第6話 sideレイヴィス


【side:レイヴィス】



 エルスディーン家は名門だ。

 代々高い魔力を誇る血統で、結婚相手に求められる条件も厳しい。

 絶対条件は魔力が高いこと。そして格式のある血統であること。


 ――これらは家の伝統であり、跡継ぎを得るためにも欠かせない要素だった。

 魔力の強い人間は、魔力の強い相手としか子を作れない。


 そうして現当主であるレイヴィスが選んだのが、ヴァレンティン家のリリアーナだった。

 彼女は社交界にはまったく姿を見せなかったが、魔力が高いことで幼い頃より評判だった。


 ヴァレンティン伯爵もまた、娘の結婚相手に条件を付けていた。

 一番家格が高く、結婚支度金を一番多く出せる相手を探していた。


 そうしてレイヴィスとリリアーナの結婚契約はまとまった。

 そこに恋愛感情などというものは一切ない。貴族の結婚に大切なのは条件だけ。すべては跡継ぎを作るため。そこに愛というものは必要ない。


 リリアーナと初めて顔を合わせた時、驚くほど儚い娘だと思った。

 伏し目がちで、雰囲気が重く、こちらを一目も見てこようとしない。何を考えているかまったくわからない。


 その儚さに一瞬引き込まれたものの、レイヴィスは気にしないようにした。




 ――そして初夜。

 リリアーナは初めてこちらをはっきりと見てきた。紫の瞳は息を呑むような美しさで、レイヴィスはまっすぐに射抜かれた。


 しかし、次に発せられた言葉が、レイヴィスをさらに驚かせた。


「私のことは愛していただかなくて結構です!」


 リリアーナの宣言は雷の一撃のようだった。

 貴族同士の結婚は愛がないのが当たり前。跡継ぎを作るためだけの結婚の身勝手さを指摘されたようで、何も言えなくなってしまった。


 しかし、本当に聞き逃せなかったのはその後の言葉だ。


「愛人は何人作っていただいても結構ですからね」


 そう言って寝室から去っていく後姿を呆然と見送ってしまった。

 ――しかし、すぐに自分を取り戻す。


(彼女は、何を誤解しているんだ……?)


 愛がない結婚だろうと、誠実であるべきだ。愛人を作るつもりは一切ない。貴族の間では愛人を作るのが普通だが、レイヴィスはそのつもりはなかった。

 相手にも、相手の家にも失礼過ぎる。


 もし別の相手を作るとしても、きちんと離婚してからであるべきだ。


 もし誤解があるのなら、早急に解消しておく必要がある。

 問題はすぐに対応しなければ、取り返しのつかない大事になっていく。


 せめて誤解を解いておこうとリリアーナを追いかけたが、彼女の部屋の扉は固く閉ざされ、開けてもらえることはなかった。

 扉の向こうから聞こえる声は震えていて、レイヴィスを怖がっていることはありありと伝わってきた。


 ――怖がらせてしまった。


 配慮が足りなかった。彼女は深窓の令嬢で、家とレイヴィスの都合だけで結婚させられて、子どもを産まされようとしている。本人も納得しているものだと思っていた。だがそれは、レイヴィスの身勝手な思い込みでしかなかったと突きつけられた。


 ――無理強いをするつもりはないと言っても無駄だろう。彼女の心には届かない。

 その夜は引き返し、そのまま家を出て城に向かい、いまも王城で魔術研究に没頭している。





 王城の魔術研究所で仮眠から目を覚ます。


 窓から見える夜明けの空は、淡い紫から橙色へと移り変わりつつあった。

 やがて一筋の光が、王城周辺に浮かぶ魔力結晶の柱――通称ピラーに差し込み、宝石のように美しく輝いた。


 この柱こそ、いまやレイヴィスが心血を注いで開発しているものだ。


 レイヴィスはため息をつく。

 またこの場所で夜を明かしてしまった。


 帰るべきなのはわかっているが、どうしても家に帰りにくい。

 妻と再び顔を合わせて、また怯えられて逃げられたらと思うと、重い気分になる。


 再び窓の外のピラーを眺める。

 レイヴィスはこの研究所で結界を張るためのピラーの研究に没頭していた。


 結界は、悪しきもの――魔族や病魔を寄せ付けない効果を持つ。


 いまは城を防衛するぐらいの効果しかないが、いずれは王都全体を覆うぐらいのものにしたいと考えている。そしていずれは主要な街に配置し、村にまで配置できるようになれば、多くの民を災いから守れるだろう。


 しかし、研究はいま滞っていた。


 小型模型をつくり、それを大型化させ城を守るまでは順調にいったが、それ以上大規模なものを作ろうとすると途端に魔力が足りなくなる。


(何とかして、魔力不足を解決できないか……)


 机の上に鎮座する、精巧な王都の小型模型を――その上で星のように輝く小さなピラーを眺めていると、誰かが研究室にやってくる。


「やっぱり、まだここにいたのか。研究の進みはどうだ?」

「陛下……」


 魔術セキュリティをあっけなく突破して入ってきたのは王だった。

 レイヴィスより一回り年上で、着ているものは簡素――おそらく夜明け前から鍛錬でもしていたのだろう――だが、その姿は威厳と風格に溢れている。


「順調とは言えません。やはり、魔力の限界が障壁になっています。複数人の魔力を合わせる方法も考えてみましたが、性質がバラバラすぎて固まりもしません」

「なるほど。わからん」

「…………」


 王はレイヴィスの隣にやってきて、王都の小型模型とピラーを眺める。


「どこかで聞いた古の伝説では――お互い魔力が高く、更に相性がいい男女が心から愛し合うと、魔力の共鳴効果が起きるという話もあるそうだぞ」

「古代魔法学にある共鳴現象ですね。男女の魔力が混ざり合うことで共鳴し、通常以上の力になる――ただの伝説です。現代魔術理論でも理論が語られているだけで、実証されたことはありません」

「夢がないことを」


 男性の魔力と女性の魔力では性質が違うため、理論としては面白い。ある意味では現状を打破する鍵になるかもしれない。だが――


「まず、前提条件がレアケースです」


 王は大きくため息をついた。


「いまの高魔力貴族は、結婚相手の条件を魔力でしか見ないからなあ」


 軽い調子の言葉が胸にぐさりと刺さる。


「もしくは、伝説の聖女様が現れるまで待つしかないかな」


 ――それこそ伝説だ。


 聖女はその時代に世界に一人しか現れない。

 無限の魔力を生み出すという存在が、偶然この国に現れ、そして心から協力してくれることを願うなど――現実的ではない。


(どうせまた聖教国に保護される)


 それに、聖女頼みになるのは研究の敗北に等しい。


「話は変わるが、結婚生活はどうだ?」

「変わっていませんよね」


 王は、レイヴィスに妻と「愛し合う」ことを求めている。それに気づかないほど鈍くはない。


 だが、研究のために愛し合うなど、それこそ不誠実ではないか。

 跡継ぎのためというのは最初からの契約だが、そこに研究のために愛も求めるなど、あまりにも身勝手だ。


「特に報告するようなことはありません」

「ならどうして城に泊まり込んでいる」

「…………」


 王はすべてお見通しのようだ。しかし、そもそも、愛とはどういう感情なのかレイヴィスにはよくわからない。

 レイヴィスだけが妻を愛そうとしても、リリアーナは愛そうとしてくれるだろうか。

 初夜のリリアーナの言葉がまた突き刺さる。


(……無理だ)


 愛してくれなくていいと言った相手に愛を求める――あまりにも、無理な話だ。


「とりあえず家に帰れ。城には一泊以上は禁止だ。せっかく結婚したのに、仕事のせいで夫婦がすれ違って国が恨まれるようなことになるのは困る」

「…………」

「レイヴィス、愛がない結婚が始まりでも、愛を育んでいくことはできるだろう?」


 王の言葉が重く響く。

 王と王妃ももちろん政略結婚だが、いまは仲睦まじい。最初のころは衝突もあったが、いまはお互いを尊重している。


「夫婦生活に必要なのは会話だ。何か問題があれば、まずは話すことだろう」

「……わかりました。家に帰ります」


 逃げられるのを恐れるのも、逃げているのと同じことだ。

 彼女と話がしたい――今度はちゃんと向き合って。


「おう。頑張れよ」







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