第31話 ヴァレンティン弟妹




 ――今日の夜会は貴族は全員招待を受けている。

 アレクは新品の礼服でにやにやと笑いながらリリアーナの前に立った。


「今回はよくやったな。あれだけの金を送らせるなんて、よっぽど冷酷侯爵様に気に入られたんだな」


 リリアーナはその言葉に心底びっくりした。


(あんな額でよかったの?! いえ大金だけど!)


 あの額で満足してくれるのなら、これからも何とかなるかもしれない――そんな考えがよぎった瞬間、リリアーナは自己嫌悪した。

 今回はレイヴィスの助けがあったから要求に応えることができた。リリアーナの力ではない。


 侯爵家の財産を、自分のもののように考えるなんて最低だ。


「これからもしっかりやりなさいよ。あんたの存在価値なんてそれだけなんだから」


 セレナは豪華なドレスと高価そうな宝石を纏って、リリアーナを見下ろしていた。


「…………」


 ――やはり、これ以上はいけない。

 ここではっきりと断らないと。


 リリアーナはぎゅっと自分の手を握りしめ、顔を上げた。


「あの――」

「それにしても、相変わらずみっともないわね。よくそれでレイヴィス様の隣を歩けるものだわ。わたくしの方が、レイヴィス様の隣に相応しいんじゃないかしら」


 セレナは自慢の金髪を揺らし、リリアーナの肩に手を置く。


「ねえ、子どもを生む役割はお姉様に任せるから、わたくしをレイヴィス様の愛人にしてよ」

「な……」


 ぐっと肩に体重をかけてくる。

 セレナの目は本気だった。


 ――もともと、セレナはレイヴィスに関心を示していた。家格が高くて、本人も有名で、見目もよくて王の覚えもいい。派手好きなセレナが一番好きなタイプの男性だ。


 最初はセレナがリリアーナの代わりに嫁ごうとしたほどだった。魔力量がエルスディーン家の要求にまったく達しなかったため無理だったが。


 そしてそれ以降はレイヴィスを嫌う態度を取っていたが――諦めていなかったらしい。


「セレナ、お前天才か。お前の美貌なら、侯爵様も気に入るに違いない!」


 アレクまで乗り気だ。

 リリアーナは深く息を吸い込み、顔を上げた。


「――できません」


 はっきりと断ると、二人の顔が強張った。

 まさか反抗されるとは夢にも思っていなかったのか、呆然としている。

 リリアーナは更に続けた。


「そんな恥ずかしいことはできません。お金も、もうこれ以上は送れません。お願いですから、身の丈にあった生活をしてください」


 セレナは突き飛ばすようにリリアーナの肩から手を離し、わなわなと身体を震わせた。


「あ、あんたなんて魔力しか取り柄のない厄介者のくせに……生意気言ってるんじゃないわよ! ちょっと侯爵に気に入られたからって!」

「…………」

「そうだぞリリアーナ。育ててもらった恩を忘れたか」


 ――妹の言葉は、義母とそっくりだ。

 ――弟の言葉は、父とそっくりだ。


 リリアーナは二人の言葉を受け止めながら、胸の奥で湧き上がる感情を押さえつける。

 そして、毅然とした態度で弟妹と向き合う。


「育ててもらった恩は忘れていません。そして、あの家でどのように生きてきたかも、忘れたことはありません」


 冷たい言葉を浴びせられ、厳しい躾けを受けてきて。

 あの家で安らぎを覚えたことなんてない。

 そんな家に、そんな家族に、これ以上従うことはできない。


「あなたたちの浪費のためのお金は送れません。いまの私はエルスディーン家の人間です。家を裏切ることはできません」


 二人の顔が怒りに染まる。


「わがままを言うな! お前のいまの立場があるのは、僕たちのおかげだろうが!」


 リリアーナは静かにその言葉を受け止め、そして静かに返した。


「少なくとも、あなたのおかげではありません」

「こいつ……いい気になるなよ!!」


 アレクの顔が真っ赤になり、腕を振り上げた刹那――

 その手が、何かに弾かれた。


「――――ッ? なんだ? 虫――?」


 アレクは手を押さえ、困惑しながら辺りを見回す。

 そして視線の先にいる人影を見て――息を呑んだ。


「レイヴィス様……」


 リリアーナが名前を呼ぶと一瞬柔らかい表情になるも、すぐにそれは消える。


「話はもういいだろう。早く去れ」


 言いながらアレクとセレナの横をすり抜け、リリアーナの前にグラスを二つ置く。飲み物から浮かんでいく泡が、ほのかに弾けていっていた。


「俺は、妻を傷つける人間を許せる度量はない」


 アレクの表情が恐怖で引きつり、自分の手を見つめる。先ほど何かに弾かれていた手を。

 ぶるっとアレクの身体が震えた。


「おい、セレナ――行こう――」

「侯爵様!」


 セレナはレイヴィスの前に行き、媚びるような笑みを浮かべた。


「兄が大変失礼しましたわ。ねえ、侯爵様。今度ふたりでお話をしませんか? ゆっくりと――」

「君とふたりで話すことなどひとつもない」


 セレナの顔が凍りつく。


「あまり家の評判を落とすような真似はしないことだ」


 レイヴィスの声は低く静かで、鋭利な刃のようだった。

 その目には冷たい怒りを湛えている。


「す、すみません……失礼します、侯爵様……」


 アレクはセレナの腕を引き、後ずさるように立ち去っていった。


 ほっと胸を撫でおろしたリリアーナの隣に、レイヴィスが座る。


「一人にしてすまなかったな。まったく……」

「……いいえ。ありがとうございます、レイヴィス様……とても嬉しかったです」


 彼が何をしたかはわからないが、暴力が振るわれるのを騒ぎにならない程度で止めてくれたのはわかる。

 リリアーナは握り込んでいた手を緩める。震えはもう止まっていた。


 肩から力が抜け、グラスを見つめる。


「こちらもありがとうございます。いただきますね」

「ああ……」


 グラスを手に取り、ゆっくりと口づける。

 冷たいそれはほのかに甘い香りがして、口の中で軽やかに弾けた。

 リリアーナは目を輝かせる。


「これ、とっても美味しいですね」


 爽やかなブドウの香りと甘み、そしてわずかな苦味が美味しかった。

 しゅわしゅわとする感覚を楽しみながら、静かに夢中になる。


「――リリアーナ、結婚しないか?」


 んぐっ、と喉が詰まる。


「す、すまない。大丈夫か?」

「は、ひゃい……」


 何度か咳をして喉を治めようとする。じわりと目許に涙が浮かんだ。そして頭の中は大混乱だった。


(わ、私――レイヴィス様と結婚しているはずよね? そう思っていたけれど、実はしていなかった? それともまだ本当の夫婦ではないから、いよいよ……ということ? ――困る。困るわ。まだ、心の準備が――)


 胸元を押さえて息を整えようとするのに、心臓の鼓動が激しくなっていく。

 そもそもどうしてこのタイミングでプロポーズのような言葉を?


「あ、いや、急かしているわけじゃなくてだな。なんというか、つい……」


 レイヴィスの耳が赤い。

 照れている。


 その横顔を見ていると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。


 ――レイヴィス・エルスディーン。

 夫であり、先生であり、優しくて、どこか可愛らしいところがある、男のひと――……


「――結婚、しています」

「……そうだったな」


 契約結婚だけれど、跡継ぎを得るための結婚だけれど。最初はすごく怖かったけれど。


 ――いまは、彼のことが好きだ。

 彼と結婚できてよかったと思う。

 レイヴィスにもそう思ってもらいたい。


 そして、プロポーズの意味もなんとなくわかってくる。

 きっと励ましてくれているのだ。


「もっと自信をもってレイヴィス様の妻として振舞えるように、頑張ります」

「……少しずつでいい」


 レイヴィスは静かに言いながら自分のグラスを手に取り、飲んだ。


「立場が人を作ることもある。俺の妻は君だけだ。君も、俺だけを想ってくれ」

「はい――」


 レイヴィスはグラスの中身を飲み切り、椅子から立ち上がった。


「――さて。そろそろ帰ろうか。挨拶も終わったし、義務は果たした」


 ――その時、階段を上がって誰かがやってくる。

 正装姿の真面目そうな男性と、その後ろをついてくるようにエリナが。


「エルスディーン侯爵。陛下がお呼びです」


 レイヴィスはあからさまに嫌そうな顔をした。


「俺は断ったんだが?」

「代役のものが体調を崩しまして……恒例ですし、どうしてもということです」

「……まったく……」


 ため息をついて、頭を抱える。そしてリリアーナを見る。

 リリアーナは笑顔でレイヴィスを見上げた。


「私は大丈夫ですから、行ってください」

「……すまない。少し外す」


 本当にすまなさそうに言いながら、ちらりを窓の方を見る。方向を確認するように。

 そしてリリアーナの耳元に顔を寄せた。


「ここで見ていてくれ」


 低い声が、静かに囁いてくる。


「――王妃殿下に捧げるものだが、君のためにも咲かせるから」





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