第2話

 夜空に飛び立つ。今晩は三日月だが、それを背にすると影ができ、空襲がバレる可能性はある。獲物との位置関係に注意しなくてはいけない。シアリスは既に空の飛び方を熟知していた。風を読み、風を起こし、翼の形を変え、速度を上げる。羽音は一切たてることはない。その飛び方は蝙蝠コウモリというよりは、凧か、この世界にはないが飛行機に近い。

 ファスミラが影の中で、歓喜に震えた。夜景を見てそう思ったのか、獲物を見つけたのか。

「夜は美しい。微かな輝きがもっとも美しく生える時間だ。こうして化け物となっても、美しいと思える感性を保っていられるのは、ありがたいことだと思わないか?」

 ファスミラの歓喜の震えが止み、恐怖の震えが伝わった。小さく「はい」と聞こえる。ファスミラは肯定しかしないだろう。従徒は主人を否定できない。話しかけても、話を聞いても、つまらないだけだ。それでもシアリスは話しかけた。

「君が狩りに行きたいと言ったのだから、獲物は君が決めろ。ほら、そこに手頃そうなのかいるよ」

 シアリスは指差した。その先には、森の中を揺れる明かりが幾つか見えた。街道を外れ、馬車を連れて、夜間を行く武装した集団。恐らく、あの幌付き馬車の中には、奴隷が入っている。奴隷商のキャラバンだろう。

 この国では奴隷制、人身売買は禁止されている。だが、禁止されているからといって、なくなる訳ではない。貧しさのあまり子どもを手放す親から買ったり、浮浪児を攫っていったり、小さな村を襲って捕らえたりする。取り締まるはずの貴族たちの中にも、人身売買をする者さえいる。商人の中には厄介事の種である浮浪児を、捕らえて更生させていると、胸を張る者さえいる。吐き気を催す邪悪というやつだ。もっとも、そういう国だからこそ吸血鬼などが貴族としてのさばっていられるのだが。

 こういう者たちならば、いくら殺しても心は痛まない。

「血を……」

 ファスミラが静かに呟く。心からの肯定だと受け取る。

 シアリスは羽を畳み、キャラバンから少し離れた位置に急降下する。それはただの落下だ。地面にぶつかり、激しい音をたてると思われたが、影となったそれは、森の闇の中に消えただけだった。

 影となり、キャラバンに音もなく近寄る。ファスミラは興奮しているものの、シアリスを差し置いて飛び出すほど狂乱はしていない。

 少し様子を見た。二台の馬車にそれぞれ馭者が一人ずつ。様々な武装をした傭兵たちが八人乗った一台の馬車、そして騎馬が四騎、積荷の馬車は小さな物が一台で、他に積荷もない。商人らしき姿見えなかった。

 何か妙だ。

 奴隷商と言うよりは、運び屋に近いのかもしれない。それにして厳重な守りだが、積荷からは人間の息遣いが聞こえる。それは何とか抜け出そうとする狂気を帯びていた。意に背いて運ばれていることは確実だ。

 聞き耳をたてる。蹄の音と、馬車の上で無駄話をする傭兵の小声を聞き取る。

「……あの顔、見たか? あんなもん見ちまった日には、瞼に焼き付いて眠れねぇよ」

「だから見るなっつったんだ。バカタレ」

「はぁ、むしゃぶりつきたいぜ。あの肌、髪、唇」

「やめとけ。やったら、仕置どころじゃねぇ。俺たち全員、生きたまま全身の肉を削ぎ落とされることになる。もしくは……」

「わーてる! わかってるよ! ああ、留守番に残りたかったぜ。はぁ、あれがお貴族さまのペットになるのかよ。あの魔女でも良かったのによぉ」

「はっ、あの魔女が大人しく犯される玉かよ。エルフもな。絶対、噛みちぎられるね」

「噛みちぎる……ね。お前ら、あのエルフがどうなるのか、聞いてないのか?」

 シアリスの影となった耳がピクリと反応した。今、エルフと言った。それに魔女。

「貴族はなぁ、ペットなんかにしねぇよ。エルフと言えば、アレだぜ。あんな、成りでも何百年は生きてるっていうぜ。不老不死ってやつだ。そんで支配欲が膨らんだ高貴なお方が考えることなんざ、知れてるさ」

「なんだよ、もったいぶんな」

「……喰うんだよ。エルフの刺し身がディナーってわけだ。なんでもエルフを喰ったら、エルフの不老不死の力が貰えるんだとよ」

「ほ、ほんとか? 不老不死?」

「気持ちわりぃ話すんな。メネルみたいな姿してるやつ喰えるかっての……」

 そこまでで話を聞くのを止める。

 どうやらあの幌付き馬車の中身はエルフらしい。人間以外にも、知性がある種族があるとは知っていたが、会うのは初めてである。吸血鬼を一つの種族だとするならば別だが。

 しかし、エルフの肉を食えば不老不死になれる? そんな話は聞いたこともない。影の振動でファスミラに確認する。

(聞いたことありません。けれど、私もエルフを見たことがありませんし、おとぎ話に聞いたくらいで……)

(エルフは珍しいのか?)

(大昔にメネルとエルフの戦争があって、エルフはほとんど絶滅したとか。今はどこかの森の奥深くでひっそりと暮らしている、とは聞いたことがあります)

 そういえば本で読んだ。魔大戦。それを読んだときはただの小説か何かだと思って気にも留めなかった。あれは史実なのか。

 昔はエルフもメネルも世界を分けずに暮らしいた。しかし、メネル族が魔術を使えるようになり、それに反発したエルフ族とのいざこざが、最終的にはメネル族もエルフ族も、ほとんどが絶滅するほどの戦いになったのだ。そして、今はメネル族がこの大陸を支配している。メネルが勝ったとは書いてはなかったが……。

 かなり要約して、覚えている内容はその程度だ。吸血鬼の記憶力でも、本の一字一句を覚えられるわけではない。

 兎にも角にも、この機会を逃す手はない。美しいエルフを拝んで見ようではないか。あわよくば、その血を……。と、その思いを振り切って、ファスミラに言う。

「まずは騎馬をやれ。一人生かしてあとは殺れ。啜るのは最後だ。僕は馬車の傭兵をやる。積荷には手を出すな」

 相手はランタンと松明を使っている。明かりを奪うのは難しい。じっくりやっていては対応される。だから今回は素早く一瞬で、残虐に行う。それだけだ。ファスミラの気配が消え、馬の嘶く悲鳴に混じって、騎兵たちが地面に落ちる音が聞こえた。シアリスも遅れず、馬車を引く馬と馭者ギョシャを狙う。馬は可哀想ではあるが、逃がせば誰かが異変を察知してしまうかも知れない。

 悲鳴。血。悲鳴。

 傭兵たちはすぐに応戦しようとする。手に手に得物を持ち、落馬しファスミラの手を逃れた者も、荷物の周りに集まってお互いの背を守る。よく訓練された動きだ。

「て、敵襲なのか⁉ なにが襲ってきた!」

「わからんが、矢が飛んでこねぇ。人間じゃねぇぞ!」

「どこにいる‼」

 口々に叫んでは、松明や得物を振り回す。意味はない。二人を一気に死角から薮に引きずり込む。悲鳴で傭兵たちが振り返るが、そこには既に誰もいない。皆の視線が一方に向いたので、その一番後ろの男をまた引きずり込む。今度は悲鳴を上げさせない。獲物はもう充分だ。あとは殺してしまおう。


 ◆


 森を出てから、はや十年ほどになる。

 いつもメネルたちの好奇の目に晒されてきた。暴漢に襲われたことも、人攫いに攫われたこともある。そのたびに解決していた。だが、今回は分が悪そうだ。両手足は丈夫なロープで結われ、狭い金属製の牢内では身動ぎするので精一杯である。こういうときのために、仕込んである隠しナイフも取り上げられた。猿ぐつわまでされて、精霊への呼びかけも、うめき声にしかならない。

 馬車が止まった。乗せられた牢が、幌の中で少しだけ動く。もう目的地に着いたのだろうか。馬の嘶き、悲鳴だろうか?何かが落ちる音。落馬したのだ。そして、大勢が馬車を降り、自分が乗っている馬車の周りを取り囲んだ。

 襲撃だ。

 誰かが助けに来てくれたのだろうか。それにしては様子がおかしい。襲撃者の足音が聞こえない。

「て、敵襲なのか⁉ なにが襲ってきた!」

「わからんが、矢が飛んでこねぇ。人間じゃねぇぞ!」

「どこにいる‼」

 賊たちが敵を探して右往左往する気配がある。

 エルフは人間よりも感覚が鋭い。中でも耳はとても良く、精霊たちの声も聞くことができる。精霊たちは突然の暴力にざわめいている。だが、襲撃者のことは語ってくれない。精霊すら正体を知らないのだ。

 また悲鳴が聞こえ、足音が一つ減り、そのあとすぐ同時に二つの足音が消えた。逃げ出した騎馬の一騎が打ち倒される音が響く。襲撃者は少なくとも二人以上いる。

 まずいことになった。これはまずい。まだ脱出の算段が立ってもいないのに、獣の……、おそらくは魔物の襲撃である。もし、外の人間たちが全滅したら、次は自分の番である。剣が空を割く音。その一つが馬車の幌に当たり、外の光が少しだけ見えた。その隙間から、血飛沫が牢を汚す。チラリと浮かぶ、闇よりも暗い黒い髪。人か。だが気配がない。人間の一人が悲鳴を上げて逃げ出したのが見えた。

「もう喰っていい」

 冷酷に言い放たれたのは、妙に甲高い声だった。声変わりしてない子どもの声か。

 逃げ出した人間に何かが飛びかかった。獣のような暗い影は背中から覆いかぶさり、すぐに人間は動きを止める。だが、咀嚼音は聞こえなかった。

 幌の幕が剥がされ、そこには黒いマントを羽織った黒い髪の少年が立っていた。肌が異様に白く、月光の中に浮かび上がっている。精霊たちが沈黙した理由が解った。

 吸血鬼と言う魔物だ。あどけない少年のような姿だが、その中身は冷酷な捕食者である。

「…こんばんは。すぐに牢から出してあげますね」

 少年が馬車に登り、牢に触ろうとしたので、精一杯の力で叫び、首を振ってやめろと伝える。少年は手を止めてくれた。

「取って食いはしませんよ。って説得力ないか……」

「ご主人さま」

 いつの間にか少年の後ろの地面には、彼より少し歳上くらいの少女が彼を見上げていた。

「この牢には、魔術が、掛けられているようです。無闇に、開けると、危険かもしれません」

 少女はできる限りの小声で喋っている。この少女も白い肌に黒い髪で、影のような異様なドレスを纏っている。そして、その唇と頬には血がベッタリと付いていた。

 二匹の吸血鬼。しかも自分は牢の中で丸腰。すぐにでも脱出して、戻らなければいけないのに。だが、なにか妙だ。敵意、殺意を感じない。

「魔術? 判るのか。僕にはわからないんだが」

 少年が振り向いて少女に問う。少女は恐れるように目を伏せて、震える喉で何とか声を絞り出したようだ。

「その、私は魔術学校に通っていたので……。魔術を、見つける、ことができます」

「へぇ……。じゃあ、魔術で開けることも可能?」

「その、私は……、私には難しい、かも知れません。けれど、鍵が正式な鍵があれば……」

「とりあえず彼女の意見が聞きたいな。牢に触らずに彼女の拘束を解けば問題ないか?」

「牢に多少触れたくらいでは、問題ないかと、思います。どんな魔術かまではわかりませんが、無理に開けようとすると、発動する類かと……」

 少年が牢に慎重に触れた。何も起こらなかった。

 少年は手には、いつの間にかナイフが握られていた。


 ◆


(魔術学校だって? そんなものもあるのか。いつか行ってみたいが、勉強する気は起きないな。吸血鬼が入学できるとも思えないし、子どもと戯れるのは、ゴメンだ)

 ファスミラが自分の過去を喋ってくれたのも意外だった。従徒になると生前の記憶は無くなるのではないか、と思い始めていたところだが、どうやらそうでもないようだ。父の従徒に訊ねても、誰一人として答えなかった。あれは喋りたくないからか。デラウの命令には逆らわないが、シアリスの問いは拒否できるらしい。もちろん命令したわけではないので、その場合はわからないが。

 今はそんなことよりも、目の前の神秘に集中したい。

 美しい滑らかな肌は、白、と言うよりも、日に焼けて健康的なオレンジ色に見える。豊かな長髪は金というより夕焼けのようで、毛先に向けて赤みがかっている。特徴的なのはその目である。少し吊り上がりハッキリとした目尻。大きな瞳は翠色に輝いていて、こちらを恐れと少しの期待を持った目で、こちらを見ている。

 まるで少女のような作りの顔だが、これでもかなりの歳上らしい。傭兵たちの言葉を信じるならば、数百歳。匂いからもそれが判った。吸血鬼の鼻は要らないことも良くわかる。だが、残念ながらあまり耳は長くない。少し尖っているようにも見えるが、その程度だ。エルフと言えばそれが特徴だと思っていたが、彼女の耳の形は人間に近かった。何かの映画で見た印象とは少し違った。

 少なくとも彼女は恒人メネルではない。かと言って、吸血鬼や魔物の類でもない。傭兵たちの言葉を借りれば、性欲があったなら、むしゃぶりつきたくなるような容姿。エルフ族は、みなのこうなかもしれない。

 影の力でナイフを傭兵の死体から取り上げる。それを握って、刃を牢の中に向けた。

「手の拘束を解きます。後ろを向いて、手をこちらに」

 エルフに言葉が通じるかわからなかったが、考えていても仕方がないので、とにかく喋ってみる。言葉の意味を理解したらしく、彼女は狭い牢屋で身を捩った。

 頑丈な牢の中に閉じ込めているのに、太いロープで後ろ手に縛り、足まで縛ってある。そこまで厳重にする必要があるとは思えないが、この拘束状態で馬車に揺られても体力がある様子を見ると、人間たちの警戒も判る。エルフは容姿だけでなく、肉体的にも優れているらしい。

「気をつけてください。エルフは魔術は使いませんが、精霊術を使います」

 ファスミラが警告するが、シアリスは魔術も精霊術にも知識がないので、なにをどう警戒するべきかわからない。それでも臆せずに、牢の中の彼女を見て促した。彼女は逡巡するが、どの道このままでは埒が明かないと悟ったのか、大人しく後ろ手をこちらに近づけた。ロープが切れ、手が自由になる。その手にナイフを渡す。彼女はナイフで足のロープと猿ぐつわを外した。やっとキツイ縛りから解放された彼女は、しばらくの間、咳き込んでから、こちらを向いて喋り始めた。

「ええと……、礼を言うべき、なのかな」

 シアリスは肩を竦めた。

「気になさらないでください。それよりも、この牢はどうしましょうか。壊すことはできますが……」

「自分でなんとかするから、もう行ってもらって構わない」

 助けたのに無礼な態度ではあるが、この牢の扉が開けば猛獣に襲われるような状況では仕方がないのかもしれないと、シアリスは考えた。

「わかりました。お目に掛かれて良かった」

 エルフは少し驚いた。拍子抜けするほどあっさりと引き下がるので逆に怪しいが、精霊たちは物事に敏感だ。この吸血鬼が本当にここから消えようとしている気配を感じ取ったようだ。

 少年は振り返って馬車から音もなく降りると、少女に話しかけた。

「狩りには満足できたか? ……そうか。少し早いが、帰ろうか」

 シアリスはファスミラの口回りの血を、自分の袖で拭ってやる。彼女は一瞬下がろうとするが、それを受け入れた。シアリスのマントが翼となり、影が渦を巻いて風を起こし始める。ファスミラは姿をシアリスの影の中に隠した。今日はなかなか興味深い一日だった。早めに帰ってエルフや魔術に関する本を漁ろうかと考えていたが、老の中のエルフの声が聞こえ、飛び立つのを止めた。

 彼女の宝石のような瞳がシアリスを捉えている。何か一縷の望みを託すような、切実な瞳だった。

「待って。もし、あなたと取り引きしたいと言ったら、応じる可能性はある?」

 エルフの女がそう言った。

「取り引きですか。内容によりますが、もちろん可能です。ですが、理解しておられるとは思いますが、僕は……」

「回りくどい話はいらないわ。あなたが何者かは理解している。けど、私には時間がないの」

「……」

 強気な女だ。シアリスは閉口するが、気を取り直して言い直す。

「僕は人間らしい取り引きには興味がないです。それでも何か要求するというのならば、話を続けてください」

 シアリスも面倒になってきたので、ぶっきらぼうに言い放つ。

「……私の友達を助けてほしい。そのあと、私の血をあげる。好きなだけ飲んでいい。ただし、その友達には手を出さないで」

 まるで悪魔との取り引きだなと、シアリスは思った。けれど、そんなものが取り引きになるとは思えない。別にシアリスが欲しいと思えば、無理矢理にでも飲んでしまえば良いのだ。

「確かにエルフの血には興味がないわけではないですが……。その内容で良いのですか? あなたは死ぬことになりますよ」

 少しイジワルしてみる。シアリスとして彼女と話をするだけでも充分に興味深い。それに友人を助けるために、魔物に取り引きを持ち掛けるというのも、シアリスの琴線に触れた。

 ただ、彼女の反応から、吸血鬼を初めて見たわけではなさそうだと予想できる。その友人とともに、シアリスを倒せると思っているのかもしれない。

「そうね、そう……。ならばこういうのはどう? 友人を生かしてくれるなら、私はあなたに定期的に血を提供する。エルフは人間よりも長生きするし、回復も早いから血を沢山とれるはず。面倒な狩りをする必要はなくなるんじゃない?」

「つまりあなたは、僕の奴隷になると言うことですか」

 シアリスの嗜虐心シギャクシンがムクムクと頭をもげてくる。この麗しいエルフを奴隷とできたなら、どんな財宝よりも価値があるだろう。

「……奴隷、ね。もし助けてくれるならなんだってする。奴隷にでもなる!」

 エルフが宣言する。それだけ覚悟は堅いということだ。

 少年はかぶりを振って、心に浮かんだ残虐を追い払う。人を人足らしめるのが理性であるなら、今が使い時だろう。

「わかりました。それだけ切羽詰まった状況だということですね。では、取り引きはなしにしましょう」

「な……⁉」

 エルフが声を上げようとするのを遮った。

「あなたと友人のことは助ける。これは一つ貸しにしておくことにします」

 嫌な予感しかしない言葉だ。エルフは訝しげにシアリスを見た。

「わかった。貸しね。こうして話している時間も惜しい」

 エルフは長い髪を数本切り落とし、ナイフの柄に巻き付けた後、鍵穴にその切先を当てた。どう考えても入らないが、エルフが何事かを小声で唱えると、徐々に鍵穴に刃が入りんでいく。

 カチリと音がして、扉は開いた。シアリスは感心した声を上げる。

「魔法って便利なんですね」

 エルフはいいえ、と言った。何がいいえなのかわからないまま、エルフはようやく狭い牢から抜け出した。

 傭兵たちが乗っていた馬車には箱があり、その中にエルフの持ち物が入っていたらしい。簡単な左肩から左胸を覆う鎧と、頑丈そうなブーツ。そして体格に合せた短弓と矢筒。装飾の施された短剣を最後に腰のベルトに挿し、準備は整ったようだ。

「馬まで殺してしまったのね……。走っていくしかないか」

 言い終わらない内にエルフは走り出した。シアリスは呆然とそれを見送ったが、気を取り直して追い始める。かなりの速度だが、追いつけない程ではない。木々の間を風のように駆けていく。真っ暗な森の中であるにも関わらず、彼女の足取りは軽快だ。

(さすがに撒けはしないか……)

 エルフはすぐに追いついてきたシアリスの気配を感じた。さらには次の足が空振りしてしまうのを感じ、驚きの声を上げる。少年吸血鬼は後ろからエルフの体を掴み、枝の隙間を鷹の如く抜け、空へと舞い上がった。

「ちょ、ちょっと⁉」

「空を飛んだ方が早いでしょう。大人しくしていてください」

 彼女からすれば体を良いようにされるのは避けたいところだが、背に腹は変えられない。一刻も早く友の元へ向かわなくてはならない。それに足は宙ぶらりんだが、何故か下から吹く風のおかげか、不安定さは感じなかった。

「そういえば名前を聞いてませんでした。僕はシアリスです。あなたは?」

 少年が囁くように言った。これだけ近くで耳元から聞こえる声は、背筋を凍らせる。

「オノン」

 エルフは短く答えた。

「よろしくおねがいします、オノンさま」


 ◆


 二つの大きな河川に挟まれたこの都市レキアラグナは、肥沃な大地と漁場を持つ、この国最大の食料拠点の一つである。人も物も溢れており、交易・交通の要所としても栄えていた。そして、人の出入りが激しいということは、それだけ管理も難しい。盗賊や密輸組織、人身売買を生業とするような裏稼業も、当然のように蔓延っている。

 彼女、エルフのオノンが捕まったのも、そういった犯罪組織の一つであった。

 組織名はノヴァトラ、頭目の名はモキシフという男である。彼は魔術師であり、戦士であり、そして様々な犯罪のエキスパートである。魔術師であれば犯罪組織なぞに加担しなくも、十二分な金が手に入るはずだ。それでも彼は犯罪組織のボスとなり、悪逆のかぎりを尽くしているらしい。生粋の悪人なのだろう。

 石造りの街のほとんどの十字路には、輝石による街灯が設置されており、街の輪郭がぼんやりと見える。目的地が特徴的な街で助かった。この辺りに土地勘はないが、空から見てもすぐに見つけられる。

 この世界には、魔術によって単身で空を飛ぶことのできる者もいる。父デラウが昼間は飛ぶなと厳に言い聞かせてきたのは、空も見張られていると言うことだ。ただ、夜を飛行するものは少ない。この世界には光源があまりない。大都市に行けば街頭もあるにはあるが、高い塔に航空障害灯が設置してあるわけなく、夜目が聴くか、余程、感覚の鋭いものでなければ、上下がわからなくなって地面に激突することになる。

 シアリスは人を抱いたまま飛ぶのは初めての経験だったため、空中での制御には少し骨が折れた。

「あの港に降りて。その先の倉庫の地下に囚われているはず」

 オノンが指差す。できれば公園の芝生にでも着地したかったが、一刻も早く助けなければいけないと言う意思を尊重した。

「いたっ」

 鈍い音とともに、シアリスは背中から着地した。影の力で衝撃を吸収したものの、すべてを和らげるわけではない。オノンの体に衝撃がいかぬよう、彼女の体を翼で包んだので、シアリス自身はほとんど直接、地面に落ちたようなものだった。

「なっ、どういう着地の仕方なの⁉」

「申し訳ありません。着地に自信がなかったので、安全策をとりました」

「どこが安全なの!」

 小声でやり取りする。影の中に潜むファスミラが警戒を発する。

 しわがれた声が聞こえた。

「なんだァ……」

 港のボートハウスの管理人だろう酔っ払いが、扉から顔だけだして外を見回した。しかし、そこには波打つ堤防と暗い石造りの地面があるだけで、何も見つからなかった。気のせいかと思ったのか、酔っ払いは顔を引っ込め、扉がパタリと閉まる。

 地面にできた黒い塊には気づかなかったようだ。

 影が開き、シアリスにオノンが覆い被さるような状態で出てくる。オノンの甘い香りを楽しんだシアリスだったが、オノンの方は気にせず立ち上がり、シアリスに手を差し出した。無言で手を取り、立ち上がる。ファスミラに影で声を伝える。ほとんど発声しない会話方法で当人たちにしか聞こえない。

(先行して対象を見つけろ。手は出すな。相手は魔術師らしい。油断しないように)

(わかりました)

 ファスミラの気配がオノンを追い越して消えた。シアリスが近くにおり、これだけの闇が深い夜の街で、不滅者の近くにいるならば、従徒であっても影になって自在に動ける。その力を存分に発揮してもうらおう。

「便利そうね、その影の力も。吸血鬼になれば、みな使うことができるものなの?」

 今、質問することかとシアリスは感じたが、探りを入れているのだろう。ちなみに飛んでいる最中にファスミラのことは紹介してある。従徒の説明は省いて、吸血鬼仲間だということにしてあった。

「どうでしょう。僕たち以外の吸血鬼を見たことがないので、別の力を使う吸血鬼もいるかも」

 嘘でもないし、真実でもない。不用意に情報を与える気はない。

「ふぅん。長生きしてるクセに知識に乏しいわね」

 嫌味で言ったつもりだろうが、それを気にするほど、シアリスも若くはない。

「僕は見た目通り、生まれたばかりです。まだ、生後一か月ですよ」

 ふぅん、とまた鼻で返事をする。信じていない。

 エルフは足を少し緩めた。目的地の倉庫が近いようだ。

「あそこ、あの倉庫。その中の部屋に隠し通路があって、地下に通じてる」

 物陰に二人で隠れた。

 倉庫の中からはいくつかの人の気配がする。だが、何か作業をしているというよりは、暇を持て余しているといった感じだ。見張りとして、寝ずの番をしているのだろう。余程高価なものでも扱ってないかぎり、寝ずの番など倉庫にはいらない。ほとんどは商会が運営する警備の巡回で事足りるからだ。

 ファスミラが戻ってくる気配がした。曰く、地下への別の入り口が見つかったらしい。人が入れる大きさだろうな、と問うと、はいと短い返事がある。影になれば少しの隙間から侵入できるから、いざ行ってみたら肝心のオノンが入れないのでは意味がない。シアリスだけでも乗り込んで友人を助けることは可能だろうが、今回は手助けするだけだ。

「ねぇ、ファシーが戻ってきたんでしょ。ね、その内緒話やめてくれない。イライラするから」

 どうやら会話まで聞き取れないが、エルフは影の力の気配を敏感に感じ取れるようだ。そして長く生きているからって、物事に寛容になれるわけではないらしい。いつの間にかファスミラの名は略されてしまった。

「オノンさま、別の入り口を見つけたらしいです。そっちから入りますか」

「そう……ね。本当は正面から入って、ぶちのめしてやりたいけど」

「助けるのが先ですね。ファシー、案内頼む」

 何となく乗っかって、わざとらしくファスミラをファシー呼びしてみる。ファスミラは何か言いたげにシアリスを見つめた後、「こっちです」と言って駆け出した。

 海岸近くの大きな排水口がいくつか並んでいる場所がある。汚水に濡れた場所で臭いも酷く、昼間でも誰も近寄ろうとしない。中に入れないように、はめ殺しの鉄格子が付けられている。定期的に兵士が見回りしているが、臭いを忌避しておざなりである。そのため、排水口が一つ増えたくらいでは気付きもしない。定期的にメンテナンスもしているだろうが、その作業員に賄賂を掴ませて(あるいは脅して)見逃されている。オールアリアの城下町にも似たような場所はあった。

 ファスミラが示した場所は、他のところより綺麗な水が流れている。さすがの盗賊団も臭いのは嫌なようだ。格子の一本を持ち上げて、少し捻ると簡単に外れた。シアリスが先に中に入ろうとすると、オノンが止めた。

「私が先に行く。これは私の戦いだから」

 シアリスはオノンを見上げる。

「こんなことで言い争っている場合じゃないですから譲りたいところですが、僕の方があなたより強いので、僕が先に行きます」

「なんで、そんなことを……」

 オノンが言い終わるのを待たずに、さっさと排水口に入り込む。人一人がやっと通れるほどの通路だ。子どものシアリスと小柄なオノンでも追い抜かすことは難しい。

「待って……!」

 シアリスは口元で指を立てる。

「敵地なんだから静かにしてください。友人を助けたくないのですか」

 そう言われてはオノンも黙るしかない。狭い通路を進むと、今度はかなり広い水路へと出た。明かりの真っ暗闇の通路に水が流れる音が響く。

「暗い……」

 オノンが独り言のように言う。エルフの目もかなり暗闇に強いが、光源が全くないところでは流石に役に立たない。シアリスはオノンの手を取って、近くの通路まで案内する。

「ありがとう」

 オノンが小さく言った。

 この通路の天井にはハッチがある。ここを上がると、先程の盗賊のアジトである倉庫に出るはずだ。だが、ここには梯子を掛けた跡はあるが、梯子自体はない。スイッチなども見当たらないので、おそらくは中からしか開けられないのだろう。上部からは人の気配がする。見張りがいるのだ。

「私の精霊術で……」

 オノンが言うので、シアリスは首を横に振った。

「僕が中に入って梯子を降ろします。少し待っていてください」

 オノンはどうやって入るのか訊ねようとするが、その前にシアリスは闇に溶けるように消えてしまった。そして直後に、何かが倒れるような音が上から響き、光が差した。天井のハッチが開き、梯子が静かに降ろされた。

 オノンは梯子を登る。差し出されたシアリスの手を取って登りきると、素早く周囲の様子を確かめる。先程まで誰かがいたような痕跡があるが、誰もいなかった。

「見張りをどうしたの?」

「しっ」

 シアリスが喋るなとジェスチャーをする。部屋というよりは通路と言った感じの場所だ。続く廊下の先に薄明かりが隙間から漏れる扉がある。シアリスはその扉を指差し、オノンは頷いて、そちらの方を見た。

 オノンが扉に近付き、隙間から様子を伺う。扉の向こうには大きな部屋が広がっており、木箱やら皮袋やらが、所狭しと積み上げられている。はみ出した怪しげな物品の隙間の先に、オノンは友人の姿を見た。

「トピナが居る。まだ無事」

 トピナというのが、オノンの友人の名前らしい。オノンに変わって、シアリスも隙間から扉の先を見た。表向きも倉庫、裏向きも倉庫という盗賊のアジトである。シアリスは何となくだが愉快に感じ、動いていないはずの心臓が少しだけ踊るのを感じた。

 二つの人影が見える。

「女の方がトピナで、男の方がモキシフ?」

 シアリスが問うとオノンは頷いた。

 盗賊魔術師モキシフは禿げ上がった小太りの男である。太い二の腕はとても魔術師を想像させないが、様々な奇怪な装飾品で彩られた服装は、大道芸人、あるいは成金の商人を思わせる。人を馬鹿にしたような笑みも、それを助長させていた。

 トピナの方はシンプルな服装に身を包んだ、長身の女性である。長い四肢にゆったりとしたワンピース。ボサボサの赤髪が気の強さを物語っている。オシャレとはとても言えないが、それが似合っている。まだ幼さの残る顔は、今は苦痛の表情を浮かべているが、エルフにも劣らない整った顔立ちだ。

 他にも複数人の盗賊たちが、荷物を整理したり、暇を持て余したりしているが、どれも覇気がない。ただの雑魚だろう。

 モキシフが彼女を拷問しているのかとも思ったが、どこか様子がおかしい。トピナは立ったまま、両手を広げて何かに耐えている。よく見ると彼女の周りには、三角形の金属片のようなものが無数に浮かんでいる。それが彼女の両手から放たれる力場に、ぶつかっては火花を散らしている。モキシフはそれをニヤニヤと眺めているだけだ。

「僕が注意を引くから、その隙に助けてあげて」

 オノンが何か言いかけるがそれを飲み込んだ様子で、ハッキリと頷いた。シアリスは扉の隙間から影となって倉庫に入っていった。


 ◆


 かれこれこの状態が続いて、三時間ほどが経つ。もう助けは来ないかもしれない。思考する余裕はないが、目の前のこの男モキシフに対する怒りが沸々としていた。もう喉が枯れてきている。呪文の貯蓄チョチクも間もなく絶える。そうなれば、精神が破壊されることとなる。

 トピナは魔術師である。

 魔術学校を首席で卒業し、周りの反対を押し切って冒険者となった。それから数年、数々の古代魔術師のアトリエを探索し、出土品アーティファクトを売ることで生計を立てていた。

 人間一人の力など、たかが知れている。だから、ほとんどの者は徒党を組んで物事に挑む。だが、トピナは誰とも組もうとしなかった。

 臨機応変に魔術を使うには、呪文を唱えるための時間が必要である。そのための時間稼ぎ役として、前衛の戦士などを連れて歩く。冒険をする魔術師の基本である。トピナは孤独を愛したわけではないが、才能があるが故に仲間は邪魔であった。効率よく魔術を行使するには、その力の及ぶ場所に仲間が居ては巻き込んでしまう。

 その点、オノンは都合の良い相手だった。魔術の知識があるので巻き込まれることもないし、前衛も後衛もこなせるので前に出すぎることもない。実践経験も豊富なので、足手纏いになることもない。そして、同性同士なので、二人きりで過ごしても厄介事にはならない。

 オノンとはアトリエ内部で偶然、再会して行動をともにするようになってから、早五年もの付き合いである。育ての親を除けば、十九年の人生でもっとも長く付き合いのある人物である。

 奢りと油断だ。出土品の窃盗と密売を行うこの盗賊たちに、天罰を与えてやろうと思ったのだ。たまたま見かけたと思っていた盗賊団。しかし、誘い込まれていた。こいつらの狙いはオノン、エルフであった。随分ズイブン前から付け狙われていたらしい。

 のこのこと一人でアジトに乗り込んで、不意打ちを食らったトピナは人質となった。呼び出されたオノンは抵抗することもなく、捕縛ホバクされた。

 自分のことなど放っておけば良いのに。

 怒りはモキシフに向かっているのではないと気付く。自分の迂闊ウカツさと傲慢ゴウマンさ、足手纏いを嫌って独りでいたのに、自分が足手纏いとなってしまった。

 トピナは呪文を唱える。もう喉が限界だ。

「ずいぶん粘るじゃないか」

 モキシフがニヤつきながら言った。こいつは魔術師ではない。

 一口に『魔術師』と言っても、多様な種類の専門家が存在する。そして、魔術師から見たら魔術師ではなくとも、一般人から見たら魔術師にしか見えない者もいる。モキシフはその一人だ。魔術師を成す定義とは、魔術を使える者である。傍から見たら魔術に見えても、魔術でない力がある。

 例えば、エルフ。彼らは魔法を使う。魔術ではなく、それは精霊術と定義されている。もっともこれはメネル族が勝手に言っていることで、エルフはそれをただ魔法、あるいは願い事としか言わない。

 そして、モキシフは魔術も魔法も使えない。魔道具を使って擬似的な魔法を使うだけだ。魔道具を使うには研鑽も努力も必要ない。使い方を知っていればよいだけだ。魔道具を使って魔術師を名乗るなど、魔術師に対する侮辱だ。何人もの魔術師が義憤ギフンに駆られて、こいつに挑んだのだろう。そして、こいつは生き残った。

 トピナを拘束している魔道具は、おそらくは古代魔術師のアトリエから出土した、希少で強力な物品だ。

 今、トピナは自分自身の魔力によって身動きができない状態にある。魔術師の戦法は複雑だが、緊急時の対処法は限られている。防御結界魔術は、接近戦でもっとも確実で高い効果を発揮する魔術だ。

 通常、魔術というのは呪文を唱えなければ発動できない。呪文には大なり小なり唱える長さに差があるが、それらを短縮するための技術の開発は、長年に渡る魔術の研究の上での一大課題となっている。その研究成果の一つで、現在もっとも使われている方法が、事前詠唱による短縮法である。簡単に言えば詠唱するべき呪文を最後の一文を除いて唱えておき、魔力を何らかの道具(杖、武器、装飾品など)に蓄えておく。必要なときにその魔力を取り出し、最後の一文を唱えることで魔術を発動させるというやり方だ。

 この方法は単純で、魔術発動の信頼性が高いため、多くの魔術師が使用している。さらなる長所としては、道具に魔力を移しておくことで、平時には魔力を蓄積し、必要時に解放することで、発動時の魔力の節約ができる。

 しかし、今はその長所を逆手に取られている。

「ホント、おまえら魔術師はプライドが高くて助かるよ! こうしてボクがやっていけてるのも、君たちのおかげさ! わざわざアトリエに潜らなくても、持ってきてくれるんだからさ」

 この魔道具は、魔力を強制解放する力があるのだ。もし、呪文の詠唱をやめてしまえば、消費しきれなかった魔力は暴走、逆流し、トピナの精神はズタズタに引き裂かれるだろう。だから彼女は連続して使い続けることができ、効率良く魔力を消費できる防御結界魔術で、内からも外からも身を守った。もし、少しでも発動が遅れていたら、腕輪に貯めた自らの魔力が暴走していたはずだ。魔力そのものには物理的な効力はないが、それは空間と精神に作用する。もし、魔力の純粋な奔流を人間が浴びてしまったら、その魂は肉体から引き離され、別の次元に飛ばされると言う。それを確認した者は存在しないが、廃人となった者は何人も存在した。

 あと何回、事前詠唱は残っているだろうか。毎日欠かさず五十回分は事前詠唱をしてきた。まだ余裕はあるはず。問題は舌を噛んで呪文を唱え損ねるかも知れないことだ。そうなればその瞬間に終わりだ。

 モキシフがトピナの周りをゆっくりと旋回しながら、その様子を楽しんでいる。かれこれ数時間、訊ねてもいないことをペラペラとよく喋った。トピナの膝が崩れ落ちそうになる。だが、負けるわけにはいかない。少しでも生き残る可能性があるならば、諦めるようなことはしない。

「ふん、ようやく限界か」

 モキシフがだらしない体を揺すって笑った。

 防御結界魔術は物理的攻撃をほとんど遮断する。その代わり、身動きも取れなくなる。まさに八方塞がりの状態だ。このまま、ジワジワと削られていくしかないのかと、強気なトピナも考え始めていた。

「この楽しい時間も最後だろうから教えてやるよ。お前の相棒の末路をさ」

 トピナは睨みつけるが、モキシフは構わず続けた。

「エルフを欲しがるやつは多いけど、今回の話は、ボクでも狂ってると思ったね。やつらエルフを晩餐にするんだとさ。ウケるだろ? エルフを食えば、病気がなんでも治って、不老不死になれるんだとよ。バカみたいな話だぜ。もしそれが本当なら、魔大戦のときに不老不死のメネルがいたはずだ。なのに今、不老不死のやつなんていやしない。金持ちになるとそんな簡単なことも解らなくなるのかねぇ。まぁ、ボクも今回の件が無事片付けば、一生遊んで暮らせる金が手に入るから、あいつらのことを笑えなくなるのかもしれないけどね」

 トピナは注意深く話を聞いていた。呪文を唱えながら、話を聞くのはとても難しいが、それでも聞いた。この状況を脱し、モキシフを殺したら、次はその金持ちだ。だが、モキシフもクセ者だった。特定できるようなことはなかなか言わない。

 モキシフは壁に掛かった、時間を知らせる魔道具を見た。

「そろそろ、街に着いたころだな……。とっても楽しい時間だったよ、魔術師さん。廃人になった君の体は、有効活用させてもらうから、安心してほしい。ちゃんと世話もしてくれる人がいるから」

 むかつくやつだ。だが、自分に限界が来ているのもわかっていた。

 オノンのことを考えた。彼女は逃げ出せたはずだ。あのバジリスクのようにしぶといエルフが簡単に捕まって、大人しくしているはずがない。助けになど来る必要はない。もう足手纏いはごめんだ。

 一瞬、意識が遠のきかけたそのとき、静かな倉庫に大声が響き渡った。


 ◆


ウルワしき美女の危機に、闇夜仮面マスクオブザダークネス、見参!」

 シアリスが積み上がった木箱の上で、ポーズを取りながらそう叫ぶと、盗賊たちの視線は一斉にそこに注がれた。

(決まった……)

 シアリスの格好は今、黒い覆面にマントに覆面と、一昔……、二昔前のヒーローの姿真似ていた。どうせ、目立つのならば、劇的な方が効果的だ。実利を考えた結果なのだが、視線の反対側、トピナを救出する役の身を潜めているオノンの視線が痛い。

「ガキ……? 誰だ、見張りはどうした! さっさと捕まえろ!」

 手下たち数人が木箱を登ってシアリスを捕らえようとするが、シアリスは木箱を蹴り落として登ってくるのを妨害する。

「ちっ、商品壊しやがって……。おい、ボウガンもってこい、ボウガン!」

 モキシフがヒステリックに叫ぶ。

 突然と現れた小さなヒーローに盗賊たちは翻弄される。近付こうにも、超絶的なバランス感覚で、木箱間を跳び回って逃げてしまう。オノンは慌てふためく盗賊たちから隠れながら、トピナになるべく近付いた。彼女の周囲を取り囲み、回るあの魔道具さえどうにかすれば、あとはなんとでもなるはずだ。

 どうすれば良いのか考えている時間はない。トピナの限界は近いし、シアリスの囮も長くはもたない。いや、彼なら問題はないか。ここにいる人間たちをすぐにでも皆殺しにできるはずだ。それをしないと言うことは、こちらに気を使ってくれているのだろう。

「火の精霊よ、力を貸してください。友を捕らえるクサビを飛ばし、破落戸ごろつきに罰をお与えください」

 髪の一房をナイフで切り、それに息を吹き込むと、髪の毛は矢の形となった。それを愛用のショートボウに番える。

「火の精霊よ、お願いします。爆ぜて、燃やして、灰燼カイジンと化して。この倉庫を燃やし尽くして、やつらが二度と立ち直れないように」

 エルフ特有の魔法、精霊術。エルフ族は、別名を妖精族と呼ばれる。精霊と対話し、その力を借りることができるのだ。

 オノンは物陰から飛び出し、矢を放った。狙った先は盗賊ではない。トピナである。矢は彼女の張った魔術の防壁に当たると、爆炎を伴って辺りのものを吹き飛ばした。

 衝撃波が倉庫に伝わる。相当な音が響いただろうから、もう隠密はできない。火は延焼を始め、ここは間もなく焼け落ちる。これだけいきなり炎が広がれば、その中にいる者はただでは済まない。だが、炎は人を燃やさなかった。近くにいたモキシフは吹き飛ばされただけで、服すら焦げていなかった。

 突然の出来事が続くが、そこは流石の盗賊の頭である。打ち付けた背中を庇いながらも、状況をまとめようする。

「敵襲! 武器を取って……」

 言い終える前に、その顔面は粉塵の中から伸びたトピナの手が、その口を塞いだ。

「いいようにやってくれたな、テメェ……。このモドキ野郎が!」

 モキシフの顔が指の間から血を吹き出して破裂する。皮膚が割れ、骨が露出するが、致命傷ではない。絶叫し、彼は倒れ込んだ。それでも彼の判断力は鈍らなかったようだ。

「槍よ、貫け!」

 拳を突き出して呪文を唱える。モキシフの指輪の一つが槍の形となって、トピナに突き刺さる。いや、それは影に突き刺さっただけだ。彼女はそれを紙一重で躱し、槍が握られた手を取る。指先から閃光と亀裂が走り、それが腕の付け根まで届くと、腕はまるでロープのように捻れ、血飛沫を上げながらダラリと垂れた。もはや骨の形は残っていないだろう。

 トピナの得意の破壊魔術である。

 流石のモキシフもその激痛には耐えられず、崩れ落ちるように膝をついた。返り血に染まったトピナが、その割れた顔面に硬いブーツの底を打ち付ける。

「もう少し痛めつけてやりたいが……、相方の方がキレててもう終わりらしい。バイバイ」

 手を振るトピナの後ろには、矢を継がえたオノンが目を光らせていた。紛れもない殺気とともに、矢が放たれる。この距離では避けることも防ぐことも適わない。血走ったモキシフの目は走馬灯を見たことだろう。しかし、その目に映ったのは、眼球を貫くことなく止まったヤジリだった。

「なんのつもり」

 怒気の孕んだオノンの言葉が、矢を手で握って止めたシアリスを貫く。

「お二人とも少し落ち着いて。こいつは生かしておかないと、後が大変……ですよ」

 オノンとトピナの眼光に睨まれたシアリスが言い淀む。オノンがとフゥと溜息をつく。

「そうね、さっさと脱出しましょう。ここもすぐに崩れ落ちるから」

 盗賊たちは何とか炎を消そうと躍起ヤッキになっているが、炎はまるで意志を持つかのように、荷物と倉庫だけを焼いていく。実際に意志を持っているのかもしれない。

「お、お前、一体」

 モキシフが何か喋ろうとするが、シアリスが指を動かすと押し黙った。意識を失い、昏倒する。

「自己紹介は後でも構わないでしょう、トピナさま。殿は僕がしますから、オノンさまについて行ってください」

 何やら怪訝そうな顔でトピナはシアリスを見つめるが、オノンが入ってきた通路に戻っていくのに気付いて、それについていく。シアリスはその後を、モキシフを引き摺りながらついて行った。


 ◆


 隠し通路を抜けて、海に出た。既に騒ぎは広がっており、暗いはずの倉庫街に人の怒号が響いていた。どうやらモキシフのアジトの一つであった倉庫は、燃え上がる速度が早すぎて消火ができていないらしい。しかし、その炎が他の建物に延焼しないことを見抜いた者もおり、魔術師を呼べと言う声も聞こえた。

 そんな騒ぎを他所に、オノンたちは少し離れた暗い海岸で向き合っていた。

「それで、このガキはなんなの、オノン。闇夜仮面ってなんなの」

 乱暴な物言いでトピナが言った。オノンは鼻で笑って答える。

「闇夜仮面は私も知らないな。なんなのかしら? シアリス」

 シアリスは臆面もせず、キザったらしいお辞儀をしてみせる。

「闇夜仮面は、仮の姿。正義のためには、正体を隠す必要があるのです。って、そんなことどうでも良くない?」

 シアリスは影で作ったマスクを消した。トピナが妙な顔でこちらを見ている。彼は彼女を見て、ニッコリと笑ってみせる。

「シアリスと申します、トピナさま」

「な、な、な……」

「?」

 トピナはまるで獲物に襲いかかるようなときのように、目を輝かせた。

「なにこのカワイイいきもの! カワイすぎるぅ!」

 トピナがシアリスを抱き上げる。彼女はシアリスよりも頭二つ分は背が高い。オマケに筋肉質だ。オノンは彼女のことを魔術師だと言っていたし、実際に魔術を使っているのを見た。疑う余地はないが……。この世界の魔術師は、みなこんな感じなのだろうか。

 シアリスはトピナの胸の中で、無気力になってされるがままにしている。

「シアリスさまから、手を離しなさい」

 いつの間にやら現れていたファスミラが、シアリスのマントを掴んでトピナの回転を止めた。

「なんなの、この小娘は。人が楽しんでるのに、水を差さないで」

 トピナとファスミラの間で睨み合いが発生し、その隙間でシアリスは無言のまま虚空を見つめている。先程まで命の危機に晒されていたとは思えない、切り替えの速さに感心するべきだろうか。

「……元気そうでなによりね、トピナ。魔力傷が出ているわ。少し深呼吸しなさい」

「ああ、忘れてた! もう恐かったよぉ。ありがと、ホントありがとうね、オノン~!」

 シアリスを離したと思ったら、今度はオノンに抱きつく。オノンは慣れた様子で、背中をやさしく叩いている。

「いつもこんな感じなのですか」

 シアリスが問う。

「……戦いの後はこんな感じね。興奮状態で手が付けられない」

 オノンもトピナにされるがままにされながら、虚無の表情で答えた。なんとも緊張感がない。

「それで? そいつを生かしておいてどうするつもりなのか、聞かせてくれる?」

 オノンが指差して言うので、シアリスは地面に転がったモキシフを掴みあげる。モキシフは小柄とはいえ、シアリスよりも十分に大きい。それを片手で軽々持ち上げるのは、異様な光景だ。

「オノンさま、こいつは盗賊団の頭なんですよ? こいつの頭の中に詰まっているのは金のことだけじゃない。あれだけの倉庫を持っているのですから、他にもアジトはあるはず。団員の構成、流通ルート、仕入先、納品先、商売敵である他の盗賊団の情報……。殺してしまうには惜しい人材です。苛烈な拷問のあとにすべてを吐き出してから、死んでもらわないと。ああ、僕たちが拷問するわけじゃないですよ。憲兵に差し出せばいい。きっと懸賞金も貰えるはずです」

 美しい顔から発せられる冷徹な言葉に、オノンは背筋が冷たくなるのを感じた。トピナも同じだったらしく、少し冷静を取り戻している。

「おまえ、本当に何者だ。ただの子どもじゃないな」

 トピナが鋭くシアリスを見つめた。彼は答えず、貼り付けた笑みでオノンを見た。

「彼は……助けてくれた通りすがりよ。それ以上でも、それ以下でもない。ありがとう、シアリス。この貸しは必ず返すわ」

 シアリスは、オノンがトピナに、シアリスの正体を話すかと思ったが、そうはしないのようである。

「行きましょう、トピナ」

 トピナの手を引き、去ろうとするオノン。この場所も決して安全ではない。憲兵たちに見つかれば、長い時間を取られるだろう。それに早くこの少年から離れるべきだと本能が告げている。

「待って。この人を連れて行ってくださいよ」

 シアリスがモキシフを差し出してくる。

「な……。あなたが連れていくんでしょ。私たちは……」

「僕が連れて行っても怪しまれるだけじゃないですか。僕は子どもですよ。夜明けも近いし、融通の効かない兵士の相手をしている時間はないです。ああ、懸賞金はあなたたちで使ってください。僕はお金には困ってないので」

 オノンが答えに窮していると、トピナがモキシフを受け取ろうとする。

「わかった。こいつは確実に突き出してやる。ただ、懸賞金は山分けだ。必ず受け取りに来い」

「待って、トピナ、それは……」

 オノンが言うのを待たず、シアリスは礼儀正しい一礼を披露する。

「そうですか、わかりました。では、またいずれお会いしましょう。トピナさま、オノンさま」

 モキシフの脂肪のついた体を乱雑に放る。トピナがモキシフを預かるとき、一瞬目を離した隙に、シアリスは影となって消えた。

「で、何者なのよ。あれは。ただの人間ではないのはわかるけど」

 トピナがオノンに訊ねるが、オノンは首を横に振るだけだった。

 海岸線に残された二人は、不思議な少年が消えた海の闇を見つめた。

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