第41話 遥香の覚悟 2
櫂と来たときは、周りにいくつも実が落ちてたはずなのに。
辺りを見回しても一つも見つけられない桃を探して、木の周りを歩き回る。
食べたら、記憶がなくなっちゃうんだよね。
でもね、櫂のことを忘れても尚と一緒に仙帝を倒すことはできるじゃない?
それに、尚のことを忘れたら、まずは櫂を探せば良いと思うの。
櫂は間者かもしれないけど、私に見せてくれた全部が嘘だなんて信じない。それが私の決断。
それで騙されたんだとしたら、それは私の責任だもん。
ほら、なんとかなりそうじゃない? ケセラセラだよ。
周りをくまなく探して歩けば、木の根元に隠される様にして、桃が一つ落ちてるのを見つけた。
見失わないように、小走りで近寄って拾い上げれば、櫂に見せてもらった桃と同じ実だ。これで間違いない。
流石に落ちてるものを簡単に口にするのには抵抗があるから、綺麗に汚れを拭き取って、更に丹念に調べる。
これ食べたら、強くなれるんだよね。
不安と期待が入り混じっためちゃくちゃな感情が心の中を占拠して、手にした桃を食べるのを躊躇させる。
本当に強くなれる? 何を忘れちゃう?
時間が経てば経つほど、緊張感が手を震わせて、何度も桃を落としそうになった。
いつしかその姿を全面に見せた太陽が、容赦なく夏の陽射しを降り注ぐ。その光に照らされた果実は、きちんと美味しそうで。
恐怖心を抑えこむ、美味しそうなものを食べたいっていう欲求。それが口元に桃を近づけた。
「はる! やめてくれ!」
今にも桃に歯を立てようとした瞬間だった。
聞こえてきたのは尚の焦りを帯びた声。叫び声の様にも聞こえたその声の方を向けば、尚の隣には櫂の姿も見える。
「尚。櫂さん」
「はる。久しぶりだね。そんなもの捨てて、こちらにおいで」
私と向かい合うように立つ櫂の姿は、これまでと何も変わらなくて。
それでも櫂の正体を知ってしまうと、二人が並んでる姿はどう考えても不思議で仕方ない。
「櫂さん。どうしてここに?」
「ちょうど仙人島の上空を飛んでいるところでね。はるの姿がどこかに向かって一直線に向かっているのを見かけたんだ」
あの時、周りには誰もいなかったはずだ。櫂が息をするように吐く嘘に、心がささくれだつ。
どうして、そんな風に嘘を重ねるの?
「はるの必死な顔に、何があったのかと思ったよ。その視線の先に見えるものにもね。それで、急いで尚の島に飛んでいけば、はるのいなくなった部屋を見ながら呆けている尚を見つけた」
「呆けて……」
「あぁ。あんなところでじっとしていたって仕方ないだろう? ようやく引きずってきたのさ」
櫂の話に、ばつが悪そうに横を見る尚の顔は、この話が嘘じゃないって証明してくれる。
「そうですか」
櫂のことを信じたい。その気持ちに嘘はないけど、この出来事全てが仙帝に知られてしまうと思うと、何を話して良いのかわからない。
「僕のこと、尚から聞いたんだってね」
黙り込んでしまった私にかけてくれた声は、聞き慣れた王子声。
いつもと変わらぬ声に、鼻の奥が痛くなる。
「言い出せなくてごめん。僕を信じられなくても、話をしたくなくても仕方ない。僕の役目は、ここに尚を連れてくることだから。僕はもう行くね。ここには滅多に人も来ないだろうし、尚とゆっくり話をするといい」
櫂の笑顔には、どこか影が漂っていて。見たことにないその顔に、心臓が痛い。
「私、強くなりたいんです」
仙帝に知られたって構わない。櫂を信じるって決めたのは自分。
「強く?」
「これ食べたら強くなれるんですよね? 櫂さんぐらい強くなって、尚と一緒に仙帝を倒すんです」
「だめだ! そんなこと、する必要ない」
「尚。私ね、尚にお礼できること何かなってずっと考えてたの。命を救ってもらって、住む場所までつくってもらって。体だって、こんなに大きくなれた。それなのに、私何も返せなくて。だからね、櫂さんぐらい強くなるから、一緒に仙帝倒そう? 我慢せずにやり返せばいいよ」
「私は、今のままで構わない」
「理不尽に傷つけられる必要なんてないと思うの。私強くなるから、二度と私のせいで尚が傷つくことのないように」
仙帝を倒せなくても、私が強くなれば、尚が私を守る義務なんてなくなるよね。小さくもか弱くもなくなれば、尚が責任を感じる必要もないはず。
「何で強くなりたいか、忘れちゃうかもしれないのに?」
「もし私が忘れてたら、櫂さんが教えてくださいね」
「僕のこと、信じるの?」
「はい! それで何かあっても、私自身のせいですから」
尚と櫂に気持ちを全部打ち明けたら、私の中でもやついてたものがすっきり晴れる気がした。
これでもう、心置きなく桃が食べられる。そのせいで何かを忘れたって、構いやしない。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
二人に大きく頭を下げて、手にした桃をもう一度口に運ぼうとした。
「私はこのままで大丈夫だから、やめてくれ」
尚の声には、焦燥感だけじゃなくて悲壮感まで感じられて。
決心が鈍りそうになる。
「私が尚を忘れるわけないよ。だから大丈夫。信じて」
「そんなもの、食べてはいけない」
「もうこれ以上、尚の足を引っ張りたくないんだ。それにこんなに印象強い人のこと、忘れるわけないよ」
「ダメだ。食べてはいけない! 私が、いくらでも守ってやるから。頼むから、やめてくれ! お願いだ……」
尚の顔に見たのは、切れ長の目に溜まった涙。今にも溢れ落ちそうなそれを、必死に堪えてる。
忘れられるわけないじゃない。
「私を、一人にしないでくれ……」
尚の口から紡ぎ出される言葉。本音を言いたくても言えずに苦しんでいた彼が、ようやく漏らした小さな音。
そんな彼に背を向けて、手にした桃に思いっきりかぶりついた。
後ろを向けば、二人が手出しできないのをわかってて。
独りよがりな気持ちを押し付けた。
絶対、忘れないよ。
私が尚に普通の生活をあげる。
そしたら、私のことは忘れて、長生きしてね。
瑞々しい桃の果実を、次から次へと喉の奥に流し込む。
二人が私の名前を呼ぶ声が、遠くに聞こえた。
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