軍人①

 大正時代は、満20歳以上の男子に3~4年の兵役がありました。

 しかし家の跡継ぎである長男 や、 役人の息子は兵役を免除されていました。

 つまり実際の兵役についたのは 農家などの次男・三男にあたる人たちが中心でした。

 当時の農村部は貧しく、麦飯を食べるのが普通だったため、青年たちは「軍隊に入れば白い飯が腹いっぱい食べられる」と喜んだようです。

 嫌々ではなく、むしろ喜んで兵役に就いていたことになります。

 現役終了前に志願することで、選抜を受け2年間の部隊教育の後、下士官(伍長)への任官の道がありました。


 ▼将校とは

 下士官たちの上官となり戦闘を指揮するエリート。

 現在で言うところの「役職者」で、位に「〇将」「〇佐」「〇尉」とつく軍人をさします。

 厳しい受験戦争を勝ち抜いた学歴エリートであることが大半で、学校の成績によって昇進が決まるため、現場を知らない指揮官たちが多く存在しました。

 将校になるには

 ・13歳から陸軍地方幼年学校(3年)、陸軍中央幼年学校(1年8ヶ月)を卒業して、士官候補生となり隊付勤務(半年で上等兵から軍曹の階級になる)を経験して、陸軍士官学校(1年7ヶ月)へ進む道。

 ・中学校(5年)を卒業して、士官候補生試験に合格し、隊付勤務(1年で一等卒から軍曹の階級にすすむ)を経験して、陸軍士官学校(1年7ヶ月)へ進む道。


 将校になった後にどこまで昇進するかは、陸軍大学校への進学の有無がひとつの指標となります。

 2年以上の隊付勤務を経て、中・少尉から選抜されて陸軍大学校を受験する流れです。


 兵士からたたき上げで将校に昇進することはごくまれで、それもほとんどが尉官クラスどまりでした。

 エリート出身ではない人が昇進しても、エリートたちから差別されたようです。


 ▼大正6年の陸軍の武官は以下の通り。

 大将-中将-少将-大佐-中佐-少佐-大尉-中尉-少尉

 (左から順に階級が高い)


 ※士官学校を出たばかり(20歳ぐらい)の少尉~大尉ぐらいの将校は「若きエリート軍人」として大正浪漫創作では人気のキャラクターとなっています。

 ※漫画『煙と蜜』(長蔵ヒロコ/著・KADOKAWA)の土屋文治は、30歳で少佐(700人を率いる大隊長)です。


 ▼海軍の転勤

 海軍の若い士官は海上勤務と陸上勤務を繰り返しながら出世していくため、家にいることがあまりなく転勤も多かったようです。

 そのため海軍士官の妻子は基地近くの借家に住むか、どちらかの実家で暮らしていました。

 ただし海軍士官の中でも「特務士官」と呼ばれる軍艦のエンジニアは、転勤がほとんどありませんでした。

 

 ▼軍人は人気の職業だった?

 貧しい食事か摂れない庶民には人気の職業でした。

 また、父親が軍人だと息子も軍人になる割合が高かったようです。

 しかし、華族には不人気でした。

 華族の子弟には軍人や外交官あるいは貴族院議員という職業に就くことが国家から望まれていました。軍人は一兵卒ではなく、当然士官や将校となるべく軍の学校への入学が求められた。

 この軍人へのコースが人気がなかったようです。

 金沢誠・川北洋太郎・湯浅泰雄編『華族―明治百年の側面史』(講談社)という本によれば、学習院中等科で昭和7年に陸海軍がPR して軍人になれと言ってきたけれどなり手がなく、クラス20人のうち2人が陸軍に入っただけで、海軍には一人もいかなかったとの記述があります。


 

【参考資料】

 『陸軍将校の選抜・昇進構造──陸幼組と中学組という二つの集団──』

( ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/eds/87/0/87_25/_pdf)



次回も軍人編! 軍服や軍刀のお話をします。

 

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