第33話 太陽




 光の余韻が消えていく中でも。

 暗闇の中でも。


 壊れた壁から室内に足踏み入れる姿は炎のような金色を帯び、その目は、眩く輝いていた。


 ――太陽だ。

 すべてを燃やし尽くす灼熱の王。


「俺の妻に触れるつもりだったようだな……」


 レイヴィスは燃え上がるような魔力を纏いながら、一切の容赦のない眼差しで、声で、男を糾弾する。


「お――おれは悪くない、この女が金でおれを買ってきたんだ――人を使って、前々から誘ってきて……」

「黙れ」


 ぎりっと奥歯を噛む。

 いまにも暴発しそうな怒りに、男が腰を抜かして床に座り込む。


「早く失せろ。俺はいま――お前を消してしまいたくて仕方ない」

「ヒィッ――」


 悲鳴を上げて床を這いながら逃げていく。その後ろ姿に氷の炎のような視線を向けた。


「今日あったことは誰にも口外するな。もし、俺がどこかで噂を耳にしたら――お前を殺しにいく」


 男は警告に恐れをなしながら、部屋を飛び出していく。

 そして、レイヴィスはリリアーナを見た。


「…………」


 リリアーナは浅く息を繰り返す。


 ――この状況。

 不貞の現場を押さえられたように見えても、おかしくない。


「……ち、が……」


 か細い声が喉から漏れ出るが、喉が塞がれたかのように言葉がうまく紡げない。

 何もなかった。誘ってなんていない。――訴えたいのに声が出ない。


 訴えたところで、信じてもらえるだろうか。

 夫が不在の間に他の男と二人きりになり、覚えていないしか言えないのに。


「――わかっている」


 レイヴィスの声が静かに響く。


「大丈夫だ、わかっている。安心してくれ」


 自分の感情を整理するように、ゆっくりと繰り返す。それでも、彼の纏う炎は治まらない。いつか己の身も焼くのではないかという激しさだった。


「レイヴィス様……」


 ようやく零れた声は、いまにも泣きそうだった。

 すると、堰を切ったかのように涙がぽろぽろ零れていく。

 レイヴィスは短く息を呑み、おぼつかない足取りでリリアーナの方へやってきた。


「すまない。触れる――」

「あ――……」


 レイヴィスの両腕がリリアーナを抱きしめる。


 ――熱い。

 燃えそうなほどに熱い魔力と、時折零れるレイヴィスの苦痛に満ちたような声に、リリアーナは胸を締め付けられた。


(レイヴィス様……)


 火傷しそうなほどの熱を受け止め、身体に浸し、ゆっくりと返す。


 ――彼が太陽ならば、自分は海でありたい。

 彼の熱を受け止められる海でありたい。

 安らげる場所でありたい。


 ――少しずつ、少しずつ、レイヴィスの熱が落ち着いていく。レイヴィスは深く息を吐き、リリアーナから身体を離した。


「……大丈夫だ、リリアーナ。家に帰ろう」


 レイヴィスがリリアーナを抱き上げる。

 彼の腕に包まれた瞬間、身体が安心感に包まれる。

 そして同時に、心臓が大きく脈打った。


「レイヴィス様……」

「……どうした?」

「へん、なの……身体が、熱くて……」


 目覚めてからずっと燻っていた熱が、レイヴィスの熱を受けて強く燃え上がっている。


 身体がレイヴィスを求めている。

 腕が勝手にレイヴィスの首に回り、ぎゅっとその身体を抱きしめる。


「…………ッ」


 レイヴィスが息を呑み、硬直する。


「……、……大丈夫だ……一時的なものだから――」


 苦しそうに言いながら、一度リリアーナを降ろして上着を脱ぎ、リリアーナを包み込む。

 そして再び抱き上げると、躊躇なく壁の穴へと向かう。砕けた壁の向こうに、冷たい夜の空気が流れ込んでくる。


 レイヴィスは一歩足を踏み出すと、宙へと身を躍らせた。リリアーナの身体がふわりと浮かび、心臓が跳ねるような感覚に息を呑む。


 ――空を飛んでいる。

 風が頬を撫でる。


 レイヴィスの腕はどこまでも力強く、決して自分を離さないという確信があった。


 次の瞬間、彼は優雅に舞うように姿勢を調整し、柔らかな音を立てて地面に着地する。着地の衝撃はまったくなかった。


 そこは月明かりが照らす庭園で、周囲には誰もいない。しかし段々と人が集まりつつある気配があった。

 レイヴィスはリリアーナを抱えたまま、安定した足取りで馬車に向かう。


 エルスディーン家の馬車にまで戻ると、レイヴィスはリリアーナを座席に横たえる。そして自らも隣に腰を下ろし、手を軽く握ってくれた。


「――出してくれ。リリアーナ、少しの辛抱だ。すぐに家に着く」


 すぐに馬車が動き出す。

 リリアーナはレイヴィスの手を縋るように握り返した。


 燃え上がった熱はまだ冷めることを知らない。

 むしろどんどん大きくなって、いまにもリリアーナを焼きそうだった。もどかしいのに、どうしたらいいかわからなくて、苦しい。


 この熱に似たものを知っている。

 レイヴィスから魔力を受け取るときに似た熱――……


「レイヴィス、さま……たすけて……」

「……リリアーナ……」


 レイヴィスの指がしっかりと絡んでくる。

 彼が静かに目を閉じると、レイヴィスの魔力が流れ込んでくる。

 先ほどよりは穏やかで、よく知る彼の魔力だった。


 求めてやまないその熱が、身体の中で渦を巻いて自然に絡み合っていく。


 リリアーナはその感覚に身を委ね、瞼を閉じる。


 身体が反応し、ぬくもりを求めてわずかに動く。その間もレイヴィスの熱が絶え間なく内側を満たしていく。その感覚に胸が高鳴ると共に、安心感を覚えていった。


 ――大丈夫。

 ――彼に任せて、すべて受け入れて。


 揺れる馬車の中、リリアーナは熱に浮かされながらレイヴィスにしがみつく。


「リリアーナ……」


 レイヴィスの声が甘く響き、香りが強まる。リリアーナはすべてを委ねるように目を閉じて、頷いた。


「あっ……」


 その瞬間、すべてが満たされていくような感覚に浸され、ぶるりと身が震える。


 ゆっくりとリリアーナの奥の熱が鎮まっていく。だがまだ消えない。熾火のように燃え続けている。


 リリアーナは大きく息をし、ぎゅっと手を繋いで更に身を委ねていった。





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