第5話 sideエリナ
エルスディーン家で働くメイド、エリナは怒っていた。
(なんなの、あの女……どうして怒らないのよ……)
夜、メイド用の部屋のベッドにもぐりこみながら、エリナは怒りで身悶えする。
――リリアーナに花瓶をぶつけそうになったのは不可抗力だった。
水と花がぶっかけることになったのも、まったくの偶然だった。
だが、あの姿は滑稽で最高だった。
リリアーナはエリナを怒るだろうと思ったが、怒らずその場を収めた。
その後エリナを怒ったのは家政婦長だ。一時間近く怒られてこってり絞られた。
怒られている間、エリナはずっと考えていた。
――これはおかしい、と。
小説なら、リリアーナはエリナを烈火のごとく怒るはずだ。
使用人いじめがリリアーナの数少ない趣味なのだから。
だから、今度はリリアーナの食べるスープに、配膳中にちょいちょいっと虫を混入させてみた。
虫を触るのはすごく嫌だったが、頑張った。とても頑張った。
なのに、リリアーナはスープに入った虫を見つけても騒ぎもしなかった。
(普通怒るでしょう?!)
もし自分がされたら烈火のごとく怒る。
怒って、怒って、料理長をクビにしようとする。ついでに食器も全部入れ替えさせて、台所も新しくするように命令するだろう。それぐらいやって当然だ。それだけの権力があるのだから。
エリナは、料理長がひどく怒られた後に、こっそり言うつもりだった。
――奥様が虫を入れていましたよ。って。
どうして奥様がそんなことを?――と聞かれたら。
――使用人への嫌がらせかもしれません。って。
一度噂が生まれれば、憶測が憶測を呼んで噂はどんどん成長する。
きっと料理長に献立を決められたのが不愉快だったのだろうとか、自分が一番偉いことを思い知らせるためとか、むしゃくしゃしてやったんだとか、人をいじめて楽しんでいるんだとか。
なのに、リリアーナは騒がなかった。
料理長を呼びつけはしたが、なだめ、他の料理は美味しい美味しいと食べていた。
そして、他の使用人や――そして万が一、侯爵が体調を崩すと大変だから、とだけ言っていた。
料理長自ら改善案を出し、リリアーナはそれを承認した。
料理長はリリアーナのそんな振る舞いに感動していた。
――もし、ここで。
料理長に「奥様が虫を入れていましたよ」と言ってみたところで、「あの御方がそんなことをするわけがないだろう」とかなりそうだった。
下手をすればエリナが嘘つき呼ばわりされる。
そんなリスクは冒せない。
もし家政婦長やレイヴィスの耳に届いたら――下手をすれば解雇されかねない。解雇されなくても、リリアーナ付きのメイドは外されるだろう。
そうなると、リリアーナの評判を落とすという計画が一気に難しくなる。
だから、口を閉ざした。
(普通怒るでしょう? どうして醜く喚き散らさないのよ……! 悪妻なら悪妻らしく、醜くわめいて暴れてよ!!)
物語ではそうなるのだから、そうしてくれないとエリナの計画がうまくいかない。
『リリアーナが悪妻過ぎて追放され、エリナが侯爵に愛されて侯爵夫人になる計画』が。
(あんたは侯爵夫人に相応しくない! レイ様と結ばれるのは、わたしなんだから!)
エリナは知っている。
ここが前世で読んだ小説『無能無才なメイドですが何故か冷酷侯爵様に溺愛されています?!~実は世界で唯一の聖女だったみたいです』の世界だということを。
そして自分は主人公であるメイド――エリナだということを。
レイヴィスと結ばれて、聖女の力に目覚め、みんなからちやほやされる主人公だということを。
その記憶を思い出したのは、この家に嫁いできた陰気なリリアーナを見たときだった。
その瞬間、エリナにははっきりと見えた。
この女が悪妻となり、使用人をいじめ、愛人をつくり、更に侯爵家の財産を会計係に横領させ、実家に多額の送金をする未来が。
そして、リリアーナの悪妻っぷりに辟易したレイヴィスが、ずっと傍にいたエリナの存在にようやく気づく未来が。
二人は愛し合い、真実の愛で結ばれ、素晴らしい子どもたちに囲まれる未来が。
ハッピーハッピーハッピーエンド。
みんな幸せなスペシャルハッピーエンド。
(わたしの物語の邪魔をさせるもんですか!!)
決意するものの、リリアーナはあまりにも思い通りに動かない。
(怒る度胸もないのかしら。何もかもへたくそなのね)
エリナは憤慨した。
あの女が人を怒ることすらできないのなら、やり方を変えないとならない。
使用人いじめすらできないのなら、別の方向からあの女の評判を落としきらないとならない。
難しいミッションだが、レイヴィスがリリアーナと離婚しやすいようにしてあげないと。
(レイ様のために、わたしがんばる)
愛するレイヴィスのために。顔はいいし、身分もいい。冷酷な男が自分にだけ甘々になるのも気分がいい。優越感で満たされるし、贅沢な暮らしができる。だから好き。
「――エリナ」
寝ようとすると、隣のベッドのアンヌが声をかけてくる。
メイドの部屋は個室ではなく二人部屋で、アンヌはずっと同室だ。
「アンヌ? どうかしたの? 眠れない?」
振り返って笑いかけると、アンヌは冷めた目を向けてきた。
「最近のあなた、ぼんやりしすぎじゃない? 部屋も散らかし気味だし」
「……そうかな?」
だって仕方ない。エリナは物語を思い出したのだから。つまらない仕事や、身の回りの片づけが少しぐらい疎かになっても仕方ない。
それをアンヌに言っても理解しないだろう。
「それに、スープを運んだのはあなたよね? 虫に気づかなかったの?」
「…………」
何だろう、この女。
もしかしてこちらを疑っている?
主人公様であるエリナを。
「…………」
エリナは、にこっと笑った。
「気づかなかったよー」
にこにこと愛想満点の笑顔を浮かべて首を傾げる。
「いいじゃん。奥様は怒ってないんだから」
「…………」
エリナはそのままベッドにもぐりこんでアンヌに背を向けた。
(真面目ちゃんなんだから。それにしても、わたしの味方のはずなのにわたしを疑うような言い方するなんて、どういうこと? わたしが侯爵夫人になったらクビにしちゃお)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます