! いや待って、違うんだ! 誤解しないで」

「私、188cmあって……体重も」

「待って、リアルは別腹だから! それに、愛念さんだって素敵なロリータじゃないですか。僕、好きですよ? 趣味にガチな人、それを突き通す人」


 そう、愛念はデカい女だった。

 ゴツくはないが、謎の怪力の持ち主だし、とにかく足が長くてスタイル抜群である。ついでに言うと、女性を象る優美な曲線が豊満に過ぎる。

 まるでマンガやアニメみたいな人間で、ゴスロリでフル武装すると二次元そのものだ。

 でも、そんな人と出会って結婚したのは、利好のロリコン趣味とは関係がなかった。


「聞いてください、愛念さん」

「は、はいぃ」

「僕はロリコンだけど、ロリっ子となにかがしたい訳じゃないです! ナニがといえば全てです! 例えるならそう、好きな草花を愛でて、決して摘み取らずに去るような」

「花、ですか……」

「そう! 僕は絶対に現実ではロリっ子になにもしない! それに……あなたみたいな人と結ばれて、不思議で不可思議でも、不愉快じゃないんです。凄く凄く、満たされてます」


 自分で口にして、利好も顔が真っ赤に火照ほてる熱さを感じた。

 僕は何を言ってるんだ、馬鹿か? 馬鹿なのか?

 だが、愛念の反応は意外な物だった。

 そっと利好の手を握り、さらにもう片方の手も重ねる。


「よかった……わたし、ずっと祖母と二人暮らしで、兄も神出鬼没で。見た目も全然女の子らしくないし。でも、ぜんぜん違うロリなのに、わたし以上に熱い想いがあって……ロリ同志ですね!」


 うん? あれ? なんか、変なスイッチが入ってしまったのか?

 だが、ギュムと握ってくる愛念の手が、熱くて柔らかくて、そして少し痛い。

 ちょっと、普通の握力じゃない。


「わたしも思うんです。本当は、わたしみたいなデカくて女らしくない人間が、ゴスロリを着ちゃいけないのかもって」

「そっ、そんなことないですよ! だって、例えばその髪」

「はい。いろいろなウィッグを試したくて、地毛は短くしてるんです。それにほら、ちょっと変な色でしょう? 祖父がロシア方面の人だったらしくて」


 そう、ベリーベリーにベリーショートな愛念の髪は灰色だった。でも、それが今の利好には白銀に輝いて見える。

 昼間の彼女は銀髪の長いウィッグもふくめて、そんな自分を白と黒で飾っていた。

 それは、利好の内面に多様性の豊かさ、美しさを今も鮮明に刻んでいる。

 正直引きこもり気味で漫画家デビューしたし、異性との触れ合いなんて幼馴染おさななじみくらいだった。両親や妹には白い目で見られ、画面やページの向こう側にしか憧れが向かなかった。

 でも、利好は自分が超えられない壁を突き破って進むような、そんな愛念に惹かれていた。


「あっ、そうだ。もう一本あるんです、ワイン。こっちはロゼなんですが」

「お酒、強いんですね。僕は……いやでも、今夜はちょっと、もう少しだけ飲みたいかな」

「開けちゃいましょう! なんだか、わたし、も、もう少しだけ……えへへ」


 利好の手を放した愛念が立ち上がり、もう一本ワインを取り出してきた。もはやコルク抜きがどうとかそういうレベルじゃない。彼女は何事もなかったようにチョップで袈裟斬りにボトルの首を跳ね飛ばす。

 それを利好のグラスに注ぎながら、ゆるくふにゃりと微笑んだ。

 毅然として凛々りりしいゴスロリメイクの顔とは真逆で、思わずドキリと心臓が跳ね上がる。


「わたしも、こんな素敵な旦那様に出会えるなんて……しかも、道は違えどロリロリ仲間ですもんね! 同志です! これは!」

「あ、ああ、うん。……僕は、その……僕をそういう風に見てくれる女性が、初めてで」


 今日、二度目の乾杯をした。

 それから色々、趣味の話を交わし合った。全く違うジャンル、ロリはロリでもロリ違いな二人の仲が、着実に距離を縮めていく気配が実感できるのだった。

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