第10話 魔力教導
「ええと……それではまず、お城ではどのようなお仕事を?」
リリアーナは正面の椅子に座るレイヴィスに向かって質問する。まるで面接のようだと思いながら。
(――どうしてこんなことに)
ひとまずもっと話をしようということになり、図書室の壁側の席で、向かい合って座っている。
レイヴィスは少しだけ考えるように間を置く。
「――いまは、国防のための結界の開発をしている」
「……言ってしまっていいのですか?」
思わず聞き返す。
国防のことなんて、重要機密ではないのだろうか。リリアーナに話していいのだろうか。
レイヴィスはまるで少年のように口元に笑みを浮かべた。
「よくはない。内緒にしておいてほしい」
「わ、わかりました」
――秘密を共有してしまった。
リリアーナが戸惑っていると、レイヴィスは再び微笑んだ。心配するなと言わんばかりに。
(冷酷侯爵様と呼ばれている方とは思えないわ……)
敵に容赦なく、味方に厳しく、誰にも感情を見せない――
(国防まで担っているのだから、厳格なのよね、きっと……)
だが、いまリリアーナの前にいる彼は、優しい青年に見える。
不思議な気分だった。
きっといまはリリアーナは大した悪事をしていないから、まだ悪妻と呼べる段階ではないから、守るべき相手として見てくれているのかもしれない。
今後侯爵家に害を与えるようになったら、もしくはレイヴィスにとっての邪魔者になったら、きっと容赦なく処断してくるだろう。
そう思うと、ぶるりと身体が震えた。
黙ってしまったリリアーナの前で、レイヴィスは椅子に背中を預けながら右手を前に出した。
手のひらを上にして、まるで雨を受け止めるかのように。
次の瞬間、レイヴィスの周囲が淡く輝く。次第にその光が渦を巻きながら手のひらに集まり、そして、そこに透明な石が生まれた。水晶のような六角柱が。
「これがピラー……魔力の結晶だ。これを大型にして空に浮かべるための研究をしている」
「綺麗……これが、空に……? そんなことができるようになるんですね……きっと、すごく綺麗な光景でしょうね」
心のままに言うと、レイヴィスは少し驚いた表情を浮かべた。
「いまも城の周りに浮かんでいるだろう?」
「えっ? そうでしたっけ?」
リリアーナは驚いて首を顔を上げる。
「気づいてなかったのか?」
「ご……ごめんなさい。私の暮らしていた部屋からは、お城の方はよく見えなくて」
ヴァレンティン家では、日当たりの悪く、外の景色も見えない部屋に暮らしていた。そしていつも下ばかり見ていた気がする。高い場所や空を見上げた記憶がほとんどない。
「いや、すまない。俺も自惚れていたな……」
レイヴィスは苦笑しながら立ち上がり、図書室のカーテンを開けた。
「――ほら。ここからなら、よく見える」
リリアーナは呼ばれるままに、窓の方へと歩み寄る。
大きな窓の外には城の姿が見え、その周辺の夕焼けの空に、静かに浮かぶピラーがはっきりと見えた。
キラキラと氷の王冠のように輝く石たちが。
「あれが城を守っている。悪いものは近づけないようになっているんだ」
「すごい……魔力って、魔術って……こんな素敵な使い方もできるんですね」
――魔力とか魔術とか、いままでピンと来ていなかった。
リリアーナは魔力が高いらしいが、それを実感したことはない。
(私のせっかくの魔力……どうにかお金にすることはできないかしら)
レイヴィスの美しい研究成果を眺めながら、思わずそんな打算的な考えがよぎる。
自分の魔力を有効活用することができたら、王城で働けたりしないだろうか。
「その、ピラー? ですか? 私にも作れたりしますか?」
少し緊張しながら問いかける。
レイヴィスはリリアーナをじっと見つめた。
どうしてそんなことをしたがるのか、不思議に思ったのかもしれない。
「――リリアーナ、魔力教導を受けたことは?」
「はい? ……た、たぶん、ありません……」
「そうか。手を握っても構わないだろうか?」
「ええっ?」
驚いて思わず声が出る。
「す、すまない。無理にとは言わない。経験がないなら、このやり方が一番いいかと思っただけで――」
「――あ、は、はい。だ、大丈夫です。お願いします……!」
「……座ってした方がいいな」
大きめの椅子に座るように、視線で促される。
リリアーナが座りと、同じ椅子にレイヴィスが座った。
――近い。
あまりにも近い。
体温も、香りも感じられるほどに近い。
緊張するリリアーナの手を、レイヴィスがそっと下から包み込んだ。
「――――ッ」
他人の手の感触に、リリアーナは一瞬息を飲む。
だがその手は、あたたかくて、そして大きくて。
すぐに、安心感をもたらしてくる。
リリアーナはレイヴィスにすべてを委ねることにした。
「力を抜いて……俺の魔力を感じてみてほしい」
レイヴィスの低い声が耳元で響き、思わずぎゅっと目を閉じる。
すると、繋いだ手から何かが――おそらく、魔力と呼ばれるものが、レイヴィスの体温と同じものが、ゆっくりとリリアーナの中に流れ込んでくる。
ぞくぞくと、全身が痺れた。くすぐったいような、でも心地よいような――不思議な感覚だった。
一瞬、身体がびくっと跳ねる。
まるでレイヴィスの手で内側まで触られているかのようで――レイヴィスによって変えられていくような、何かがゆっくりと目覚めていくような、そんな感触で全身が満たされていく。
「んっ……」
短く息を呑み、リリアーナはその感覚に集中する。決して手放さないように、逆らわないように。
レイヴィスの魔力が、リリアーナの中に眠るものを導くように動く。
その感覚は甘美で、少し苦しくて、いつの間にか息が上がっていた。
思わず目を開けると、まっすぐにリリアーナを見つめている金色の瞳があった。
その深さに、呑み込まれて溺れそうになる。
あたたかく、柔らかな力が、ゆっくりと体内でうねる。
身体の奥から始まり、指先から世界に向かって解き放たれようとしている。
――怖い。
何かが変わる感覚に怯えるリリアーナの手を、レイヴィスがぎゅっと握った。
「大丈夫だ。そのまま委ねろ――」
「あっ――……」
その瞬間、小さなピラーがリリアーナの前に形作られた。
魔力の結晶が、強い輝きを帯びて図書室を照らす。
だがそれはすぐに崩れ、儚く消え去ってしまった。
「ああ……」
――壊れてしまった。
自然とため息が零れる。うまく行きかけたような気がしたのに。
「最初はこんなものだ。むしろ、俺が最初に作ったものより見事だった」
「あ、ありがとうございます……それって何歳の時のことですか?」
好奇心で尋ねると、レイヴィスは少し考え込んだあと答えた。
「……四歳ぐらいだったか」
「全然比べ物になりません」
リリアーナは思わず軽い調子で返してしまう。
そうして見つめ合い、同じタイミングで笑い合う。
その間も身体はどこか熱く、心臓は早鐘を打っていた。引き出されたのに満たされるような、不思議な感覚だった。
レイヴィスはそっとリリアーナの手を離す。
離れていく手が、熱が、ひどく寂しく感じた。
「身体の調子はどうだ? 魔力を引き出されるのは、苦痛を伴うこともあるからな」
「大丈夫です。少しびっくりしましたけれど、嫌な感じではありませんでした」
言いながらも、レイヴィスの手が自分の中に入り込んで、魔力を引き出していった感覚がいまだに身体に響いている。
何かが確かに変わってしまった気がした。
「そうか。俺たちは……相性がいいのかもしれないな」
そう呟くレイヴィスはどこか嬉しそうで、いったい何の相性がいいのかは聞けなかった。
そうしていると、レイヴィスが先ほどのピラーを手にしてリリアーナに見せてきた。
「――これは君に渡しておく」
「い……いいのですか?」
「ああ、いくらでも作れるからな」
リリアーナは美しい六角柱を食い入るように眺めた。
レイヴィスの魔力の結晶は、どんな宝石よりも美しく見えた。
「ありがとうございます。大切にします」
ピラーを握りしめながら言うと、レイヴィスは何も言わず笑っていた。
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