第2話「婚活パーティでの出会い」

 その女性の名は、御式寺愛念ごしきじまりす

 因みに「まりす」と呼ぶキラキラネームだが、親の神経が少し利好にはわからない。半ば悪意のようなものを感じてしまうし、彼女も幼少期は苦労したそうだ。

 それでもこんなに立派に育って、隣で見上げればどことなく頼もしい。

 そう、どこもかしこもたわわに育った、大事で大切な年上の新妻にいづまだった。

 一緒に夕暮れの街を歩けば、誰もかれもが振り返る。


「今日は休日、楽しめた? 御式寺さん」

「え、ええ、はい。洋服や本を見て回って、お茶をして。あと、お醤油が切れてたので」

「そ、その恰好でスーパーいったんだ」

「……や、やっぱり、ちょっと引いちゃいますよね」

「うんにゃ? 好きな趣味って、それくらい度胸あったほうがいいしね」


 愛念は頭のてっぺんからつま先まで、ゴシックロリータに身を固めている。ヘッドドレスもウィッグも完璧に極まってて、ピンヒールでも歩調はとても優雅で穏やかだった。

 そして、長く伸ばした銀髪、これはウィッグだが薄暮の風にキラキラ輝いていた。

 それに比べると、利好はパッとしない。

 頭一つは小さいし、小太りで全身がウニクロというスタイルだった。

 そんな二人も、地元の商店街を抜けてアパートの階段を一緒に登る。ここは愛念の部屋だが、家賃の更新を契機に引っ越すのだ。そう、とうとう妻と同居するのである。


「ただいま。さ、炉乃物ろのものさん。どうぞあがってください」

「お邪魔します……って、なんかでも変だね」

「あ! そ、そうです、よね。結婚してるのに、名字で呼び合うなんて」

「ま、そのうち慣れるっしょ。キッチン借りるね? 確かパスタの買い置きが」

「わたしも着替えて、手伝いますね」


 バタバタと愛念が寝室の方へと消える。彼女が脱いで綺麗にそろえたハイヒールは、エナメルの輝きで艶めいて見えた。ついつい職業柄、それを手に取り利好は観察してしまう。

 もしかしたらマンガの中で、いつか描くことになるかもしれない。

 そう思った時はなんでも、手に取ってあらゆる角度から観察するのがくせだった。


「よくこんな靴で歩けるな……エグいかかとの高さだ。それをあの身長で……いいね!」


 謎の満足感があった。

 それで元の場所にヒールを戻し、手を洗って利好は台所に立つ。家事はおおむね二人で共同作業だが、今日は愛念の休みの日なので……ざっくり雑で美味い野郎飯やろうめしである。

 パスタをでる準備をして、それも専用の容器に水と塩と一緒にレンチンだ。

 ソースはできあいのものに残った野菜を足す。

 愛念の家の冷蔵庫は整理が行き届いていて、彼女が勤めてるお店の残り物なんかも入っている。ちょっとした宝箱みたいな雰囲気で、創作料理の興奮が盛り上がった。


「いやしかし、今でも不思議だ……なぜ、僕みたいなガチのロリコンにお嫁さんが。それも、御式寺さんみたいなスーパー美人が」


 フライパンにオリーブオイルを少々、そしてレトルトのスープに野菜の端切れ、隠し味にちょっぴりの中華の素。適度に適当に味を調えつつ、脳裏につい一カ月前の光景がよみがえった。





 それは、ごくごく普通の婚活パーティだった。

 自治体が開催している健全なもので、年代も暮らしも上下幅広い分野から男女が集っていた。利好は、小うるさい幼馴染おさななじみ兼仕事仲間に勝手に応募されて参加している。

 夕飯食ってくると思えば、ね? などと適当にスーツを着せられ放り出されたのである。


『まあでも、こうなるわな』


 開始から30秒で、利好は壁の花になった。

 やや肥満体の上に、スーツが全く似合っていない。まるで七五三みたいな雰囲気、まさに服に着られていた。髪も最近仕事が忙しいので、ボサボサである。

 女性は美男子に、男性は美女に、そしてシニアはシニア同士、そこかしこで会話が弾んでいる。これはもう、ちょっとお高いバイキングに来たと思って食べるしかない。

 まずは飲み物でもと思った、その時だった。


『あっ、あの、よければあちらで御一緒に……飲み物でも』

『あーら、ごめんなさい? 飲み物ならもうわたくしが用意してましてよ』

『ちょっと、アンタ邪魔。ね、先に声をかけたのは私よね?』

『ほらー、ハンサムさん困ってるじゃない。こんなおばさんでよかったら、ね? 若い子ってかしましくて嫌でしょう?』


 なにやら女性陣が集まる中央に、頭一つ飛び抜けたイケメンが立っていた。どうにも困った様子で口ごもっているが、同性の利好が見ても整った顔立ちの美人だ。

 そう、美人……中世的な魅力のある、とても美しい人だった。

 それに、困っている理由が利好にははっきりわかった。

 利好はすぐに二つのグラスにソフトドリンクを用意すると、おずおずと一団の中に分け入った。職業病というか、小さなころから絵心があって、人間の人体や骨格には詳しい。


『あ、あの……すません。あなた、女性ですよね。よければ5分くらいお話しませんか?』


 コミュ障検定一級の利好にしては上出来だったと思う。

 そう、女性たちに囲まれ狼狽うろたえている青年は、。カジュアルなセーターにパンツスタイル、胸は全く目立たないが利好には立ち姿でわかる。

 ロリコン専門ながら、成人男性用の漫画を描いて飯を食っているのだから。

 周囲は呆気あっけにとられた様子で固まったが、その中心で『ど、どうも』と小さな声。少しハスキーで、でもなんだか耳に心地よい。そして、怯えたように震えていた。

 オチもついたところで、御婦人方は溜息ためいきと共に散ってゆく・

 利好も烏龍茶ウーロンチャのグラスを渡して去ろうとした、その時だった。


『あっ、あの! ……お、お話、いいんですか?』

『え? あ、いや、僕は困ってるなと思って。ハハ、それにお姉さんなら他にも』

『だ、駄目なんです。普通の服、こんなのしか持ってなくて。そ、そそ、それに』

『それに?』

『なんで女だってわかってたんですか? ……胸だって、サラシで隠してるのに』


 それは、とても奇妙な参加者だった。ベリーショートのスポーツ少年みたいな髪型で、それでいて精緻に整った目鼻立ちはまるで神の御使みつかい、熾天使セラフのようだ。

 その生けるイコンは、妙な事情を話し出す。

 福音にも似たその言葉は、利好にとってはネタ帳にメモしたくなるような内容だった。


『実は、兄が勝手に婚活パーティに応募してしまって』

『あー、僕も似たようなもんですね』

『そ、そうなんですか……でも、兄は控えめに言っても馬鹿なので、男性として登録してて。わたしもこんなナリで馬鹿みたいにデカくて』

『いや、素敵じゃないですか』

『でも、こういう一般人ぽい恰好すると……そ、その、殿方の視線が胸に。それがいつも怖くて、こうして』


 彼女は平たい胸をそっとなでおろす。

 そこに不自然な密度を感じた利介は、先程の言葉をすぐに思い出した。

 サラシを巻いている、つまり隠さねばならぬ程の立派なものをお持ちなようだった。それが利好にはわかる……本物のツルペタを日々書いてるからこそ、見破れるのだ。

 それが、男装の麗人を通り越して男性にしか見えないイケメン女子、御式寺愛念との出会いだった。





 そう、女性は異性の視線に敏感である。

 その証拠に、着替えを終えてメイクを落とした愛念の声に、利好は振り返って驚く。

 いつみてもご立派、愛念の豊満な肉付きの良さは、自然とまなざしを胸へ、尻へ太腿へと引っ張り込むのだ。それでも、愛念は利好にだけは嫌な顔をしないでくれる。


「お料理ありがとうございます、炉乃物さん。お手伝いしますね」

「いやいや、あちこちゴスロリで歩いて疲れたでしょ。休んでて」

「いえ、でも……遊び歩いてたわたしが休んで、お仕事の炉乃物さんがお料理は」

「お仕事じゃないんだなあ、言うなれば仕事上がり? 締め切りを超えると漫画家は元気になるんだ。……まあ、ここからまた回復して、どんどん絞られながら描くんだけど」


 すっぴんになった愛念は、やはりどこか少年のような美貌だ。着てる服も先っ程のゴスロリなドレスではなく、ウニクロのスエットである。

 彼女はプライベートでは、胸を隠すことはないようだ。

 そんな彼女は、食器を用意しながらすぐ近くの戸棚に手を伸ばす。利好なら背伸びしても届くかどうかの高さから、彼女は一本の瓶を取り出した。


「炉乃物さん、締め切りお疲れ様でしたっ。マスターに頼んで、美味しいワインを取り寄せてもらったんです」

「あ、それは嬉しいなあ」

「ビールも冷えてますよ。今日は二人で打ち上げ、しちゃいましょう。……あ、あれ? 炉乃物さん、アシスタントさんが何人かいるって」

「あ、いいのいいの。半分徹夜明けみたいなもんだし、みんなにも家族がいるしね」


 香ばしい匂いがしてきて、レンジも頃合いをチン! と歌う。

 愛念は利好よりも料理が達者でレシピも幅広いが、なにを食べても美味しいというほほえましい女性だった。

 そんな人が今、利好の妻、お嫁さんなのだった。

 手早くパスタを皿に盛り付け、ソースをバチバチと注ぐ。

 ダイニングキッチンと寝室、そして風呂とトイレという手狭なボロい安アパートだ。その隅々までいい匂いが充満してぬくもりになる。

 すでに引っ越しの準備は進んでいるようで、そこかしこには荷造りした段ボールがあった。


「さ、食べよ! 来週の引っ越しも迫ってるし、少し相談したいこともあるし」

「炉乃物さんの家に空き部屋があってよかったです。わたしに、まさかあんな大きな部屋を」

「だって、衣裳部屋必要でしょ? 物凄いコレクションなんだもの」

「そ、それは! そのぉ……推しのブランドが新作とうとすぎるので」


 利好は、そんなかわいらしくも突飛とっぴ偏屈へんくつな愛念が好きだった。そして、そんな人に愛されて本当に幸せだと思っている。

 だが、時々わからなくなることがあるのだ。


「あ、このワインボトル、コルク栓だ。本格的だね……た、高かったんじゃない?」

「いえ、マスターが社員割引きでいいって言ってくれて。すぐ空けますね」

「えっと、コルク抜きってあったっけ? 僕の家には常備してるんだ、け、ど、っおおおお!」


 そんなものは必用なかった。

 さも当然のように、手刀一閃……愛念はビール瓶斬りならぬワインボトル斬りでガラスを引き裂く。それを丁寧にデキャンタして、最初の一杯のビールを出してくれた。

 このデカくて綺麗で謎な女性が、ロリコン漫画家界の若き鬼才、エモえもんこと利好の花嫁なのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る