最終話 また、二人で

「さて、話してもらおうかな。」


 風呂から上がった後、俺は再び葵に問い詰められていた。

 しかし、突然戻って来た彼女に対して俺にだって言いたいことはたくさんある。


「じゃあ、お互い1つずつ質問に答え合っていくのはどうだ?」


「むぅ、問い詰めから逃げようとしてない?」


「死んだと思ってた彼女が突然戻って来たんだぞ、しかも何やら訳アリで。何も聞かないって方が無理だろう」


「まあ、それもそっか……いいよ、じゃあそうしよう。でも、先行は私ね?」


 嬉しそうで、しかし確かな意思を持った言葉。


「分かったよ。じゃあ1つ目どうぞ」


「うーん、じゃあそうだな~。アキラって何?」


「え、それ?」


 普段あまり見なかった真剣さに、いったいどんな質問が来るのかと少し身構えていたのだが……。


「いいから答えて」


「あーうん、そうだな。アキラってのはさっきまでの俺のこと、かな?」


「はっきり言ってよ。抽象的過ぎてわからない」


 歯切れの悪い物言いに葵が少し怒り気味に聞き返してくる。


「……葵がいなくなったとき、俺はどうしようもないくらいに落ち込んだんだ」


「……うん」


「だから、アキには死んでもらった。葵と一緒にな」


「……」


「ほんとに耐えられなかったんだ。だから自分を葵と付き合っていたアキじゃなく、アキラとして生きることにしようって。そうやって逃げたんだ」


「そっか」


「ほんとにそれだけだぞ」


「……なーんだ、てっきり偽名使っていろんな女の子、誑かしてるのかと」


「そんなわけないだろ……」


「そう、だよね。ごめん。でもちょっと嬉しくもある」


「嬉しい?」


「うん。明の気持ちを独り占めしてるっていうかさ。愛されてるな~って」


「……そうかよ」


 そっけない反応をしてしまったが、1年ぶりに葵の笑った顔が見られて本音では嬉しかった。


「じゃあ次、アキの番。なんでもいいよ」


 昨日までの俺ならもっといろいろ聞けたかもしれないでも、今はさっきの話の衝撃が強すぎる。


「葵の家って精密機器の工場じゃなかったのか?さっきは技術力がどうとか言っていたが」


「最初の質問がそれでいいの?」


「ああ、正直訳が分からなくてほかのことが考えられない」


「わかった。まず私の家は精密機器の工場で間違いないよ」


 黙って頷き、続きを促す。


「でも本家が研究機関でね。結構力があるみたい」


 そんなこと、あり得るのだろうか……。

 しかし、今目の前に死んだはずの彼女がいることが何よりの証左だろう。


「まあ、わからないけどそれ以上は葵もわからないってことだよな?」


「うん。実はもともと家が嫌いだったからこうやって無理して大きい部屋を借りたんだよね。もちろんアキと一緒に住みたかったってのはあるけど、なにかあって別れることになっても出ていかなくて済むくらいの大きい部屋がいいと思ってた」


「だから部屋選びの時、あんなにそこら中見て回ったのか……」


 大学生時代二人で住もうとなってから部屋探しに相当苦労した記憶がよみがえる。


「じゃあ、次は私の番ね」


「いいぞ」


 突然、葵の纏う空気が重いものに変わった。


「なんでさっき、あんな山道走ってたの?」


「っ―――!」


 それは……。


「私と出くわさなかったら、何をするつもりだったの?ちゃんと答えて」


 俺が今日通っていた山道をもう少し進むとトラックなどの運転手の休憩用に作られた駐車場スペースがある。

 そこには主のいなくなった車が多く止められており、現在では立ち入り禁止となっている場所だった。


 端的に言えば自殺の名所というやつである。


 俺は葵の問い詰めに答えられない。


「ねえ、いなくなろうとしてたんじゃないよね?」


 問い詰める葵もとっくに分かっているはずだった。


「あのね、アキ。よく聞いて。死ぬのってすごく痛くて、苦しくて、悲しくて、辛くて、怖い物なんだよ。0になるまで、完全に終わりを迎えるまでずっとね」


 ……あまりにも重い言葉だった。


「今回はたまたま、偶然私がいたから良かった。……でも、でも、もう二度と何があっても自分で死のうなんて思わないで!」


 葵の顔が見えなくなるほど目がかすむ。


「ごめん」


「許さない」


「本当にごめん」


 もう顔を上げることもできなかった。


 でも後ろから暖かいものに包まれて、今日まで続いていた嫌なものはすごく小さくなった。


 耳元で声がする。


「さっきはアキには私と一緒に死んでもらったとか言ってたくせに、ずっと生きてたんじゃない。ごめんね。突然いなくなって」


 優しくて懐かしい声だった。


「ただいま、アキ。今日からまたよろしくね」


 1年間止まっていたままだった、無色の時間が色を取り戻していく。

 どうか夢でないことを願って、いつの間にか目を閉じていた。


◇◇◇


「おはよ」


 目を覚ますと彼女は確かにそこにいた。


「ほんとに夢じゃなかったのか」


「うん。言ったでしょ今日からまたよろしくって」


 陽炎のように揺らいでいた日々がようやく形を取り戻す。


「なあ、葵」


「なに、明?」


「おかえり」


 この時の彼女の笑顔は何よりも強く、俺の記憶に刻まれた。

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陽炎 嵐山田 @arasiyamada

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