第28話 傍にあるぬくもり
リリアーナは困っていた。
自室で、部屋で図書室から借りてきた本を読んでいるのだが、頭に入ってこない。難しい内容だからすぐに理解できるようなものではないのはわかっているのだが。
――レイヴィスのことしか考えられない。
少しぼんやりすると彼のことを思い出して仕方がない。
これには困る。
本当に困る。
(いっそ、できるだけ顔を合わせずにいたら……)
だが、それはしたくない。もうレイヴィスから逃げたくない。
(ここは逆転の発想よ!)
夕食時にレイヴィスから話があると言われ、食後に居間に行く。使用人も下がらせて部屋に二人きりになる。
「読書の調子はどうだ?」
レイヴィスが軽く話をしながら椅子に向かう。
「が……頑張っています」
「無理はしなくていい。嫌いになったら本末転倒だからな。わかりにくいところがあったら教えるから、いつでも聞いてくれ」
「はい」
リリアーナは答えながら、レイヴィスが大きめの椅子に座るところを見ていた。
二人分座れる広さはある気がする。少し窮屈かもしれないが。
「――レイヴィス様、隣に座ってもいいですか?」
勇気を出して言うと、レイヴィスはリリアーナを見上げて固まっていた。
「ええと、毎晩教えてもらっているので、なんとなくレイヴィス様の魔力が、触れていなくてもわかるようになってきて……」
リリアーナは何とか理由を説明しようとする。
「そ……そうか。いい進歩だ」
「ありがとうございます。それで、レイヴィス様の魔力は、力強いのに落ち着いているというか、安定していて……傍にいると、包み込まれるようで落ち着くんですけれど……」
恥ずかしくなってきて、話が途切れる。それでもリリアーナは勇気を振り絞って続きを口にした。
「なんだか、胸がドキドキもして……」
「…………」
「少し慣れて、落ち着けるようになりたいんです……ですから、隣に座ってもいいでしょうか……?」
「……なるほど」
しばしの沈黙の後、レイヴィスは考え込むように頷き、口を開く。
「うん……色々試すのはいいことだ。ほら」
レイヴィスの隣が開けられて、リリアーナはそこに座った。
(――こ、これは……!)
隣に座ったのは初めてではない。夜はもっと親密なことをしている。
しかし、こうして改めて膝や肩が触れるほどの近さに身を置くと、彼の温もりがひしひしと伝わってくる。
――心臓が。レイヴィスに聞こえてしまいそうなほどの音を立てている。
「慣れそうか?」
「わ、わかりません」
正直に言うと、レイヴィスは破顔した。
「俺もだ。こんな風は幸福は、ずっと大切にしていきたいな」
「私も……です。あの、レイヴィス様、初歩的な質問をしてもいいですか?」
「もちろん」
「……魔法と魔術の違いってなんですか?」
古代魔法とか現代魔術とか。何となくわかるような気がするが、違いがよくわからない。
レイヴィスはぱっと目を輝かる。
「魔術とは、正しい理論と美しい構成で組み上げられた神秘だ。魔法はもっと大雑把で強大な奇跡と言える」
金色の瞳を更にきらきらとさせ、嬉しそうに話を続ける。
「魔術が数多の名工によって研ぎ上げられたナイフなら、魔法は隕石――空からの破壊者か。とても人の手には負えないようなものを大雑把に操る力だ」
ナイフと隕石。
使い勝手がいいのは間違いなくナイフだ。
「そして、その魔法を解析したのが魔術だ。古代魔法があって、現代魔術が生まれた。理論を解し数式を組み上げれば、できないことはないようにさえ思えるが――魔法の奥深さはいつまで経っても底が見えない」
レイヴィスは楽しむように頷いた。
「俺は魔術を愛しているが、何もかも吹き飛ばしたくなったときは魔法だな。魔法に魔術を組み合わせるのが一番スリリングで面白いが」
――この人、危険だ。
知っていたけれど。
しかし生き生きと語る姿は、何だか可愛らしいと思ってしまった。
「ありがとうございます、何となくわかりました。……それで、お話とは何ですか?」
放っておくといつまでも魔術と魔法の話が続きそうで、それはそれで面白そうなのだが、呼び出された話も気になって切り出してみる。
「ああ……」
レイヴィスは少し真剣な表情になり、リリアーナを見つめた。
「――今度、王城で夜会がある」
――夜会。
社交界で最も華やかで大規模なもの――しかも場所が王城ともなれば、帰属にとって一番大切な催しとなる。
「できるだけ君を他の男に見せたくないんだが……王妃殿下の誕生パーティともなるとな」
「それは夫婦で参加しないといけませんね」
リリアーナも自然と気を引き締める。
久しぶりの外出だった。王妃のお茶会以降、侯爵夫人らしい社交は何もできていない。侯爵夫人としての夜会自体もこれが初めてだ。
「大丈夫です、レイヴィス様。礼儀作法とダンスは一応習っていますので……あとは失礼をしないようにおとなしくしておきます」
「あ、いや、俺が心配しているのはそこじゃない」
レイヴィスは言いにくそうに目を逸らす。
そしてリリアーナは自分の魔力の特性を思い出す。
それが悪さをしないかを、レイヴィスは心配しているのだ。
「……私、まだちゃんと魔力をコントロールできていませんか?」
「いや、もうかなり安定している。前と比べれば見違えるほどだ」
レイヴィスの言葉に安心し、肩の力が少し抜けた。
けれど、彼はふと微笑を浮かべて、いたずらっぽく付け加える。
「だが、用心のため俺の魔力が君から感じられるようにしよう。これなら他の男が寄ってくることはない」
「そんなことができるんですか?」
「造作もない。君の協力は必要になるが、構わないか?」
断る理由はない。
だが、そうなると、誰が見ても自分がレイヴィスのものだと言っているかのようではないだろうか。
(そ、そのとおりなんだけれど――)
そのとおりなのだから、わざわざそんなことをしなくても。
「あ、あの。レイヴィス様を疑うわけではないのですが……私の魔力って本当にそんなに危険なのでしょうか?」
「ああ、危ない」
断言される。
「ただでさえ君は花のように可憐で、月の妖精のように魅力的で――そこに魔力まで加わって、俺は毎日気が気じゃない」
リリアーナはびっくりした。
いまのはもしかして、容姿のことを褒められた?
いやまさか、聞き間違いだ。勘違いだ。リリアーナは実家では陰気で見苦しいと言われていた。小説では一応美人だが常に不機嫌と。
「私に影響されている人なんて、見たこと――」
思い返しながら、ふとレイヴィスを見上げる。
レイヴィスは何も言わずリリアーナを見つめていた。
その目が、何かを雄弁に語っているようで。
「……まさか?」
その疑問を口にするのが恐ろしくなり、リリアーナは言葉を飲み込んで視線を逸らした。
レイヴィスがふっと小さく笑ったような気配がした。
「ッ……大変、申し訳ないことを……」
なんてことを。
なんてことを。
なんてことを。
「君のせいじゃない」
「でも――」
「おそらくだが、君に流れる血の性質――いや、何でもない。憶測で言うことじゃない。忘れてくれ」
その時、リリアーナは母の家系のことを思い出した。魔力が高く、王族に嫁いだ女性が何人もいる名家。リリアーナは関わったことがないが――……
彼女たちが王族に娶られた理由が、この魔力の性質にあるのだろうか――……
考えかけて、怖くなって、リリアーナは首を横に振った。
「――誰のせいでもない。それに、安心してくれていい。俺には君の魔力はほとんど効いていない。だが、他の男がどうかは別の話だ」
その言葉に安心する。レイヴィスには本当にほとんど影響ないのだろう。
だが、同時に不安もよぎる。
他の男性に影響を出してしまったら、レイヴィスにも相手にも申し訳ない。
「――君と、こんな形で結婚した俺が言うのも厚顔だと思うが……」
レイヴィスの金色の目が、リリアーナの心に寄り添おうとするように深く見つめてくる。
「君を守りたい。君の安心できる場所になりたい」
「レイヴィス様……」
「君という存在そのものが、俺をこんな気持ちにさせるんだ。だから、何も心配せずに俺に頼ってくれればそれでいい」
「はい……」
レイヴィスの優しさが嬉しくて、涙がにじむ。
「――とりあえず、他の男とダンスはしないでほしい」
「はい……」
「笑いかけるのも控えてほしい」
「……え?」
「付いていくのはもっての外で――できれば目も合わせないように」
「さすがに不自然ではないですか? 失礼、ですし……」
笑いもせずに目も合わせない。とんでもなく失礼だ。
「くっ……そうか。やはり君は参加せずにいてもらった方が――」
「参加したいです。王妃殿下や、色んな御方とお会いしたいです」
「……わかった。だが、条件は守ってほしい」
「はい」
「あと、俺の魔力を受け入れるのも了承してもらいたい」
どういうことをされるのか、もう想像は付く。
これからのことに身体が期待して熱を帯びた。
「……はい」
レイヴィスが立ち上がり、リリアーナに手を差し伸べた。
「――寝室に行こうか。長い時間をかけて染み込ませた方が効果的だからな」
「――あ、あの、その前にお聞きしたいことが」
顔を見上げると、視線で続きを促される。
「レイヴィス様は、一人寝の方が好きですか?」
「……うん?」
「いつも背を向けて寝ていらっしゃるので……私が邪魔じゃないかと」
レイヴィスはいつもリリアーナに背を向けて寝ている。
そちら向きの寝方が好きなのだろうかと思って、逆側で寝てみたりすることもあるが、やっぱり気づいたら背中を向けられている。
もし眠るのにリリアーナが邪魔なのなら、終わったらすぐに部屋に戻るつもりなのだが。
「――邪魔なわけがない。君が、隣で寝てくれるのは嬉しい」
レイヴィスは、はっきりとそう言った。
そして視線を明後日に向けて、ごにょごにょと呟く。
「だが、その……制約的なものが……君を傷つけないためのせめてもの……なんだが、正直……」
言葉は途中で完全に途絶え、静寂が訪れる。
「……寂しい、です」
「――――ッ!!」
レイヴィスは驚きに目を見開いて息を詰める。
そして再び長い静寂が訪れる。
繋いだ手から伝わる熱だけが、緊張感の中のわずかなよすがになっていた。
「……わかった。君が嫌じゃなければ、これからは普通に寝ることにする」
ものすごく重い決意を吐き出すような、真剣な顔。
「はい、ありがとうございます」
リリアーナは喜びを感じながら頷き、手に手を重ねた。
そしてそのまま、レイヴィスに寄り添うようにして寝室に向かった。
その日は「もうむり限界」と言ってしまうところまで魔力を注がれ、ぐったりして眠りについた。
夜中にふと目が覚めると、レイヴィスの寝顔が見えて幸せな気持ちになる。いつもより少し幼く見えて、思わず笑みが零れる。
そして彼と手を重ねて寝ていることに気づき、愛しさが溢れそうになった。
そして、ふと気づく。レイヴィスの手に魔術の紋様のようなものがうっすらと見えることに。
(……レイヴィス様の魔力をいっぱい受けた影響かしら……?)
まるで手に何かの制約をかけているかのように、何重にも魔力の鎖がかかっている。濃さの違いは新しさの違いか、強さの違いか。
魔術が得意だから、自分にも色々と術をかけているのだろう。
そして自分にだけではなく、この家にもいろんな魔術が施されているのだろう。
レイヴィスの体温を感じながら、再び目を閉じた。
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