地上訓練にて
翌日、エレノアとミハロは、爆撃機内でシミュレーション訓練を行なっていた。
整備士たちは他の機体の
つまり搭乗員の半分以上が不在の状況だが、この全翼型爆撃機は設計上パイロットのみでの任務遂行が可能なので、地上訓練だけなら機長とパイロットの二人でも支障はない。
そんな機体に三人も機上整備員を乗せている理由は、全翼型という尾翼も胴体もない先鋭的な機体に、まだ開発されたばかりのジェットエンジンを六基も搭載した結果として、信頼性が大幅に低下してしまったからだ。
その上、小型な機体に様々な新技術を山ほど詰め込んだために操縦パネルも複雑で、急降下爆撃機を長く使っていたミハロは、操縦に不安を感じていた。
本当は機体を飛ばして訓練したいのだが、燃料も人手も足りないため、仕方なく地上訓練で代えている。
実戦前に行える飛行訓練は、一ヶ月後に行われる一回のみだ。
さて、地上での訓練は、紙に書かれた状況にパイロットが対応するという形で行われる。
状況は訓練ごとにランダムで設定され、中身を知っているのは機長だけだ。
「エンジン停止」
機長席に座ったエレノアの澄んだ声が、紙に書かれた状況を読み上げる。
ミハロは背後に武装親衛隊の士官が座っているという状況に緊張感を感じつつ、操縦パネルのスイッチを動かしてエンジンを再起動する。
「後方より敵機接近」
トラブルが解消したことを確認したエレノアは、即座に次の状況を読み上げる。
ミハロは、操縦桿を引いて機体を上昇させた。
徹底的に軽量化された機体の重量に対しオーバースペックな出力を持つ六基のジェットエンジンは、この全翼型爆撃機にロケット戦闘機並みの機動力を与えている。
爆撃機とは思えない急上昇も可能だ。
十分な高度に達したことを確認したミハロは大きく操縦桿を動かして、ほぼ直角に近い角度で上を向いていた機首を今度は真下に向ける。
それと同時に、ミハロは操縦パネルの右奥に用意された機関銃の引き金を押し込んだ。この爆撃機は、機首に機関銃を搭載している。
もしこれが実戦であれば、後方から接近していた敵機は木っ端微塵だろう。
「何をしたんだ?」
エレノアが、驚きを含んだ声でそう聞く。空軍に来てからまだ日の浅い彼女に、この状況はやや理解が難しかったようだ。
「ええ。これは……」
ミハロは振り返ってエレノアに状況を説明しようとして、動きを止める。
その時、エレノアは機長席を離れ、ミハロの頭上から操縦席を覗き込んでいた。
エレノアの真っ直ぐで綺麗な視線はスイッチや計器の並べられた操縦パネルに向けられており、ミハロの姿は彼女の注意の外にある。
そのせいで、ミハロとエレノアの距離はかなり近かった。
ミハロの頭部に、柔らかい何かが触れる。
心地よい香りが、ミハロの鼻腔をくすぐった。
「どうした」
なかなか説明をしないミハロに、エレノアは上からミハロの顔を覗き込む。
ミハロの瞳に、逆さまになったエレノアの顔が映った。
鼻先が触れるほどの距離。
それと同時に、エレノアの胸元はミハロの頭部に強く押しつけられる。
そこで、ようやくエレノアは自分とミハロの体勢を認識した。
「あっ」
数秒の間をおいて、エレノアは素早く飛び退く。
「すっ、すまない。つい夢中になってしまって」
「……いえ。こちらこそすみません。……少し驚きました。武装親衛隊の士官というのは、あまりパイロットの技術に興味はないものだと思っていましたよ」
動揺からか、ミハロは失礼にも聞こえる本音を口走る。
「……まあ、確かにそういう親衛隊員は多いな」
普段のエレノアだったら、その不用意な発言を咎めるだろう。だが、その時のエレノアは肯定した。
「あなたは、操縦に興味があるんですか?」
「ああ。やはり空を飛ぶのには憧れるよ。子供の頃、空を飛行する帝国空軍の戦闘機を眺めては、いつかあれを操縦したいと願ったものだ」
「へぇ」
ミハロは少し意外そうに頷く。彼自身も、空に憧れて空軍に入隊している。エレノアの気持ちはよく分かった。
「……教えてくれないか」
ふと、エレノアが口を開く。
「操縦ですか?」
ミハロが聞き返すと、エレノアはこくりと、少し恥ずかしげに頷いた。
年齢にしろ階級にしろ、自分より下の相手に教えを乞うことには、どうしても恥が伴う。
だがエレノアの中では、その恥よりも空を飛ぶことへの興味の方が遥かに強かった。
「いいですよ」
ミハロは、エレノアの素直な願いを快諾する。
エレノアの表情は、花が咲くように明るくなった。
それから、エレノアは少しでも暇ができると、ミハロを教官にして飛行訓練を行なった。
機体を飛ばすことはできないが、操縦桿の動かし方からトラブルへの対応まで、パイロットには飛行技術以外にも知るべきことがたくさんある。
一時期は教導隊に所属していたこともあるミハロは教えるのも上手く、エレノアの飲み込みが早いのもあって、一週間もしないうちに彼女の技術はすぐさま飛行訓練に移れるレベルになっていた。
一方でミハロも、エレノアへの教育を通じて、不慣れな全翼型爆撃機に対する理解を深めていった。
その甲斐もあって、飛行訓練当日、ミハロの感じていた不安は、ほとんど消えていた。
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