第32話 迫りくる恐怖




「ごめんなさいっ! 飲み物を取りにいったら迷ってしまってぇ」


 去っていくレイヴィスを見送った後、エリナが申し訳なさそうに謝りながらリリアーナの前にやってくる。

 両手に持っていたグラスをリリアーナの前に置き、再び深く頭を下げる。


「エリナが無事でよかったわ。ありがとう」


 今日のエリナはメイド服ではなくシンプルなドレスだ。貴族のように華美ではないが、場に相応しい華がある。どこかの貴族に声をかけられていてもおかしくない可愛らしさがあった。


「ここでレイヴィス様を待ちましょう。あなたも飲んで」

「はい。奥様、ありがとうございます」


 刹那、会場の光が暗くなる。


 そして、窓の外から一瞬の閃光が差し込む。

 呼ばれたように顔を向けると、夜空に光が花のように広がった。


 大広間から歓声が響く中、大輪の花は儚い命を燃やしながら咲き、散っていく。そしてまたすぐに新たな花が咲く。


(花火……? もしかして、レイヴィス様が……?)


 あの言葉を思い出せば、そうとしか考えられない。

 リリアーナは心を震わせながら光の祝宴を眺めた。次々と炸裂する花は力強く、そして優しい輝きを放っている。


 ――なんて素敵な魔法だろう。

 人々を幸せにする魔法。


 さまざまな色が溶け合い、消える姿が、どこまでも幻想的だった。


 エリナがそっと差し出したグラスを手にし、口に含む。

 先ほどのものと少し味が違う気がするが、それでも甘くてシュワシュワしていて、美味しいと感じた。


「旦那様はぁ、毎年陛下と王妃殿下のために花火を咲かせていらっしゃるんですってね」

「そうだったのね……とても素敵ね」

「やっぱり、ご存知なかったんですかぁ?」


 その言葉の終わりが不意に遠くに感じる。

 急に身体が重く、視界が霞んでくる。


「奥様、具合が悪いんですか?」

「ええ……少し、だけ……」

「休憩室がありますから、そちらへ行きましょう」


 思考がままならない。

 エリナに導かれるままに階段をゆっくりと下り、大広間を出て廊下を進む。


 外では花火が鮮やかに広がっていた。


「――大丈夫ですよ、奥様。フラグは全部わたしが整えてあげますから……」





◆◆◆




 ふと気づくと、静かな部屋の中でベッドに倒れ込んでいた。

 部屋は暗く、時折窓から光が差し込む。――きっと、レイヴィスの花火だ。


 身体がひどく重い。

 視界がぼやけていて、気力も尽きていて。

 なのに、何故か身体が熱い。

 ままならない熱が奥で燻って、身体が自由に動かない。


(ここは……)


 なんとか辺りを見回す。大きなベッドが一つと椅子がいくつかある部屋。静かなのは防音が効いているのか。


 その時、部屋の扉が開く。


(エリナ――?)


 名前を呼ぼうとするも、声が出ない。


(誰……?)


 入ってきたのは見知らぬ男だった。

 一気に身体が恐怖で強張る。


 その姿は王城の夜会にはとても相応しくない。着ているのは正装だが、サイズの合っていない古いものを無理に着ているようで、不気味さを漂わせていた。


 男が部屋の鍵を閉める。

 その無機質な音が、処刑の始まりのように聞こえた。


「侯爵夫人様だよな……?」


 薄暗い中で目だけが爛々と輝いていた。


 その視線には、ぞっとするような冷たい、そして暴力的な執着があった。


 悲鳴を上げようとしても声が出ない。喉の奥で息が詰まるだけで、言葉にならない。


 男が静かに近づいてくる。

 リリアーナは首をかすかに振ると、男は笑みを深めた。


「……奥様が誘ったんだろ……? 魔力なしの男に滅茶苦茶にされたいって――しかも城のパーティで? ほんと、可愛い顔して好きものだな」


 興奮しているのか息が荒い。暗い目には歪んだ欲望が宿っている。

 何もかもが憎くて、復讐して、壊したがっているような――そんな自暴自棄さがあった。


 これから何をされるのか――考えるまでもない。


 最悪の光景と未来がよぎる。


 他の男と身体を重ねてしまうのは言い訳もしようもない不貞行為だ。

 たとえ相手が魔力がなく、子ができなかったとしても、純潔の証を失えば言い訳できない。


 夫に純潔を捧げることができなくなり、それを隠すために「白い結婚」をいつまでも続けていれば、それこそ離婚されかねない。


 支度金を返還することを求められたらどうすればいいのか。どうにもできない。実家に送り返されて、家族に「身体で返せ」といままで何度も言われてきたようなことをまた言われて、後継者のいない貴族たちに売られる――


 しかも、つい先ほど支援するのを断った。

 報復をされて、より酷い目に遭わされるかもしれない。


 その前に逃げる――? どこへ――? 修道院になんて、一人でどうやっていけばいいのか――……


 怖い。

 怖くてたまらない。

 なのに、恐怖で冷える心を裏切って、身体は火照り、頭がぼうっとする。何も考えずに身を任せればいいのだと――何かが囁いてくるようで。


「ハハッ、その顔たまんねぇな――」


 喉の奥で楽しげに笑いながら、リリアーナに手を伸ばしてくる――


(レイヴィス様――)


 ――バチッ!!


「ぎゃっ!」


 空気が弾けるような鈍い音と共に光が弾け、男が悲鳴を上げて後ずさった。


「な、なんだそれ――なにしやがった……」


 次の瞬間、外が昼のように明るくなり――

 轟音と共に、部屋の壁が外から破られた。






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