第2話 これからの人生計画
――朝。
人の気配で目を覚ますと、扉の横にメイドが二人が並んでいた。
「おはようございます、奥様」
声を揃えてそう挨拶してきたのは、リリアーナ付きのメイド――エリナとアンヌだ。
そう、この物語『無能無才なメイドですが何故か冷酷侯爵様に溺愛されています?!~実は世界で唯一の聖女だったみたいです』の主人公のエリナである。レイヴィスと恋に落ちる運命のメイドである。実は膨大な魔力を持ち、物語後半で聖女の力に目覚める少女である。何故か侯爵様に溺愛される聖女である。
明るい色の髪に、健康的な笑顔。
一度働いていた屋敷を解雇されてから、レイヴィスに拾われて長年この家で働いている逞しい少女。
いまや女主人の世話係を任されている、屋敷からもレイヴィスからも信頼されているメイドだ。
そしてアンヌは――落ち着いた表情と振る舞いのメイドの鏡のような少女だった。
彼女はエリナの友人でもあり、エリナのことを要所で手助けする重要人物だ。
(つまり二人とも私の敵……)
朝の爽やかな光の中、苦々しい気持ちで起き上がる。
こんなことを思いたくないが、この二人の行動と自業自得でリリアーナは破滅する。
(自業自得が九割だけれど……!)
リリアーナは二人を見つめる。
初夜だったのにリリアーナが一人でこちらの部屋に寝ていることに、何か察しているかもしれないが、二人とも顔には出さない。
だが、実際には何を考えているのか、これから二人でどんな会話をするかはわかったものではない。
(いいわよ……リリアーナは侯爵に手を出されなかったと覚えておきなさい……)
哀れな奥様と覚えておいてくれればいい。
「朝の支度を手伝ってちょうだい……」
リリアーナは感情を見せずに淡々と振舞った。
物語上は敵だが、いまはまだ何も起こっていない。
使用人いじめもしていない。
――だから、そのままで進める。あくまで女主人と使用人として。
(普通にするぐらいなら悪妻度は上がらないはず……)
――リリアーナは破滅へのカウントダウンを悪妻度と呼ぶことにした。
これが上がれば上がるほど破滅に近づくと考える。
あくまでリリアーナの心の中でだけの、個人的な感覚の話だが、意識するだけでも行動は変わるはず。
――とりあえず、絶対事項としてエリナとは敵対しない。
彼女に手を出せば、のちに彼女を愛するようになるレイヴィスに断罪されるだろうから。
「……あと、朝食はここへ運んできて」
夫婦は食事を共にするのが普通だ。特に朝食は。
初夜に夫の寝室で過ごさず、朝食も一人で取ろうとする新妻の姿は、二人にどう見えているだろう。
「はい、奥様」
エリナが明るく笑う。
その笑顔はとても眩しくて、とても可愛い。
使用人としては減点だが、主人公としては満点である。
――使用人は、できるだけ感情を見せないようにするのが常識だ。
(聖女……彼女が聖女かぁ……)
そう思うと背後に後光すら見えてくる気がする。
そしてレイヴィスが彼女を愛するのだと思うと、とても複雑な気持ちになった。
きっと彼女の天真爛漫なところに惹かれるのだろうから。
◆◆◆
完璧に支度を整え、豪華な朝食を取った後、リリアーナは自室で机に向かってこれからの人生計画を立てた。
(ええと……私の悪妻度はまだあまり高くないはず……初夜を拒否してしまったけれど、使用人には何もしていないし、もちろん横領もしていなければ愛人も作っていないもの)
何せまだ嫁いできた翌日。
(これからも悪妻度が上がることはしないし、旦那様とは距離を置いて関わりを持たず、実家からのお金の無心にも屈せずに、侯爵家の資産に手を付けない……これで完璧のはずよ)
そうして『白い結婚』――肉体関係を持たない結婚を続けながら、レイヴィスが本来の主人公であるエリナと浮気をするのを待って、慰謝料を貰って穏便に離婚する。
エリナは身分こそ低いが、魔力は抜群である。しかも聖女になる。性格も良いし、何より主人公なのだから、ほどなく二人のラブストーリーが始まるだろう。
そうして離婚した後は、慰謝料を持って修道院に駆け込む。
修道院に慰謝料を全額寄付して、シスターとして生きる……
「――完璧な人生計画だわ」
にやりと笑う。
そして、あまりに悪妻らしい笑い方をしているのに気づき、口元をマッサージしてほぐす。
(とにかく、早くエリナと侯爵がくっついてくれないと……)
リリアーナの人生計画で一番重要なのはそこだ。
自分ではどうにもできない部分。
リリアーナは物語の本筋を邪魔するつもりはない。あまりに逸脱されると先が読めないから。
エリナにはレイヴィスと無事にくっついてほしいと思う。
既婚者ヒーローはどうかとリリアーナも思うが、「白い結婚」なら話は別のはず。エリナとレイヴィスの葛藤も少なくなるだろうから、思ったより早く二人の関係は進むかもしれない。
(ここがうまくいってくれないと、慰謝料を貰っての離婚ができないもの)
むしろこちらが慰謝料を請求されるかもしれない。何せ初夜も、これからの子作りもすべて拒否するつもりだから。
――跡継ぎを産むために買われた妻なのに、いつまでも拒否していればさすがにこちらの有責になる。
(ううーん……積極的に私が手助けした方がいいのかしら――いえ、二人は結ばれる運命なんだから、下手なことはしないでおきましょう……)
それにしても複雑な気分だった。
夫がメイドと浮気するのを待つというのは。
――エリナと夫を取り合うという選択肢もあるにはあるが。
負けが見えている戦である。
小説では、追い出されるときでもリリアーナは侯爵の子を身ごもっていなかった。
だからこそスムーズに離婚が成立した。
(子どもができていれば勝ち目もあったかもしれないけれど……)
そこに懸けるのはあまりにも無謀。
それに既に初夜を拒否してしまった身。
いまさらその路線は無理がある。
(だから……敵を味方に引っくり返す!)
エリナとアンヌに親切にしておいて悪いことはない。
横暴な振る舞いをせず、優しい奥様になっておく……そうすればいざ離婚というときにも、リリアーナの味方にはなってくれなくても、敵対はしないでいてくれる――かもしれない。
あまり期待はしないが、やれることはやっておく。
そしてそれはメイドたちだけにではなく、侯爵家の使用人全員に対してだ。
味方はひとりでも多い方がいい。
いままでとはあまりに違う生き方だから、うまくできるかはわからないけれども。
(できるできる……私ならできる。死ぬ気でやればなんでもできる……)
この先に待ち受ける凄惨な運命を思えば、なんでもやってやる。
その時、部屋の扉がノックされる。
「――奥様、ただいまよろしいでしょうか」
「どうぞ」
入ってきたのはこの家の執事と家政婦長だった。
リリアーナは口元に笑みを湛え、立ち上がって二人を見つめた。
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