第11話 余韻と約束






 その日は、一緒に夕食を食べた。

 リリアーナが家政婦長と料理長と一緒に考えた献立を。


 交わされる言葉は少なかったが、食卓に流れる空気は穏やかで居心地のいいものだった。


「ゆっくり休むといい。明日もまた一緒に朝食を取ろう」


 食後レイヴィスはそう言って、自分の部屋に戻っていった。

 リリアーナも就寝準備を整えて、自室に戻る。

 寝室の扉を閉じ、部屋の明かりを落とす。ベッドの中に身を沈めても、胸の奥に温かな感覚が残っていた。


(レイヴィス様がまだ中にいらっしゃるみたい……)


 レイヴィスの魔力に導かれる感覚が忘れられない。

 手のぬくもりに、彼の匂い、そしてまっすぐに見つめられた時の瞳。

 身体が熱くなり、鼓動が早くなる。


(――眠れない!)


 初めて知った魔力の感覚に興奮して眠れない。あの感覚を忘れないうちにもう一度試したい。


 リリアーナはベッドから起き上がり、机の引き出しからレイヴィスからもらったピラーを取り出した。


 それをぎゅっと握りしめ、再び大切に引き出しに戻してベッドに座る。


 静かに目を閉じる。

 レイヴィスに導かれた感覚を思い出しながら、身体に巡る魔力を意識する。


 閉じた瞼の裏に、小さな光がふわふわと漂う。まるで星の海にいるかのように。


 それらを集め、結晶にする――頭ではわかっているのに、光は一か所に集まろうとしない。

 形になる前に、霧散してしまった。


 瞼を開けてみるが、手の中には何もない。ただ魔力の名残だけがある。


(レイヴィス様は四歳にはピラーを作っていたと言ったわよね……小さい頃からの長い訓練が必要なのかも)


 がっかりしつつも、胸の奥には不思議な高揚感が残っていた。




 ――翌朝。

 朝食室の席で、リリアーナはレイヴィスと向き合った。


「おはようございます、レイヴィス様」

「ああ、おはよう」


 少し眠そうなレイヴィスの顔を、朝の柔らかな光が照らしていた。

 リリアーナは少し緊張しながら、その姿を眺める。


(もう一度、教えてもらえないかしら……お忙しいから無理かしら)


 魔力の扱い方をもう一度教えてほしい。

 だが、レイヴィスは忙しい身だ。無理は言えない。

 出かかった気持ちを飲み込むと、レイヴィスがじっとリリアーナを見つめた。


「リリアーナ、どうかしたのか?」

「え、ええと……」


 挙動不審だったらしい。

 もう、言ってしまおうか。

 無理なら無理でいい。言わないままでいたら、何も変わらない。


 だが、ここにはエリナがいる。リリアーナ付きのメイドは静かに仕事に集中している。――いや、ちらちらとレイヴィスを気にしてはいるけれど。


 彼女には聞かせたくないと思った。これからレイヴィスと愛を育んでいく彼女に、彼と二人での魔力のレッスンをしていたなんて。更にもう一度したいだなんて。


「なんでもありません……」

「……そうか」


 レイヴィスは少し残念そうに言って、スープを飲んだ。


 朝食が終わって部屋に戻ろうとしたところ、廊下でレイヴィスがリリアーナの前で立ち止まった。振り返り、やや距離を保ちつつ向き合う形になる。


「さっきは何を言いかけていたんだ?」

「えっ――」

「他には聞かれたくないことなんだろう? いまなら二人きりだ」


 ――二人きり。

 使用人たちは既に仕事に戻って周囲にいない。誰もいない。


 リリアーナは勇気を出して、飲み込んでいた言葉を口にした。


「……また、魔力の引き出し方を教えてもらってもいいですか?」

「ああ、もちろんだ」


 精一杯の勇気を出しての頼みごとを、あっさり了承されてしまう。

 しかもレイヴィスはどこか嬉しそうな表情をしていた。


「俺も君の魔力に興味があって――あ、いや、もちろん君の意思が第一だが……俺の研究にも付き合わせることになるかもしれない」

「レイヴィス様の研究に……?」

「ああ。君の負担にならないようにはするが、もし嫌だったら言ってほしい」

「私がレイヴィス様のお役に立てるなら嬉しいです。なんでもします!」


 リリアーナは前のめりに承諾した。

 レイヴィスの研究の役に立てたなら、きっと悪妻度も上がらない。手ひどく捨てられることもないかもしれない。

 絶望の未来のことを思えば、どんな研究に付き合わされてもいい。それに、レイヴィスが負担にならないようにすると言ってくれるのなら、そこまでひどいことはされないだろう。


「そ、そうか……」


 レイヴィスはやや視線を逸らしながら頷く。

 その顔が少し赤いような気がした。


 ――リリアーナで研究できることがそんなに嬉しいのだろうか。

 リリアーナも嬉しかった。自分の魔力が、子作り以外のかたちで彼の役に立つのなら、すごく嬉しい。


(このまま関係改善していければ、レイヴィス様がエリナと結ばれたときもすんなり話がまとまって、快く修道院に送り届けてくださるはず――)


 そう考えた刹那、胸がズキンと痛む。


(あ、あら……?)


 ――どうしてだろう。

 レイヴィスがエリナと幸せになる未来を考えると、胸が痛くなる。


「……リリアーナ?」


 気遣うように名前を呼ばれ、リリアーナははっと息を呑んだ。


「い、いえ……なんでもありません、が……」

「そうは見えないな。気になることがあるなら何でも言ってほしい」

「それでは、その……いま、気になっている方とかいらっしゃいますか……?」

「君だ」


 あっさりと即答される。


「そ、そうではなく――」


 具体的には、リリアーナより魔力が高くていずれ聖女になるエリナとか――……


(レイヴィス様は、エリナの魔力の高さをご存じなのかしら……?)


 ――小説では、エリナは自分の魔力の高さを隠していた。メイドとしてこっそり平穏に生きるために。しかしレイヴィスと心通わせるうちに、自分の真の力を解放していく――……


 エリナは既にレイヴィスに自分の本当の姿を見せているのだろうか。

 どうもそのような気配はない。


「……すまない。君の意図が良くわからない」

「い、いえ。変なことを聞いてすみません」

「謝らなくていい。君が何を気にしているかはわからないが、これだけは確かだ。いまの俺は君に夢中だ」


(私の魔力にですよね?!)


 びっくりしすぎて言葉が出ない。言い方がきわどすぎる。

 誰かに聞かれたらどうするのだろう。夫婦だからおかしな話ではないだろうが、もしエリナの耳に入ったら――……


「話の続きは帰ってからにしたいが――今日はたぶん帰れない。すまないが、明日の夜か明後日に、レッスンをしよう。約束する」

「は、はい。いってらっしゃいませ、レイヴィス様。無理なさらないでくださいね」

「ありがとう。君も穏やかに過ごしてもらいたいが……今日はもしかしたら無理かもしれないな」


 予言めいた言い方に、リリアーナは目を瞬かせる。

 レイヴィスは少し困ったように笑った。


「詳しいことは執事に聞いてくれ。ただ、無理はしなくていい。それじゃあ行ってくる」


 言って颯爽と踵を返す。

 リリアーナはしばらくその背中を見つめていた。







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