第27話 望む未来





 それからほぼ毎晩レイヴィスの寝室で過ごし、そしてリリアーナにはある悩みが生まれていた。


 魔力教導を受ければ受けるほど、レイヴィスのことが気になってしまう。

 魔力を受け入れれば受け入れるほど、もっと欲しくなってしまう。

繋いだ手から流れ込んでくる魔力だけでなく、響いてくる熱や声、彼の香りが忘れられない。


 好きだと思ってしまう。

 最中に「好き」とか言ってしまいかねないほどに。


(わ……私、どこかおかしいのかも……)


 そしてリリアーナは強く思った。

 魔力について、魔術について知りたいと。


 これがおかしいことなのか、正常な範囲内なのか知りたい。


 だが、こんなことレイヴィスに質問できない


 もし聞いて、そして「勘違い」と言われてしまったら――


(わあーーーーっ! 恥ずかしすぎる!!)


 恥ずかしさで死ねる。


(レイヴィス様は私を心配してくれて、時間を割いて教えてくださっているのに……!)


 こんなはしたない気持ちを持っているなんて。


 レイヴィスに、そんなつもりはなかったとか、契約結婚にそんな感情は必要ないとか、そんな不真面目だったのかと言われたら――


 死んでしまう。

 それで呆れられて見限られて、捨てられたら、本当に死んでしまう。


 そしてリリアーナは図書室に入った。

 書架の間を進み、奥の一角に向かう。


(確かこの辺りに、魔法関連の本が……)


 それらしい書架の前に立ち、リリアーナは軽く絶望した。多すぎる。さすが名門エルスディーン家。魔術や魔法に関する蔵書も半端ない。

 似たようなタイトルに、まったく同じとしか思えないタイトル、しかも難解なものがずらりと並んでいる。


(これは、『現代魔術理論の基礎知識』? ……基礎なら簡単なはず……)


 わずかな希望を持ちながら、慎重に本を取り出して、表紙を軽く撫でる。

 ゆっくりとページを開いて、中身に目を通していく。


(む、難しい……これで基礎なの……?)


 ちんぷんかんぷんだ。

 文字は読めるのに、言葉の並びや単語に馴染みがないものが多く、頭に入ってこない。

 せめて少しでも読める場所はないかとページをめくっていると、ある項目で手が止まった。


(――『男女の魔力の性質の違い』……?)


『魔力の性質』


 男性の魔力は「攻撃的」で「外向的」であり、太陽や火山に例えられるような激しい性質と特性を持つ。

 主にエネルギーを外に向けて発散する力に優れ、防御や破壊などの、戦闘に関連する魔法に長けている。


(そうね……レイヴィス様の魔力は確かに、熱くて、力強くて……とっても素敵で……すべてを委ねたくなってしまうわ)


 女性の魔力は「受容的」あるいは「内向的」であり、エネルギーを循環させ、調和を図る力に優れている。回復や精神的なサポートに長けていて、大地や水のような安定的な性質を持つ。


(レイヴィス様は私の魔力のことを、深いとおっしゃられてたわね……)


『魔力の継承』


 魔力は個々の生命力やエネルギーの根源に深く関わっているため、両親の魔力バランスが極端に異なると、受精時に魔力の不安定さが生じやすい。魔力の高い側が相手を圧迫するため、受精自体が成功しにくい。奇跡的に成功したとしても、妊娠の継続が困難であることが多い。


(そういうものだとは聞いていたけれど、こうして説明されると納得できるわね……)


 リリアーナの両親は魔力があまり高くなかった。

 父は代々平凡な魔力の一族で、母の実家は王族に嫁ぐ女性を何人も出した高魔力の名家だったが、母は平凡な魔力しかなかったらしい。


 しかしリリアーナは母の実家方くらいの高い魔力を――いや、それ以上の魔力を持って誕生し、そのせいで母に負担がかかり次の妊娠を望めなくなったという。


「……私は、レイヴィス様を受け止められるのかしら……」


 ぽつりと不安を零した刹那――


「何を読んでいるだ?」

「うひゃぁあっ?!」


 いつの間にかリリアーナの近くにいたレイヴィスが、本を覗き込んでくる。リリアーナは慌てて本を閉じて胸に抱く。


 ――気づかなかった。まったく。集中し過ぎていた。


(い、いまの、聞かれていないかしら……?)


 いちおう夫婦なのだから聞かれても大丈夫そうだが、気恥ずかしい。


「魔術理論に興味があるのか?」

「は、はい……」


 どこを読んでいたか知られただろうか。なんだかものすごく恥ずかしい。


「そうだな。その辺りは初心者向けだから読みやすいと思う」


 レイヴィスはあっさりと言う。


(難しいんですけれど?)


 興味がある部分だから読めただけで、他はわけがわからない。


「もっと基本的なことから知りたいのですが……」

「全体にざっと目を通してみて、興味があるところから読んでみるといい。そうしていると段々と本が身体に馴染んでくる。一冊の本を繰り返して眺めるのが理解への早道だ」


 優しく諭される。魔術の熟練者である彼がそう言うのなら、その方法が正解なのだろう。


「はい……これ、部屋で読んでもいいでしょうか?」

「ああ、もちろん」


 レイヴィスは嬉しそうだった。自分の得意分野に興味を持つ人間が増えるのが嬉しいのだろう。


「――ああ、それと……俺たちは魔力レベル的には問題ない。相性もいいと思う」


 ――聞かれていた。


「それにちゃんと君の準備ができるまで待つ」


 レイヴィスはそう言ってから、近くの棚から本を取り出し、手に取る。とても、涼しい顔で。


 リリアーナはその横顔を眺めながら、本をぎゅっと抱きしめる。


 ――「待つ」ということは、いずれは「行う」ということだ。

 当たり前だ。そのための結婚なのだから。リリアーナもわかっている。だが。


 その「いずれ」が急に現実感を帯びてくる。


 あの部屋で、あのベッドの上で。

 あの香りの中――あの手に、あの熱に、触れられて――


 きっと魔力教導と同じように優しく導いてくれるだろうけれど。


 そして、いずれこの身体に、このお腹に、レイヴィスの子を宿す――……


 身体が燃え上がるように熱くなる。


(――ダメー! 「白い結婚」を続けないといけないのに――!)


 本を抱きしめる指が熱い。きっと顔も真っ赤だ。顔を上げられない。


(そして、修道院に入って……刺繍を趣味にして、平和に過ごして……)


 ――どうしてだろう。

 望んでいたはずの未来が霞んで見える。


「…………」

「どうした?」

「い……いえ……」


 レイヴィスとの未来には高揚するのに、いままで思い描いていた修道院の未来がうまく想像できない。


 ――そして、怖くなる。


 いまのリリアーナは、『物語』の正しくない結末を望んでしまっている。


 そんなことが許されていいはずがない。そんな夢が叶うはずがない。

 悪妻がそんなことを考えていいはずが――


 ――自分を卑下するのは禁止だ。


 その約束が、ぎゅっと胸を締め付けた。


「――リリアーナ、この図書室をどう思う?」


 黙って俯いてしまったリリアーナの上に、優しく声が降ってくる。

 顔を上げ、図書室の姿を見つめる。広い部屋に、天井まで届くたくさんの書架。そして膨大な蔵書。


「え、ええ。すごい場所だと思います……こんなに貴重な本があって、それが開放されているなんて、素晴らしいことだと思います……」

「そうだな。魔術関連の本がここまで揃っているところはあまりないだろう」


 レイヴィスは誇らしげだった。


「どうやって集めたんですか?」


 素朴な疑問から聞く。買い集めるのも大変そうだ。それにこの場所にある本は、どれも比較的新しそうに見える――


「もちろん、書き写してだ」

「えっ……?」

「なんだかんだ、書くのが一番頭に入る」

「もしかして、レイヴィス様ご自身で……?」

「俺だけじゃない。この辺りは父の残したものだし、そっちは先祖からのものだ。最初は父の本から写したな。六歳ぐらいから始めて――」


 エルスディーン家の長い歴史と、レイヴィスの思い出が詰まっている図書室――そこで幼いレイヴィスが本を書き写している姿を想像すると、あたたかいものが込み上げてくる。


「いま、小さい頃のレイヴィス様に、お会いしてみたかったな……なんて、思ってしまいました」


 その言葉に、レイヴィスが微笑んだ。


「そうだな。俺も、もっと早く君に会いたかった。。もっと早く婚約して、こちらに来てもらって、信頼を築いていきたかった」


 真摯で柔らかな声が、胸に響く。

 そしてレイヴィスは、まっすぐな眼差しで続けた。


「過去は変えられないが、これからの未来はずっと一緒だ」


 ――それは、本来の物語ではない。

 レイヴィスは別の女性を愛して結ばれるのが『正しい物語』――


 なのに。


「約束する。俺はずっと君を守って、君と作る家族を守る」


 その笑顔は、その言葉は、光だった。

 未来を照らす眩い光。


 リリアーナはいま、はっきりと自分の気持ちを認めた。


(……私は、レイヴィス様のことが好き……)


 勘違いなどではない。一時の気の迷いでもない。


 レイヴィスを愛している。

 彼という存在を。そのすべてを。


 レイヴィスの語る未来で、共に生きていきたい。


 ――この道の先に破滅があるなんて思いたくない。


「はい……私も頑張りますね」


 自然とそんな言葉が出る。

 その瞬間、隣にいるレイヴィスの身体がガチッと固まった気がした。


「ええと……それはつまり……その、い、いい、のか……?」


 視線を激しく彷徨わせながらのしどろもどろな問いに、一瞬何のことかわからず――そして次の瞬間理解した。


「――まだですっ!」


 反射的に言葉が飛び出す。


「いや、すまない。待つ。ちゃんと待つ」


 レイヴィスは自分に言い聞かせるようにしながら、手にしていた本のページをめくる。


「……レイヴィス様、本が逆さまです」


 ――ずっと彼が読んでいた本が、逆さまだった。ずっと。

 レイヴィスは目を見開いてページを眺め、顔を真っ赤にして上下を直した。


「あ、ああ……道理で見慣れない言語だと」


 いつからその本を読んでいただろうか。ああそうだ。リリアーナがレイヴィスをちゃんと受け止められるかと呟いた直後から――……


(そんなに、心待ちにされているのかしら……)


 胸が鼓動を強める。

 跡継ぎを作りたいのは当たり前のことだ。この家の歴史を繋ぐのが自分たちの義務であり責任なのだから。


(私も、このままレイヴィス様と未来に向かいたい……)


 ――だから、もう少しだけ。

 もう少しだけ待ってほしいと思った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る