敵国の空で
そして、物語は冒頭に至る。
海を越えた全翼型爆撃機は、いよいよ連合国本土に迫りつつあった。
管制塔と最後の無線通信を終えたミハロは、ステルス性能を最大限高めるため無線の送信機を停止する。
やがて、水平線の向こうに大きく平べったい大陸が見えてきた。
海岸線のすぐ奥には背の高い丘があり、海と丘の隙間にある狭い平地に、潮風に汚れた家々と古びた港で構成される小さな漁村がある。
低空飛行しているミハロの爆撃機から丘の向こうを見ることはできないが、その先に連合国の重要な工業地帯が広がっていることは、地図を、あるいは立ち上る煤煙を見れば、簡単に知ることができた。
離陸から一時間半。
彼らは、目的地へと到達した。
全翼型爆撃機は漁港の上空を駆け抜け、小高い丘を越えて、煙突の立ち並ぶ工業地帯の上空へと侵入する。
隙間なく密集する工場と工業製品を満載して走る数多のトラックが、連合国の圧倒的な物量を象徴していた。
重要な工業地帯なだけあって、対空砲もそれなりに配備されているようではあったが、その射撃は散発的で全翼型爆撃機の脅威ではない。
ミハロは操縦パネルのスイッチを操作する。
爆弾倉のハッチが、大きく開いた。
広い爆弾倉の中には、大量の焼夷弾がぶら下がっている。
ミハロは眼下に広がる工場地帯を見た。
ミハロに、民間人を殺した経験はない。
彼が乗ってきた急降下爆撃機の攻撃対象は、常に軍人だった。ミハロ自身も、民間人の殺害は好まない。
だがミハロの中に、「爆弾を投下せよ」という命令を無視する選択肢はなかった。
「悪く思うなよ」
ミハロは、スイッチの一つを押す。
ガコンと不気味な音を立てて機体を離れた焼夷弾は、空中で数百個の子弾に分裂すると、工業地帯へと降り注ぐ。
絶叫のような爆発音。
工業地帯のあちこちで火の手が上がった。
炎は周囲の可燃物を貪って、急激にその勢いを増していく。
任務達成。
コックピットの中に、安堵したような空気が流れた。
直後、全翼型爆撃機のすぐ上を連合国空軍の戦闘機が駆け抜け、コックピット内の空気は再び緊張感を帯びる。
どうやら、スクランブル発進してきた迎撃機たちが到着したようだ。
迎撃機の飛行部隊は、離脱を試みる全翼型爆撃機へと一斉に襲いかかった。
被弾したのか、コックピットが大きく揺れる。
「大丈夫なのか?」
エレノアは、ミハロにそう聞く。
「当然です」
ミハロはそう返事をすると、ジェットエンジンの出力を最大まで上げて、暴力的なまでの急上昇を開始した。
レシプロエンジンの迎撃機は鈍足ながらも、それに追随して高度を上げる。
整備士たちはコックピット後部の座席に腰を下ろした。
「壁に全身を叩きつけられたく無い人はシートベルトを締めてください」
ミハロは、自身のシートベルトを締めながらそう指示を出した。
整備士たちはすでにシートベルトを締めていた。
エレノアは、男性の体を想定して作られているせいで胸元と腰がきついシートベルトを、なんとか締める。
全翼型爆撃機は雲の中に突入し、迎撃機はそれを追って雲の中へと飛び込んでいく。視界が白く染まった。
全身で重力を感じるほどの加速に、機体の高度は一瞬にして一万メートルに近づく。
酸素がじわじわと薄くなっていく。震えるほどに寒い。
ジェットエンジンへの負荷はいよいよ許容範囲を超え、元々さして頑丈じゃない機体も限界を迎えつつあった。
「ミハロ」
突然、エレノアがミハロの名前を呼ぶ。
「なんですか?」
「生きて帰るぞ」
「……」
ミハロは沈黙した。
燃料は残りわずかで、たとえ敵迎撃機を振り切れたとしても、洋上に墜落して犬死にする末路は避けられない。
限界まで位置エネルギーを高め、敵迎撃機を道連れに工業地帯へと墜落する。
それが、ミハロの考えた犬死を回避する方法だ。
「大丈夫だ。私を信じてくれ。ここを凌げれば、私たちは助かる」
エンジンの轟音が鳴り響く中、エレノアの心地よい断言は、死の覚悟を固めたミハロの心に、やけに響いた。
重力加速度に、機体が悲鳴を上げる。
直後、ミハロは操縦桿を押し倒した。機内が、一瞬にして無重力に変わる。
だがその無茶な機動は、急上昇していた全翼型爆撃機の高度を一気に百メートル下げた。
視界ゼロの雲の中で、迎撃機たちは一瞬にして追跡対象を見失う。
ミハロは再び機体の速度を上げ、燃料の大半と引き換えに連合国本土上空を離脱した。
◇◇◇
飛距離を稼ぐため機体を滑空させつつ雲の中を出たミハロは、目を疑う。
そこには、遥か海の先で待機しているはずの帝国軍潜水艦が一隻、連合国本土のすぐ近くに停泊していた。
ミハロは機体の高度を下げて、洋上に着水する。
潜水艦からボートが出発し、爆撃機の搭乗員たちを回収して全翼型爆撃機の機密処理を行い、潜水艦へと戻る。
かくして、彼らは生還した。
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