第12話 ドレス事件





 リリアーナの部屋に、執事が大量の封筒を持ってくる。

 銀盆に整然と並べられた色とりどりの高級そうな封筒に、リリアーナは目を丸くした。


「これは?」

「奥様への交流会の招待状です。ひとまずは奥方様たちのみの集まりの招待状を残しました」

「こんなにたくさん……?」


 リリアーナは驚きで息をつく。


(さすがエルスディーン侯爵家……!)


 誘いの数も半端ではない。

 いや貴族の間ではこれが普通なのかもしれないが、リリアーナは基準がよくわからないが、大量なのは間違いない。しかもこの量で厳選されているというのだから、更に驚きだ。


(女性だけの集まりばかりというのは、レイヴィス様の意向かしら……)


 リリアーナが男性が怖いと言ったから。


(いえ、忙しくて夫婦の集まりに参加できないだけかも)


 男性も参加する集いは当然夫婦での招待になる。

 忙しいレイヴィスはそんなパーティに参加する余裕がないのかもしれない。彼にとっては、社交より魔術研究の方が大切なのだろう。


 ならばこそ、妻であるリリアーナの出番になる。


 ――妻の務めとして、社交は避けては通れない。家同士の繋がりを保ち、いざという時の味方を得るために。

 わかってはいるが、それがどれほど難しいことか、まだ実感できていない。


 ――そして、この量さすがにキャパオーバーだ。


 それに、社交を頑張りすぎると、ドレスがたくさん必要になる。毎回同じドレスを着ていくわけにはいかない。見られていないようで、しっかりと見られているものだ。

 ドレスは淑女の必要経費だが、次から次へと仕立てようとすると無駄遣いと言われるかもしれない。


(浪費家呼ばわりされるのはダメだわ)


 悪妻まっしぐらになる。

 とりあえず、本当に必要な社交以外は断ることにした。

 外せないものだけ出て、にこにこと笑って主催者の話を聞いていればいいだろう。しかし、どれが本当に必要な社交か、不慣れなリリアーナには判別できない。


「――どれに出るべきかしら?」


 わからないことは、わかっている人間に聞く。執事に問うと、一枚の招待状を手に取った。


「そうですね。こちらの招待は断られない方がよろしいかと――」


 ――それは、王妃殿下からの招待状だった。


(これは絶対に行かないとまずいやつ……!)


 ぞっと背筋が凍る。

 王族の誘いを断れるはずがない。

 思わず手が震えそうになるのを堪え、表情だけは穏やかに保つ。


「そうね。これに参加させていただきましょう。その予定でお願いするわね」


 リリアーナは執事に念を押す。侯爵夫人に相応しい装いを用意してもらえるように、と。


「かしこまりました」


 ――そうして、王妃殿下のお茶会に向けて準備が始まった。





 まず王妃からの招待状に返事を書き、次に参加できない催しへの断りの返事を書く。

 内容については執事がサポートしてくれたが、実際に書くのはリリアーナである。


 日程に合わせて、ドレスや移動のための馬車、帽子から靴、宝石、化粧、髪形まで準備していく。


 ――そうして数日後。

 鏡の中に、派手過ぎず、慎ましやかな完璧な淑女の姿が完成した。


「いかがでしょうか、奥様」

「素晴らしいわ。完璧よ」


 リリアーナは悠然と微笑んだ。

 侯爵夫人の装いが、リリアーナに力を貸してくれている。


 ――これならきっと大丈夫。


(あとはお茶会で粗相をしないだけ……)


 それだけは不安だったが、ここまでくればもうやるしかない。

 ドレスはトルソーに着せて部屋に保管することにした。間違って汚れたりしないよう、上から薄い清潔な布をかけて。



◆◆◆



 今日もようやく一日が終わり、リリアーナは寝室に戻る。

 今日もいっぱいいっぱいだった。

 そして明日はもっといっぱいいっぱいだろう。


(大丈夫、大丈夫、やればできる、やればできる)


 明日はエルスディーン侯爵家の妻として、王妃殿下のお茶会に行く。


(高位貴族の奥様やお嬢様がいらっしゃるんだろうなぁ……うう、胃がキリキリしてきた)


 もう一度明日のドレスを確認しようとしたリリアーナは、トルソーの上にかかっている布を外し――そして、息を呑んだ。


(なに、これ……汚れ?)


 まるで火の粉を被ったかのように、ところどころに小さな穴や汚れが見える。


(ここも――ここにも?!)


 袖口や裾の部分には細かな破れが散らばり、豪華な生地が見るも無残な状態になっていた。


(ノオオォォォォン!!)


 こんなドレスで王妃主催のお茶会に出ていったら、「侯爵夫人としての品位がない」と見なされる。

 自分が恥をかくだけではない。エルスディーン家の――レイヴィスの恥にまでなるかもしれない。


(いったいどうしてこんなことに……いえ、立ち止まっている場合ではないわ!)


 原因を探すのは後だ。

 いまは解決策を考えないと。


 一番現実的なのは新しいドレスを用意してもらうことだが、もしかすると、気に入らないから自分で汚したと思われるかもしれない。

 気分ひとつでドレスを汚し、新しいドレスを用意させる――……


(だめええぇぇぇぇ!! 浪費家の悪妻が完成するぅぅぅぅ!!)


 リリアーナが取れる手段は一つ。

 誰にも気づかれずに、ドレスを直す――


「…………」


 リリアーナは呼び鈴を取り、静かに鳴らす。その音は屋敷の遠くにまで響き、すぐにメイドのアンヌがやってくる。


「奥様、何か御用でしょうか?」


 リリアーナは内心の動揺を見せずに、侯爵夫人らしく優雅に微笑んだ。


「――針と糸はあるかしら? 刺繍をしたいのだけれど……」


 アンヌは意外そうな顔をした。


「刺繍でございますか?」

「ええ、私の趣味なの。気分を落ち着かせたいのよ」

「すぐにご用意いたします」


 そう言ってアンヌは一度退室すると、すぐに裁縫箱を持ってやってきた。繊細な細工が施された木箱の蓋を開けると、中には必要な道具と色とりどりの糸が入っていた。


 道具は超一流。糸の種類も充分。


(――よし)


 リリアーナは部屋に一人にしてもらい、針と糸を手に取った。

 ドレスと似た色の糸と、微細な銀糸を合わせながら、破れた部分を一針一針丁寧に刺繍していく。

 一つひとつの汚れや穴は小さいが、何せ数が多い。リリアーナは夢中で針を進めた。


 背中の裾や、袖の折り返し部分など、目立たないけれども人目に触れやすい部分が特に破損がひどかった。


(大丈夫、きっと間に合うわ)


 その日は折よくレイヴィスも帰ってこず、リリアーナは部屋に閉じこもって夕食も取らずに刺繍に没頭した。夜が更け、屋敷中が寝静まる深夜になっても。瞼が重くなり、指が痺れ、時折手が止まりそうになっても。


 頭に思い浮かぶのは、図書室で見た植物図鑑の美しい花々だった。

 その記憶を辿りながら、ドレスに花を咲かせていく。


 ――そうして。

 夜が明けるころには、ボロボロだったドレスは、新たな命を吹き込まれたかのようになっていた。美しく花が咲き、まるで魔力を帯びているかのように淡く輝いていた。


 リリアーナは出来上がったドレスを見て、疲れた身体を椅子に預け、静かに微笑んだ。

 手が痛い。目が疲れて、身体が重い。それでも爽やかな気分だった。


 ――リリアーナはやりとげたのだ。真っ白に燃え尽きるまで。


(これで……きっと大丈夫……)





 ――翌朝。


 部屋に入ってきたメイドたちは、トルソーにかけられたドレスを見て目を丸くした。

 それもそのはず。彼女たちが前日に確認したときは、刺繍なんてなかったのだから。


「奥様、この刺繍は……?」


 アンヌが驚きの声を上げる。


「してみたくなったの。どうかしら?」

「……本当に、素晴らしいです……とても繊細で、花たちがまるで生きているかのよう……」


 アンヌの声には感激の色が滲んでいた。ドレスとリリアーナを見つめる表情には、尊敬の念すら浮かんでいる。


 一方、部屋の隅で控えていたエリナは、どこか不機嫌そうな顔をしていた。


「……でも、奥様がご自分で刺繍をなさるなんて、普通ありえませんよ……ドレスが台無しになっていたらどうしたんですか?」

「――エリナ、なんてことを!」


 リリアーナが何か言う前に、アンヌがエリナを注意する。


「いいのよ、普通はしないもの。でも、してみたくなってしまったの。――それじゃあ二人とも、準備をお願いね」





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