第14話 家族
――リリアーナの父と母が離婚した後、父はすぐに新しい妻を迎えた。
彼女は二人の子どもを連れて、堂々とヴァレンティン家にやってきた。父の婚外子を。
貴族は婚外子も引き取るのが普通だ。生まれた子どもの魔力を鑑定すれば、親子関係はすぐに証明されることもあり、貴族は多くの愛人を持つのが慣習だった。
リリアーナの母の実家の方が家格が上だったため、それまで父は愛人の子どもを引き取らなかったが、離婚してすぐに唯一父の子を産んでいた愛人を妻にし、彼女の連れ子であるアレクとセレナを正式に子として認知した。
そうして、リリアーナの生活は一変した。
何一つ不自由のない貴族令嬢として育てられていたのに、後妻がやってきたと同時に使用人同然――いや、それ以下の扱いに堕とされた。後妻がやってきた途端、リリアーナはまるで邪魔者扱いされるようになり、愛人の子であるアレクとセレナは堂々とヴァレンティン家の子どもとして君臨した。
リリアーナはただ、魔力が高いという理由で家に留め置かれていただけだった。もしそれがなければ、とっくに追い出されていたに違いない。家族から浴びせられる冷たい言葉と暴力に、リリアーナは身を縮め、耐えるしかなかった。
「父上から、ちゃんと連絡は行ってるんだろ? 早く自分の仕事をしろよ。育ててもらった恩はないのか?」
アレクがせっつくような目でリリアーナを見る。その表情は苛立ちが隠しきれていない。
「…………」
――場所が王城内だけにはっきりとは言わないが、リリアーナから実家への送金が遅いと言っているのだ。
「何とか言いなさいよ、役立たず」
セレナの嘲笑が続く。
「どうしてこんなものがわたくしの姉なのかしら? ヴァレンティン家の恥ね。エルスディーン家ではちゃんと役に立っているのかしら? その貧相な容姿じゃ、侯爵様を満足させられてなないでしょうけれど」
セレナは肩を竦め、軽蔑するようにリリアーナを見つめた。
「そのドレスだって全然似合ってないじゃない。わたくしが嫁いだ方がよかったんじゃない? まあ、お父様はわたくしをあの冷酷侯爵に嫁がせようとなんて絶対にしないでしょうけれど」
セレナは自分の美貌と父親から愛されていることに自信を持っていた。
その彼女の言葉はいつもリリアーナの胸を抉る。
「よかったわねぇ、魔力が高くて。早く妊娠して、その子を使って冷酷侯爵におねだりしてよ。わたくしたちのためにね」
その一言に、リリアーナはぞっとした。子供を人質に使ってまで金を引き出すことを当然のように考えている。自分たちの贅沢のために
――怒らなければならない。
なのに、言い返す力が出てこない。
幼い頃から『家族』に逆らわないように念入りに躾けされてきた。
頭では言いなりになってはいけないとわかっていても、どうしても、身体が動かない。
刻まれた恐怖と無力感がリリアーナを押さえつけてくる。こんなことでは、王妃や夫人たちのような淑女に近づけない――……
でも、仕方ないのではないだろうか。
――どうやっても、家族からは逃げられない。血の繋がりは消えない。決められた運命は変わらないのだから――……
「――お前たち、その口を慎め」
突然の声に、セレナとアレクが一斉に振り返った。
そこにいたのは、レイヴィスだった。
ただ、いつもとは雰囲気が違う。別人のように冷たい雰囲気を帯びている。
金色の瞳が、静かな怒りを湛えている。
「我が妻に対して無礼を働くのは、エルスディーン家への侮辱と同義だ」
レイヴィスの発する凍るような威圧感に、二人は言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
「……ご、誤解です……エルスディーン侯爵様、そんなつもりでは……」
アレクが絞り出すように弁明する。
セレナもそれに頷きながら、徐々に後ろに下がっていく。
「そ、そうですわ、お義兄様……わたくしたちはただ……お姉様との再会を喜んでいただけで」
「…………」
レイヴィスは一歩、二人に向かって近づく。
その一歩だけで、二人は更に怯え、姿を消すように去っていった。
たったそれだけで。あまりにも、あっけない。
リリアーナはその場に立ち尽くしたまま、レイヴィスの横顔を見つめた。
彼はすぐに振り返り、表情を少し緩めた。
「すまないな」
「えっ……?」
「ピラーの結界は悪しきものを近づけないはずなんだが、まだまだ調整不足のようだ」
軽くため息をつき、城の上に浮かぶピラーを指差す。
リリアーナは思わず笑ってしまった。彼が、こんな冗談を言うなんて。
少しだけ、心が楽になる。
「ありがとうございます……あの、どこから聞いていらっしゃったのですか?」
悪辣な言葉を聞かれていないだろうか。
特に、子どもに関する話は聞かれたくなかった。あまりにも醜悪で。
「……いや、まったく内容は聞こえていない。ただ、あの二人の君に対する態度で、どんな状況かはわかった」
――その言葉が真実かどうか、リリアーナにはわからない。
ただ、レイヴィスは、聞かなかったことにしてくれた。
その気持ちだけで、リリアーナの凍り付いていた胸があたたかく溶かされた気がした。
「それに、礼を言われることじゃないな。俺は不法侵入者に警告しようとしただけだからな」
「――不法侵入者……?」
「あの二人だ。あの二人は、この区画の通行許可を貰ってない」
「え、ええ……?」
リリアーナは信じられない気持ちになった。
どうしてそんな常識のないことを――下手をしたら犯罪――というか既に犯罪ではないか。
「だから、ああもあっさりと逃げた」
「で、でも、な、何をしにここに……」
「結婚相手探しだ」
「――――ッ?!」
「いい縁談が来ないから、高位貴族が集まるこの場所に侵入して偶然のロマンスでも狙っているんだろう。この一段下の区画で活動していたが、あまりいい成果が出なくてここまで来たんだろう」
リリアーナは顔から火が出そうになった。
(恥ずかしすぎる……)
弟妹の行動も、それをレイヴィスに知られていることも、それを知らなかった自分も。
「まあ、成果は出ないだろうが。高位貴族の求める魔力量に達していない。せいぜい弄ばれて捨てられるだけだ。評判も悪いから、よっぽどの阿呆でなければ引っかからない――」
レイヴィスは途中で言葉を止めた。
「すまない、言いすぎた」
「いえ……その、お恥ずかしいです……レイヴィス様にもご迷惑を……」
「そんなことはどうでもいい」
本当にどうでもよさそうに言う。
義理の弟妹のことも、自分への迷惑も、一切興味なさそうに。
「君が委縮する必要なんか、まったくない相手だ」
――リリアーナはようやく気付いた。
レイヴィスは怒っている。リリアーナのために怒ってくれている。
「君としては、血が繋がっていて、長い時間を共に過ごしてきた相手かもしれないが……そんなことで君をないがしろにしていい理由にはならない」
「…………」
「気にするな、と言っても難しいかもしれないが……」
リリアーナは何も言えなかった。
頭ではわかっていても、こびりついた恐怖感は消えない。どうしても、身体が勝手に反応してしまう。無力感に苛まれる。
――仕方ない、と。
――逆らうな、と。
家族に逆らったら、生きていけないのだから。
「……そうですね。家族、ですから……」
わかっていてもどうしようもない。
情けなさで涙が滲みかけるが、ぐっと堪えた。
これ以上この場所にいると本当に泣きそうで、レイヴィスから離れようとしたその時――
「リリアーナ、忘れていないか? 俺も、君の家族だ」
その言葉はまるで明るい光のように、リリアーナの中で輝いた。
顔を上げると、レイヴィスの神秘的な金色の瞳があった。
少し冷たい風が、彼の金色の髪を微かに揺らしていた。
「俺たちは夫婦で、きっとこれから家族も増えていく。あ、いや――急かしているわけじゃなくてだな……」
レイヴィスが不意に言葉を止め、少し照れたように視線をそらす。
「……つまり、これからは俺と作る未来の方に目を向けてくれないか?」
「…………」
暗い世界に灯火が生まれる。
長い時間をかけてまとわりついていた悪意も、寂しさも、冷笑も。
その瞬間、すべてが払われたかのようだった。
あんなに重たかった気分が嘘のように、雨上がりの晴れの日のような気持ちになった。
見上げた空は澄み渡っていて、光が煌めいて見える。レイヴィスの髪や瞳も、いつもよりずっと輝いて見えた。
「ありがとうございます、レイヴィス様……」
こんな言葉では足りない。
それぐらい、世界の見え方が変わったのに。
こんな言葉しか言えない。出てこない。
それでも、レイヴィスはほっとしたように、小さく笑った。
――この人はどれだけ優しいのだろう。
不思議で仕方ない。
どうして、こんなに、心を救おうとしてくれるのか――……
この人のために自分は何ができるのか――……
「――そのドレス、よく似合っているな。今日の君は妖精みたいだ」
「あ、ありがとうございます」
突然の褒め言葉に、リリアーナの顔が熱くなる。
紳士的な世辞だとわかっていても、嬉しいと思うのはどうしようもない。
ただ、刺繍のことは言わないでおこうと思った。
自分が刺繍をしたと言ったら、変に思われるかもしれない。
レイヴィスはそのままリリアーナを見つめ続ける。
その近さに、どきりとする。
(……ち、近い。近すぎる……)
心臓に悪い。
だがリリアーナの動揺をよそに、レイヴィスは研究者のような顔でリリアーナのドレスを――特に刺繍を見ていた。やけに真剣で、少し怖いくらいの雰囲気だった。
「君の魔力を帯びているな……この刺繍から、か?」
「何か変でしょうか……?」
「いや、俺はこういうものの良し悪しはよくわからないが、素晴らしい出来だというのはわかる」
レイヴィスに褒められるなんて、思ってもみなかった。
――嬉しい。胸がくすぐったい。
「これは、君がしたものか?」
「え、は……はい……」
――どうしてわかるのだろう。
言うつもりはなかったのに、言ってしまった。
「……一度魔力を引き出した影響か……?」
ぽつりと独り言を零し、リリアーナを見る。
「体調は大丈夫か?」
「え? は、はい。緊張して眠れなくて、少しだけ寝不足ですけれど……」
「…………」
難しい顔で、また考えこんでいる。
――変なことを言っただろうか。
「――レイヴィス様は、お仕事の最中ですよね。私はもう大丈夫ですので、戻ってくださって結構ですよ」
あまり引き留めるとまずいだろう。
そう思って紡いだ声には、思った以上に寂しげな響きが混ざっていた。
「もう少しだけ君といさせてくれ。馬車乗り場まで送る」
そう言って、リリアーナに手を差し伸べる。
「え、でも……」
「頼む。今日の君は眩しすぎて、他の男たちに見せたくない」
ぼっと顔が熱くなる。きっと真っ赤になっている。
(か、勘違いしてはダメよ。レイディス様は紳士だから! それに私が頼りなくて心配されているだけだから!)
自分に必死に言い聞かせながら、おずおずと手を重ねた。
エスコートしてもらうと歩きやすくはあったが、身体は緊張してぎこちなくなっていた。
「今日はどうだった?」
「王妃殿下も夫人方もとても優しくて……素敵な時間を過ごせました」
「そうか」
向けられる優しい眼差しに、リリアーナは戸惑ってしまう。
リリアーナの中でレイヴィスの存在がどんどん大きくなっていく。
このままでは心をすべて奪われてしまいそうで、怖さと、高揚を同時に感じた。
(いけないわ……私は悪妻になりたくないんだから)
レイヴィスはリリアーナの夫だが、ヒーローではない。
好きになってしまうと、破滅しかねない。
――それでもいいと、心の深い場所で欲望が小さく声を上げる。
リリアーナはぶんぶんと首を横に振った。
「リリアーナ?」
レイヴィスの驚いたような声にはっとする。
「い、いえ……なんでもありません……」
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