第38話 櫂と二人なら 2

「はる! はる! 何かあったのか?!」


 珍しい尚の大声と、それに合わせて激しく叩かれる扉の音に、ようやく意識がはっきりとしてきた。

 色々考えごとをしてるうちに、ついうとうとしちゃってたみたい。


「んー? しょう? なぁに?」


「よ、良かった。入ってもいいだろうか?」


「いいけど……どうかしたの?」


 自分で作り出した家のくせに、許可を得るどころか無言で玄関の扉は開けるくせに。私の返事がないまま私の部屋の扉を開けないところは、尚の真面目さを表していて。

 ほんの少しほっとする。


「どれだけ呼んでも、はるの返事がなくて。何かあったのかと心配していた」


 心配? 尚が?

 私が心配してるって言っても、あんなに理解してくれなかったのに?


「心配するの? 私のこと?」


「あぁ。私にとってもはるは恩人だからな」


「恩人?」


「私を救い出してくれたであろう? 私がはるにとっての恩人だと言うのならば、はるは私にとっての恩人だ」


 微笑んでくれた尚の顔はどこか切なげで。笑顔の象徴みたいに見えてた白い歯が寂しげに輝いた。

 

「へへっ。そう思ってくれてるなら嬉しい」


 私がやったこと、無駄じゃなかったってことだよね。

 尚の行動をきっかけに、張っていた意地が少しずつ解れていく。


「疲れが取れないか? 大丈夫か?」


「ごめんね。ちょっと寝ちゃってたみたい。大丈夫だよ」


「大岩の上は、嫌だと言っていたしな……」


 嫌なわけじゃないんだけどね。

 そもそも、そこまで疲れてるわけじゃない。

 考え込んじゃって気がついたら寝てたって、ただそれだけだし。


「やはり外に出るのは嫌か? 木偶のことは心配せずとも、私が何とかしてやる」


 木偶? あぁそうか。私が閉じこもってる理由を、尚は木偶のせいだと思ったんだ。

 尚のせいだと、わかっていて欲しかったような欲しくなかったような。自分の中に芽生える矛盾した想い。


「別に、木偶が怖いわけじゃないよ」


 そりゃ、あんな声であんな風に見られれば、その瞬間は恐怖しかないけど。

 倒せない相手じゃない。尚や櫂と一緒なら、怖くなんかない。


「それでは、何故?」


「秘密」


 元の体に比べれば、まだまだ子供の指先を唇に当ててそう言った。こっちの世界でそのポーズの意味が伝わるわけもないんだけど、たまには良いよね。


「で、木偶が怖いのでなければ、外に出ないか?」


 尚の声は何となく不機嫌そうで、隠し事されたことに納得してないのかもしれない。

 隠し事はお互い様なのに。


「大岩? それならまた後にする」


「いや、岩ではなくて……もう一つの癒しの場所に連れて行こうと思う。大岩よりも更に癒しの力が強いから。其方の疲れも癒えるのではないかと」


「それって」


「以前話したことがあったはずだ。この島にあるもう一ヶ所。私だけの場所だ」


 櫂も知らない、尚の秘密の場所。

 そこへの誘いに、心臓が捕まれたように飛び跳ねる。

 それと同時に、意地を張って拗ねていただけの私に、こんなに気遣ってくれる尚に申し訳なさが募る。


「そんな大切な場所に、連れていってくれるの?」


「少しは、興味が湧いただろうか」


「でも、誰にも教えてなかったんだよね。私が行っても良いの?」


 尚の想い人でもない、役にも立たない私が。


「はるになら、教えても良い」


 飛び跳ねたまま返ってこない心臓が、もう一段高く飛んでいったみたい。

 尚の笑顔と台詞は、それぐらいの威力を放っていて。高鳴りすぎた心臓が痛い。


「連れて行ってもらえるのなら、行きたい!」


「そうか! 良かった。それなら、一緒に行こう」




「ここって……」


「はるは、来たことがあるよな」


 尚の作り出した馬に乗せてもらって飛び上がれば、到着するまではそんなに時間もかからなかった。

 そもそも尚の島はそれほど大きくもない。

 それなのに、どうしてここに気がつかなかったんだろう。


「ここが私だけの場所だ」


 尚が自慢げに降り立った木陰。

 尚の島に初めて来た日、二人きりで話をした場所だ。

 知ってる場所と全く同じ景色。それなのに、むせ返るぐらいの甘い匂い。


「こんなに甘い匂いがするなんて」


 大岩とは比べものにならないぐらいの香り。

 癒しの力が強いって、それだけで伝わってくる。


「ここでなら、はるの疲れも癒えるだろうか。私の自慢の場所だ」


 あの時は感じられなかった甘い匂い。私がちゃんと仙人になった証拠。

 大きな木の根元に座り込んで、その生気を十分に感じる。


「この場所、何で櫂さんは知らないの?」


 癒しの力を感じられるのも、強さ次第だって。普通では見つけられない微量な生気。それすらも感じることのできる櫂が、この場所に気づかないわけがない。


「ここは、私と一緒でしか辿り付かない。特殊な守護がかけてある」


「守護?」


「周りからは気づかれないようになっている。このようなものがあるとわかれば、いくら私の島とはいえ、迂闊に寄ってくる輩がいるかもしれぬ。木偶の相手だけでも懲り懲りだというのに、そんな者達の相手などしていられぬ」


 フェス会場に集まる人たちだもんね。

 こんな場所、あっという間に人混みだよ。

 それにしても、櫂でさえ見つけることができないようにするなんて。尚は強いって櫂も言ってたけど、それでも櫂だって弱くなんてない。十分強いはずだ。

 それすら超える力。もう、何でもありじゃん。


「尚は、仙帝を倒そうとは思わないの?」


 規格外だって言われる強さ。

 ここにいる誰よりも強いって言われる力。

 それなら、仙帝を倒せば良いんじゃない?


「仙帝を?! そんなこと、できるはずがない」


「尚でも無理なの?」


 島すら自分で作り上げて、櫂の目すら誤魔化すことができて。

 あんな一瞬で木偶も倒せるのに。


「仙帝の力は知らないが、間違いなく私の父よりは強かったはずだ」


 前仙帝を倒して仙帝になったんだっけ?


「お父さんって、そんなに強い人だったの?」


「いや……両親に関しては、何も覚えていない」


「何も?! 何で?」


「あ……その件は……すまない」


 言い淀んだ尚に、何か抱える過去があるのだけはわかる。これ以上は、無理して聞けないよね。


「それなら、もしかしたら尚の方が強いかもしれないよ? 櫂さんと協力すれば、倒せちゃうかも」


「櫂と……それも、できるはずがない」


 そう言って尚が私に向けた笑顔は、これまで見たどれよりも寂しそうで、辛そうに見えた。

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