第38話 断罪:植木鉢事件1





「皆の知っての通り、昔から庭園を管理してくれている庭師のヴァン、そしてメイドのマリーだ。ヴァン、早速だが例の話を聞かせてくれ」


 ヴァンはゆっくりと頭を下げ、胸元に脱いだ帽子を当てたまま、言葉を選ぶようにして語り始めた。


「わしは、奥様が嫁いでこられる少し前から百合を育てておりました。少しでも奥様の慰みになれば、と……それがようやく美しい花を咲かせ、奥様に見ていただけると楽しみにしていたのですが……」


 そこまで語ったところで、ヴァンは目を伏せた。


「……しかし、その直前に、鉢がすべて割られておりました」


 リリアーナはその姿を見て、息を詰めた。

 そして、自分のために百合を育ててくれていた庭師の心遣いに胸を打たれた。そんな風に歓迎してくれた人がいたなんて、思いもしなかった。


「そして……よくよく確認してみると、鉢が一つなくなっていたのです」


 その言葉で、バルコニーの上から落ちてきた百合の植木鉢の姿が思い出された。


「そんな時、主館のバルコニーの方から大きな物音がして……駆けつけてみると、バルコニーの下に奥様がいらっしゃって、その御前でなくなっていたはずの植木鉢が無惨にも割れておりました」


 ヴァンの証言を聞きながら、リリアーナもその光景を思い出していた。白い百合の花が、土とともに飛び散り、壊れた鉢からこぼれ落ちていたあの瞬間を。


 ――一歩間違えれば、死ぬところだった。


「奥様は上から落ちてきたとおっしゃられていました……割れ方からもそのように感じました。あの土の飛び散り具合は、腰ほどの高さから落としたぐらいの割れ方ではありません」


 ヴァンは沈痛な面持ちで続けた。


「奥様は、花が可哀そうだと嘆かれていました。そこで、球根が無事なことをお伝えし、来年またきっと花を咲かせると申し上げたところ、とても安心されて……それに、わしの名前を呼んでくださり、いつも花をありがとうと、そう言ってくださったんです……」


 ヴァンの目にはかすかに涙が浮かんでいた。


「なのに、このメイドは――」


 ヴァンはエリナを睨みつけ、憤りを隠さず続けた。


「このメイドは、奥様が、花が気に入らないから植木鉢を割っていたと言いにきて……まさかそんなことがあるものか……このメイドは何を言っているのかと、悔しくて悔しくて……ですが証拠は何もなく……」


 そこで、話が終わる。

 レイヴィスが静かに頷く。


「――そうして、エリナが謹慎処分になったことを聞いて、俺にその話を伝えに来てくれた」


 ヴァンが深く頷き、レイヴィスに感謝と信頼の視線を送った。

 続けてレイヴィスはメイドのマリーに目を向ける。


「その話もあって、改めて全員から話を聞いた。すると、マリーが興味深い証言をしてくれた」


 マリーは一瞬躊躇いながらも、勇気を振り絞るようにして言葉を慎重に紡ぎ出した。


「わたしはその日、エリナさんが百合の鉢を運んでいるのを見かけました。きっと奥様の部屋に運ぶのだろうと思ったんですが、何やら急いでいたように見えて――危ないなぁと思ったんですが、いつの間にか持ってなくて……バルコニーに一度置いたのかなって」


 目線をきょろきょろさせたり、長く瞼を下ろしたり、緊張しつつもしっかりと話を続けていく。


「そしたら次は、エリナさん階段の踊り場の床掃除をしていて――運ぶ途中で土を零したのかなと思っていたのですが……」


 ちらり、とエリナを見る。


「大きな物音がして、もしかしたらエリナさんが植木鉢を割ってしまったんじゃないかと思ってバルコニーの様子を見に行こうとしたら、途中で奥様に声をかけていただいて――」


 マリーはリリアーナを見て、ゆっくりと丁寧に言葉を紡いだ。


「――『床にワックスが残っていて危ないから掃除をしてほしい』とおっしゃって、見てみたら本当にワックスだらけで、危ないと思って掃除しました」


 レイヴィスは頷き、リリアーナに視線を向ける。


「リリアーナ、君はその時期足を痛めていたな。何もない場所で躓いたと言っていたが、階段で落ちかけたんじゃないのか?」


 ――また、何も言えない。

 頷くことすらできない。


 身体が凍りついたように動かず、目をぎゅっと瞑ることしかできなかった。


 ――だが、その通りだ。

 階段で足を滑らせて落ちかけたときは、死ぬかと思った。

 足をくじき、そのせいで執務室でレイヴィスの上に倒れ込むことになってしまった。

 彼の釦に髪を絡ませてしまって、糸を切ってもらって、取れた釦をリリアーナが縫い付けた。


「……その植木鉢――二人の話と位置関係から推測するに、エリナ、お前がバルコニーからリリアーナの頭上に落とそうとしたんじゃないか?」

「そ、そんなことぉ、するわけがありません」

「更には、リリアーナの使用人間の評判を貶めようと、悪辣な噂を流した」


 エリナは目を見開き、涙ながらに訴える。


「ど、どうしてわたしばかり疑うんですか……違うって言っているのに……」


 レイヴィスは家政婦長に目を向ける。


「家政婦長、どうだ?」


 家政婦長は困惑した様子で顔を伏せ、申し訳なさそうに答えた。


「……わたくしの監督不足です。エリナは、よく仕事をさぼったり、途中で姿を消したりしていて――もしかして、その間に……」

「だから、違います! ……植木鉢だって、本当に奥様が割ったんです。わたし、奥様がそうする時に見張っていましたから」


 エリナは強く主張する。一切の曇りのない眼で。


「――エリナ。これを持ち上げてみろ」


 レイヴィスは冷静に、杖で机の上の花瓶を指し示した。


(あ――)


 リリアーナは息を呑む。

 それは昼頃に庭での実験とやらで使ったものだった。


 エリナの手の拘束が解かれる。


「こんなものぐらい簡単です」


 エリナは少し誇らしげに、ひょいっと花瓶を持ち上げる。


「床に置いてみろ」

「はい」


 軽快な動作で床の上に置く。重さなど感じていないかのようだ。


「もう一度、持ち上げてみろ」

「はい」


 また軽く持ち上げて、前で抱える。


「それは、壊された百合の植木鉢を再現したものだ。同じ程度の大きさに、重さ――」

「へえー、そうなんですね」

「どうやって、リリアーナはそれを割っていた? 見ていたのだろう? 言ってみろ」

「それはもちろん、こうやって持ち上げて、他の植木鉢の上に落として――」

「少し前にリリアーナに試してもらったんだが、彼女はこれを持ち上げられなかった」

「…………え?」


 エリナの手から花瓶が滑り落ち、床にぶつかる。

 鈍い音が響き、中に入っていた水が溢れ、活けられていた花と共に床に静かに広がっていった。





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