軍人②

 ▼軍服

 軍服の襟章の星の数を見れば階級がわかるようになっていました。

 (星の数が多いほど階級が高い)

 大正時代の陸軍の服装規則は、こちらに詳細が載っています!

(先頭のhを抜いています)

 ttps://kahuetaisyourouman.web.fc2.com/hukusokisoku1.html

 ttps://kahuetaisyourouman.web.fc2.com/45siki.html

 海軍の制服には、第一種(冬服・黒に近い濃紺。ボタンは無くホックで留めるのが特徴。襟章と袖章で階級を判断)と第二種(夏服・白の詰襟軍服に錨のマークの金ボタンが特徴。肩章で階級を判断)がありました。

 軍刀と同様、軍帽・ジャケット・ズボン・シャツ・外套・ブーツ・雨衣など、すべての軍装を自腹であつらえなくてはいけませんでした。

  

 ▼軍刀(ぐんとう)

 軍刀は、世界各国の軍隊で装備されている刀剣類の総称です。

 明治時代は軍刀を片手で扱う方式でしたが、大正時代になると、軍刀を両手で扱う方式に改定しました。

 日本人は日本刀を両手で握っていたため、両手方式の方になじみが深かったためです。

 片手で扱う方式については、騎兵部隊において限定的に残されました。

 軍刀はすべての軍人が佩用はいようしていたわけではありません。

  一般的に、将校や上級士官、騎兵や憲兵など特定の兵科に就いた軍人のみが佩用していました。

 軍刀は将校の自費負担であり、材質等の基準を満たしていれば外装を自由に仕立てることが許されていたため、鞘も含めて様々なこしらえの軍刀が存在したようです。

 軍刀を持たない下士官兵は 銃剣をぶら下げていました。


 ▼髪型

 陸軍は全員丸刈り、海軍は伸ばしていても黙認されていたようです。

 しかし!

 ヒーローを坊主にするのはどうも……ですよね。

 あくまでフィクションの大正風小説ですから!ってことで、作品のヒーローは長髪でいいと思います!


 ▼軍隊での給食

 明治時代、兵営では兵士に1日に白米6合を摂る食事を支給していました。

 民間では米は1日に2合3勺ぐらいしか食べられなかったため、農村の青年は喜びました。

 ところが、兵士たちに脚気が蔓延したのです。

 脚気は米を主食とする民族に特有の疾患です。

 初期の症状は身体の倦怠感、食欲不振ですが、やがて多発性神経食害が起き、ついには呼吸不全、心不全によって死亡する恐ろしい病気でした。

 脚気の原因が白米食にあるらしいと判断した海軍医務局長、高木兼寛は水兵の食事をパン、あるいは大麦を混ぜた飯に替えることにより脚気を一掃することに成功しました。

 しかし陸軍では、医務部長であった森林太郎(後の森鴎外)らが麦飯の採用を躊躇したため、日露戦争での戦病死者4万7000人の中、脚気による病死者が2万7800人にもなるという悲惨な結果を招くことに。

 脚気の原因が白米食であると判明してからは陸軍の兵隊食は大麦を混ぜた飯に、海軍ではパン食をするように変更されました。

 脚気の原因がビタミンB1の欠乏症であると医学的に証明されたのは、明治43年、東京大学教授、鈴木梅太郎博士が米糠から脚気防止に効果がある成分、オリザニン(後のビタミンB1)を単離したことによるものでした。

(※上記は大正時代より前の話ですが、軍人と脚気の密接な関係を知識として覚えておいたほうがいいかもしれないと思って載せております!)


 

【参考資料】 

 入門 食の社会学「変わり行く日本食」(ttps://www.mealtime.jp/shokublog/naohashi/2016/11/post-235.html )



次回は、成金編です!

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