第13話 王妃のお茶会





 王城に到着したリリアーナが案内された先は、城内の中庭だった。

 高い壁で囲まれたそのガーデンは、瑞々しい緑と咲き誇るバラ、噴水からの爽やかな音や清涼感で満ちていた。

 柔らかな風がリリアーナの頬を撫で、葉の隙間から陽の光が優しく零れている。

 リリアーナは圧倒されながら東屋にまで通される。そこには三人の淑女が座していた。


 その中でもひと際輝いていたのが、中央に座する王妃だった。

 王妃は優雅な微笑みを浮かべながら、リリアーナに向けてゆったりと手を差し伸べた。


「来てくれてありがとう、エルスディーン侯爵夫人。会えて嬉しいわ」


 王妃はリリアーナより十歳ほど年上。

 表情に、声の響き、そして仕草まで洗練されていて、リリアーナはその美しさに思わず息を呑んでしまう。


「本日はお招きありがとうございます、王妃殿下」


 リリアーナは緊張しながらも一礼する。鼓動が早くなるのを感じながらも、なんとか自分を落ち着かせようとする。


 王妃が軽やかに手を振り、他の二人に視線を向けた。


「この二人はわたくしの友人よ。ヴェッダ公爵夫人に、ガーランド伯爵夫人よ」


 王妃から紹介された夫人は共に洗練された雰囲気の淑女で、軽やかな動きでリリアーナに一礼を返す。

 貴族としての気品と深い知性を感じさせる姿にリリアーナはますます緊張するが、精一杯の笑みを返した。


「今日は何も気兼ねせずに過ごしてちょうだい」


 王妃から優しく言われて、少しだけ緊張が解ける。そうして勧められるままに椅子にそっと腰を下ろした。


 そしてリリアーナはお茶を飲みながら、東屋で交わされる穏やかな会話に耳を傾け、時に頷いた。ふわりと漂う花々の香りと、優雅に流れる言葉の中で、自然と肩の力が抜けていく。


「今年は特に花が美しく咲いたわ」


 王妃がバラを眺めながらしみじみと言う。

 リリアーナはその言葉に促され、鮮やかに咲き誇るバラを見る。その赤やピンクの花びらは陽の光を浴びて生き生きと輝いた。


「このガーデンは本当に手入れが行き届いているわ。特にあのバラは見事だわね。エルスディーン侯爵夫人もそう思うでしょう?」


 ヴェッダ公爵夫人に声を掛けられ、リリアーナは頷いた。


「ええ、本当にお綺麗です」


 話しているうちに次は社交の話題に移る。

 次にどこで夜会が開かれるのか、ある夜会で何があったのか、リリアーナにとっては貴重な情報が次々に飛び交う。リリアーナは聞いているだけで精いっぱいだ。


「エルスディーン侯爵夫人へのお誘いも多いでしょう?」


 ガーランド伯爵夫人に尋ねられ、リリアーナの頭に大量の招待状の残像がよぎる。


「は、はい……とてもありがたいことです。あまり応じられず、申し訳なく思います」

「皆、あなたのことが気になっているのよ。エルスディーン侯爵がどんなご令嬢を選ばれたのか」


 ガーランド伯爵夫人が意味ありげに微笑む。だがそれは決して嫌な雰囲気ではない。むしろ、リリアーナに対する気遣いすら感じられた。


(――魔力だけで選ばれてしまいました)


 リリアーナは心の中でそう呟くが、もちろん口には出せない。

 何と答えるべきか戸惑っていると、王妃がティーカップをソーサーに置いた。


「誘いに応じきれないのは気にしなくていいわ。少しずつ慣れていけばいいのよ。皆そうしてきたのだから」


 優しい言葉に、リリアーナはほっとしながらも圧倒されていた。

 貴婦人たちが放つ気品と優雅さと、自信と揺るぎなさ。


(私も、いつかこんな風に振る舞えたら……悪妻じゃなくて、皆様みたいな淑女になれたら……)


 心の中で静かに願う。

 凛とした貴婦人になれたら、もっと自信を持てるだろうか。それとも自信があるからこそ、彼女たちはこんなに輝いているのだろうか。


「――ところで、レイヴィスはどうかしら? ちゃんとあなたを大切にしてくれている?」


 王妃がレイヴィスを親し気に呼んだので、びっくりして顔を上げる。


 確か二人は親戚関係だった。そしてきっと、長い付き合いと深い信頼があるのだろう。


 レイヴィスが王城という場所でどのように過ごしているのか気になりながらも、リリアーナは言葉を探した。そして、微笑む。


「旦那様は……とてもお優しいです」


 当たり障りのない返答になってしまったが、本当に優しいと思う。

 身勝手なリリアーナの振る舞いにも理解を示そうとしてくれる。

 金で買った妻になんて、高圧的に接しても不思議ではないのに。


 ――その時、リリアーナは貴婦人たちからあたたかい目で見守られていることに気づいた。

 困惑していると、王妃が口を開く。


「王はレイヴィスを気に入っていてあちこち連れ回すから、あなたには寂しい思いをさせることもあるかもね。もし困ったら言ってちょうだい。わたくしから怒っておくわ」

「そんな、恐れ多いです……!」


 ――夫のことで王妃を通じて王に苦言、なんて。恐れ多いどころの話ではない。


「旦那様が研究熱心というのはよくわかっていますから、我慢できますので……」

「なんて健気なのかしら! 昔のわたくしを見ているようですわ」


 公爵夫人が笑いながら言うと、王妃と伯爵夫人が声を合わせて笑う。

 その姿は少女たちのようで、きっと昔から仲が良いのだろうということがわかった。


「――でもね、エルスディーン侯爵夫人」


 公爵夫人がリリアーナに向けて身を乗り出す。


「わたくしたちはあなたの味方。そしてわたくしたちには、殿方には使えない武器があるのよ」

「使えるものは、いつでも使えるようにしておくことよ」


 伯爵夫人が優雅に笑みを浮かべて続けた。


 その言葉にリリアーナは安心感を覚えると同時に、身が引き締まる思いがした。

 今日、この場所に招待してもらえたのは、きっとこのことを伝えるためだ。一人ではないと。味方がいると。

 そして、貴族社会で生き抜く武器を持てと。

 自信と優雅さ、たおやかさ――そして知恵と強さを。


「ありがとうございます……」


 リリアーナは深々と頭を下げ、そしてしっかりと顔を上げ、背を伸ばした。


 ――このまま貴族社会で生きていくことは、きっとない。

 だが、淑女としての生き方は覚えておきたいと思った。


 ふと目を上げると、貴婦人たちの後ろに咲くバラが美しく光を受けて輝いていた。


「――ところで、先ほどから気になっていたのだけれど」


 王妃の目がきらりと輝き、リリアーナのドレスを見つめた。


「そのドレスの刺繍、とても素敵ね。どこの職人のものかしら?」

「いえ、この刺繍は自分で……拙いものをお見せして申し訳ありません」


 思わずポロリと本当のことを言ってしまう。

 場が一瞬静寂に満ちた。


 ――しまった、と思った。


 刺繍は貴族の間でも一般的な趣味だが、ドレスに施す刺繍は熟練の職人が手掛ける。

 エリナも言っていた。自分の手でドレスに刺繍をするのはおかしいことだと。


「――素晴らしいわ!!」


 リリアーナの予想を裏切る感嘆の声が響く。

 王妃の瞳はさらに輝いていて、力強い声で褒めてくれた。


「まるで花が命を持っているかのように輝いているわ。まるで、魔法みたい。自ら手掛けたなんて、本当に素晴らしいわね」


 王妃の言葉に、リリアーナの胸は熱くなった。

 自分の技術が、こんなにも高貴な人に認められるなんて。


「ありがとうございます……」


 答えながらリリアーナは、目許に涙が滲んでいることに気づいた。






 ――お茶会はつつがなく終わり、リリアーナはその場を辞してメイド立場待つ場所に向かう。


 あとは馬車に乗って帰るだけ。

 リリアーナは浮かれていた。まるで雲の上を歩いているかのように、夢見心地だった。


(夢のような時間だったわ……)


 社交界に不慣れなリリアーナに気を遣ってもらったことも、刺繍を褒めてもらえたことも。

 特に刺繍への賛辞は、リリアーナに自信をもたらしていた。


(もしかしたら、これで身を立てられる……? きっと修道院に行った後でも役に立つわ)


 漠然としていた修道院に行く未来が、現実的に色づき始める。


(もっと色んなものを刺したい……あの植物図鑑を参考にして、図案を作ってみようかしら?)


 夢が広がる。こんなに幸せでいいのだろうか。きっと、未来も明るいものになる――……


「おい、リリアーナ!」


 背後から響いた荒々しい声に、反射的に身体が竦む。


(この、声は……)


 振り返りたくない――そう思いながらも、その声に逆らえない身体は恐る恐る後ろを振り返る。

 そこには、母親違いの弟と妹がいた。

 ヴァレンティン家で虐められていた日々が一瞬で思い出され、胸の奥が強く締めつけられる。


 ――リリアーナの存在を否定するような冷たい眼差しは、リリアーナが結婚して家を出る前と何も変わっていなかった。





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