第40話 遥香の覚悟 1

 私も慌てて後を追うけど、瞬間移動の尚と空飛ぶ絨毯の私じゃあ、その早さはウサギとカメだ。

 尚の姿は即座に見えなくなってしまって、私なりの全速力で音の響く方へと絨毯を飛ばす。

 私と尚の家が並ぶ目の前、夏の精たちが元気よく歌い踊り始めた季節に相応しく、鮮やかに生い茂った芝生が風に揺れて、何とも穏やかな景色。


「オンナ、マッテイタゾ。サァ、コッチニコイ」


 絵に描きたくなる様な景色に不釣り合いな雰囲気と、睨み合ったままぴくりとも動かない二人。

 私がようやくその場に辿り着いた時、その静寂を壊したのは、不気味な木偶の声だった。


「はる。やはりついて来てしまったか」


 尚の呆れた声に、どことなく責められてる気もするけど。でも、あのままじっとしていられないよ。だって木偶の言う『オンナ』って間違いなく私のことだし。

 それに、去り際に尚が言った言葉が頭から離れない。


「だって、またあんなことになったら……」


「あの時は心配させてしまったからな。仕方ない。私から離れるな」


 その言葉に従って、尚の後ろに身を隠す。


「サカラウトハ、イイドキョウダ」


 木偶の不気味な声と同時に、いつか聞いた破裂音が周りの空気を震わせる。

 尚の作り出す水玉が、木偶の手元から放たれるものによって壊されていく。水風船が破裂する度に、辺りに水飛沫が舞って、夏の陽射しを乱反射させる光景に目を奪われた。


「二度とあの様なことにはならないと、そう伝えたはずだ」


 木偶の攻撃から身を守る為の水玉を作り続けて、その合間に氷の矢を木偶に向けて飛ばしていく。

 種類も速さも威力も、そのどれをとっても尚の強さを裏付けていて。そんな尚が認める櫂の強さも飛び抜けてるはず。

 私がそれぐらい強かったら。

 櫂の代わりになれれば。

 尚は、こんな目に遭わずに済むの?


「はる! 危ない!」


 木偶が手あたり次第に打ち込んだ矢のようなものが、私の死角から飛んできた。

 私が作り出した水玉をも貫いて真っ直ぐに飛んできた矢が、私を庇った尚の頬を掠める。

 作りものみたいな尚の頬を流れる一筋の血。

 蝋燭の様に白い肌が対照的な赤色で染められる。その扇状的なコントラストが、私の頭に殴られた様な衝撃を与えて。心臓が痛くなるほどの怒りが爆発した。


「尚に、なんてことするのよ!」


 身体中を駆け巡る怒り。その感情に任せて、仙力を手に集める。足先から湧き上がってくる熱が、いつもより早く手のひらに玉を作り出した。

 手のひらの玉を更に大きくして、熱を下げて冷やし固めて、狙いは木偶の頭。私のできる最大速度で。

 力任せに放った氷の玉は、見事に木偶の頭部を真横から直撃した。べきょっと物が潰れる嫌な音がしたと同時に、木偶の体が崩れ落ちた。


「見事だ」


 その一撃に全部の力を使い切ってしまって、その場に呆けている私の顔を見て、尚が微笑んだ。

 その頬には未だに赤い筋が鮮やかに描かれて、とてもじゃないけど直視できない。


「それ、痛くないの?」


「ん? あぁ。これぐらい擦り傷だ」


 尚の手が未だに血の止まらない傷口を擦って、その白い顔に更に鮮血が広がる。

 痛くないわけ、ないよね。


「私のせいだね。ごめんなさい」


「違う! 決してはるのせいではない!」


「ううん。庇ってくれなくて大丈夫だよ」


「これぐらいの傷、すぐに治る」


 私がもっと強ければ、そんな傷つけられたりしなかったよね。

 櫂だったら、あっという間に倒しちゃうよね。

 京香さんなら、大人しくしていたのかな。

 近くにいるのが私で――


「ごめんね」


 尚の傷を見たくなくて、言葉を聞いていられなくて、そう言い捨てて自分の家に閉じこもった。


 窓の隙間から尚の様子を伺っていれば、険しい顔をしたままゆっくり空を仰いで、いつものバランスボールで飛んでいくのが見える。

 きっと呆れられちゃったよね。

 嫌になったよね。

 

 でもね、これでいい。

 私のせいで尚が傷つけられるのは、もう見たくない。

 初めてここに来た時よりも、思った以上に成長できた。櫂には『二人と離れない』って言ったけど、撤回しよう。

 このまま私との思い出のせいで、尚の最期を早める必要もない。

 あと一つ、やり残したことをやり遂げたら、ここを出よう。仙人島でひっそりと暮らそう。

 

 櫂があんなに絶賛してくれた料理なら、あの屋台で売ってるものより美味しくできる。そしたら、何とか暮らしていけないかな。

 上手くいかないかもしれない。辛いことがあるかもしれない。

 それでも、私がここにいちゃダメだ。

 一刻も早く、やるべきことを終えて、ここを出よう。



 朝日が昇る前の、一歩先すら見通すことのできない夜の闇が徐々に薄れてくる頃。ほんのり湿気を含んだ空気に混じる土と草の匂い。それを一気に鼻から吸い込んで、寝起きの身体中に酸素を巡らす。

 この島でのことは、何でも尚に見通されてるから、できるだけ静かに私は家を抜け出した。

 それでもきっと、ばれちゃってるよね。

 ばれてるなら、できる限り早く。尚に止められる前に、行くべきところへ向かおう。


 家の目の前の草原。すぐ横に見える尚の家。

 まだ寝てる? もう起きてる? それとも、どこか別のところにいるのかな。

 絨毯を作り上げて、その上に座る。

 二人のような速度で飛ぶことはできないけど、それでもかなり速くなったんだよ。

 体の中から湧く仙力を絨毯に流し込んで、一気に飛び上がる。


 眼下に広がる尚の島。豊かに見えるその島にたった独りで、理不尽な攻撃を受けながら暮らす日々。そんな生活、もう止めよう。

 全部自分のせいにして抱え込むことも、不必要な血を流すこともないよ。

 私、強くなるね。尚の役に立てるように、守る必要のないように。

 そしたら、一緒に仙帝を倒しに行こう。

 櫂の代わりになれるように、頑張るから。

 少しだけ、待っててね。


 尚の島が徐々に視界から消えて、目的地が近づいてくる。

 周りには誰もいない。

 たった一人、その場所へと降り立った。

 私が目指した大木を見上げてつい本音が漏れた。

 

「いくつ食べれば良いの?」

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