第37話 断罪:横領事件2
サイモンが政務室の金庫を開ける。厳重な金庫の中には、リリアーナも見覚えのある金貨の入った袋と、一通の手紙が入っていた。
エリナが歯噛みする音が響く。
「処分するようにって、伝えたじゃないですか。病気の家族のために使わせていただきます――って言ってたじゃないですか?!」
「――記録は、残しておかなければなりませんので」
エリナが必死に訴えるも、侯爵家の会計係は動じずに答える。
「サイモン、金貨を数えろ」
レイヴィスの命令でサイモンが一枚一枚金貨を確かめていく。さすが慣れた手つきだった。
机の上で金貨が重なる音がしばらく続き、すべての確認が終わる。
その額を聞き、レイヴィスは静かに頷いた。
「俺が渡したものから、少し、足りないな」
「私は一切手を付けておりません」
サイモンが堂々と言う。その眼差しには曇りがない。
もちろんリリアーナも一切手を付けていない。
だがレイヴィスは、むしろ納得したように口元に笑みを浮かべた。
「ああ、わかっている。これで計算が合う」
ぽつりと呟く。
(計算……? 何の計算……?)
おそらく誰もが思っている疑問。
だがレイヴィスは何も言わず、次に金庫内にあった手紙を手に取った。
(その手紙……私のものじゃない……)
封筒が違う。封蝋の痕跡もない。
レイヴィスは封の開いた封筒から手紙を取り出し、中身に目を通す。
そして、執事を呼ぶ。
「どうだ? これは、リリアーナの筆跡か?」
執事は手紙を受け取り、しばらく筆跡を確認した後、はっきりと答えた。
「――いえ、よく似せてありますが違います」
張り詰める空気の中、レイヴィスは冷静さを崩さずに手紙を見つめる。
「そうか。では、本物の手紙はどこに行って、これは誰が書いたものなのだろうな?」
独り言のように――そして室内のそれぞれに問いかけるように呟く。
「あの……」
その声に応えるように前に一歩出たのはアンヌだった。
アンヌは少し躊躇した後、エプロンドレスから一通の封筒を取り出す。
「……もしかするとですが、本物はこちらではありませんか?」
それはしっかりと封蝋が押された封筒だった。封も一度も開けられていない状態だ。
レイヴィスはアンヌか封筒を受け取り、封蝋を確認した。
「エルスディーンの炎の獅子と百合の花……この封蝋印は、リリアーナのものだな」
レイヴィスがアンヌに視線を向ける。
「どこにあった?」
「エリナのベッドの下に――……」
アンヌが答えた瞬間、エリナの顔はみるみる真っ青に変わっていく。
「あんた……」
エリナが喉の奥で呻く。
アンヌはちらりとエリナを見て、そして再びレイヴィスの方を向いて躊躇いがちに続けた。
「……奥様の封蝋がしてあったので、気になって……書き損じなら封蝋まではしないと思って、変だなと……念のため保管をしておいたのです……」
レイヴィスは封筒を手にしたまま、リリアーナに視線を向ける。
「開けても?」
わずかに頷くと、レイヴィスはナイフを取り出して慎重に封を開く。中の手紙の内容を確認すると、満足げに口元を引き締める。
「――なるほど。送金依頼がされているのは俺の渡したのた同じ額だ」
レイヴィスはその手紙を執事に見せる。
執事が一目で頷いた。
「ええ。間違いなく奥様の筆跡です」
――リリアーナは、執事には書いた手紙のチェックをいつも頼んでいた。
筆跡を、覚えてくれていた。
レイヴィスは偽造された手紙を手に取り、本物と並べて眺める。
そして、ふっと嘲るような表情を浮かべた。
「並べて見れば稚拙な偽造だ。本物を参考に書いたならここまでひどくはならない。偽造する前に失くしてしまったから、うろ覚えで書いたか」
レイヴィスの怜悧な視線がエリナに向けられる。
「――エリナ。この手紙を偽造したのはお前だな?」
エリナは苦しそうに視線を逸らした。
「奥様に命令されて……」
「何故? そんな命令をする理由がない。最初からその金額を書けばいい」
レイヴィスの指摘に、エリナはぐっと息を呑んだ。
「いざという時に――そう、いまに! わたしに罪を擦り付けるために――! その女は、どうしようもない悪妻なんだから――」
「ならばお前はそう誰かに訴えるべきだった。家政婦長も執事もいる。彼らには変わったことがあればすべて報告するように命じてある」
「だから、いま……!」
「…………」
金色の瞳が、まるで真実を明かす炎のように光を帯びている。
エリナはその威圧感に身を竦め、口を閉ざした。
レイヴィスは短く息を吐き、ほんのわずかに寂しげな表情を浮かべ、視線をリリアーナに向けた。
「――リリアーナは何も持たず、何も望もうともしない」
――それは。
悪妻だと思われたくなかったから。浪費家になりたくなかったから。
それに、何も望まないのは慣れている。実家では何一つ物を欲しがったことなどない。与えられないのが当然だったから。
「君があんな家族でも援助したいと言うのなら、断るつもりはない。送金自体は些細なことだ。――精査はさせてもらうがな」
「…………」
リリアーナへの優しさを帯びた声に、涙が滲みそうになった。
レイヴィスは再び、エリナを見据える。
「だが、妻を陥れようとするというのなら、俺は何人たりとも許すつもりはない」
低く絞り出された声には、容赦のない決意と怒りが込められていた。
「どうしてリリアーナに横領の罪を着せようとした?」
「それは、違って……」
「違う? 何が違うと言う。弁明があるなら言ってみろ。証拠があるなら出すがいい」
「…………」
沈黙が続く。
「今度は黙秘か。お前には、聞きたいことがまだあるのだがな」
そうして、新たに使用人が二人政務室に入ってくる。
庭師のヴァンと、メイドのマリーだった。
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